魔法伯爵の娘

帰郷(3)


 ガルはタシアンからさらにもう一発拳骨をくらっている。その後説教が始まりかねない雰囲気だったが、寮の門限が迫ったことあり解放された。
「明日、昼には出立するからな。今夜のうちに準備しておけよ」
「あ、うん。わかった」
 別れ際にタシアンがガルに告げて、アイザは伝言役としての仕事もなくなる。
 商業区にある宿屋へ戻るタシアンを見送りながら、アイザは少し居心地の悪さがなくなっていることにほっとした。ガルと一対一だとどうしてもあのことを思い出して緊張してしまうし、ヒューをはじめとした友人たちではガルの暴走を止められない。

「……あのさ、なんでアイザは俺を避けてんの?」

 寮に戻りながら、ガルがわずかに躊躇ったあとで口を開く。
(なんでって……)
 原因なんて、考えるまでもなく明らかだと思う。それを改めて説明しろというのだろうか。なんの嫌がらせだとアイザは眉間に皺を寄せる。
「……自分の胸に手を当てて考えろ」
 素直にガルは自分の胸に手を当ててしばし無言になったが、むむむ、と眉間に皺を寄せる。
「わからないんだけど?」
 その顔が本当にわかっていないようで、アイザは頭が痛くなった。
(わからないってどういうことだよ……!)
 自分でやらかしたことを忘れているんじゃないだろうか。事故だったんだ忘れてくれと願ったアイザにやった仕打ちはなんだったのだ。
「……ガルって馬鹿だよなぁ」
 ヒューがしみじみと呟いているので、アイザもつい頷きたくなった。



 翌日は快晴だった。
 ふわ、のあくびを噛み殺しながらアイザはのそりと起き上がる。昨夜は遅くまで荷造りしていたので起きるのが辛かった。
「おはよう、クリス」
 クリスはたいていいつもアイザより早く起きていて着替えもすませている。今日から長期休暇となり朝早く起きる必要はないはずなのに、既にクリスは私服を着て髪を梳いていた。ちなみに彼の私服は裾にレースがついた可愛らしい花柄のワンピースである。徹底した美少女ぶりにアイザはいつも拍手を送りたくなる。
「おはよう」
 器用に金の髪を三つ編みにしながらクリスは答えた。よくよく見ると編み込みまでしている。
「いつも思うけど、クリスは器用だな」
「慣れだろう、これくらい」
 慣れても出来ないことはある、と思いながらアイザは顔を洗いにいく。近頃はクリスがいようがいまいが衝立の向こうで着替えることにも抵抗がなくなっていた。とはいえ、クリスは着替えているときはそっと洗面所へ行っていたりわざとこちらに背を向けて荷物を用意していたりして、かなり気を遣ってくれている。下手すれば気を遣っている、ということにすら気づかないほど自然に。
 すっかり馴染みはじめていた制服もしばらくは袖を通さない。ブラウスにモスグリーンのロングスカート、足元はブーツで動きやすく。少し肌寒いから上着のほかにもカーディガンを着たほうがいいかもしれない。
「……いつも思うが、おまえもう少し可愛い格好したらどうだ」
「え? いや、そういうのってクリスは似合うけど、わたしは似合わないし」
 花柄なんて、生まれてこのかた着てみたことがない。男親のみだったのが原因か、アイザはそもそもおしゃれに興味がなかった。動きやすく清潔感のある格好なら良いだろう、とそれだけである。
「馬鹿か。そりゃ俺は類いまれなる美少女だけど、男の俺が着ているんだからおまえだって……いや言っても無駄か、こっちこい」
「うん?」
 手招きをされてアイザは首を傾げた。
「どうせ言ったところでおまえの地味な趣味はそのままだしな。髪くらいマシにしてやるよ」
 クリスの前の椅子に座るように促されて、アイザは素直に腰を下ろした。クリスがアイザの髪をとり、櫛で丁寧に梳きはじめる。
「……わたしの髪、まとめにくいと思うけど大丈夫か?」
「俺の腕を舐めるなよ」
 そう言ってクリスは自分の机から白いレースのリボンを取り出すと、アイザの髪と一緒に編み込んでいく。濃灰の髪にそれはよく映えた。そのまま器用に結い上げる。
「……すごいな」
 その様子にアイザはすっかり見入っていた。
「誰に向かって言ってんだ。俺がすごいのは当たり前だろ。それで? 朝食はどうする?」
 クリスの問いかけに、アイザは一瞬言葉を飲み込んだ。試験が終わり、結果が出るまでの五日間は朝食を抜いたりクリスに協力してもらったりでガルと会わないようにしていたのだ。
「……行くよ。もう逃げていたって無駄だしな」
 どうせ昼にはマギヴィルを発つのだ。――ガルと一緒に。



 ガルは、今までと変わらずアイザを待っていた。待っていても来ないかもしれないのに、とアイザは彼の姿を見つけた途端に少しの罪悪感に襲われる。その横顔が寂しげに見えたのだ。
「アイザ!」
 金の目がアイザの姿を見つけた途端に嬉しそうに輝きを増す。
「……おはよう」
 本当は素直に挨拶することもまだ悔しかったのだが、ガルらしくもない横顔に毒されたのだろうか。
「アイザ、なんか髪かわいいな?」
 編み上げられてリボンの飾られた濃灰の髪はいつもよりも女の子らしく見せるだろう。ふふん、とクリスがアイザの両肩に手を添えて自慢げに笑った。
「かわいいでしょ? 私がやったの」
 そのクリスの表情にガルはむっとして、アイザの肩に置かれたクリスの手を振り払った。
「アイザはもともとかわいいんだよ!」
 アイザを挟んで睨み合う二人にため息を吐き出す。
(……本当に馬鹿らしくなるくらいいつも通りなんだよな)
 悩んでいるのも馬鹿馬鹿しくなってくるくらいだ。もういっそ、このまま水に流してしまえばいいのかもしれない――気にしているのはアイザだけなのだから。
「クリスもガルもじゃれてないで、早く食堂に行こう」
「じゃれてない」
 即座にガルは否定したが、クリスはつん、と唇を尖らせるだけだった。クリスとしてはガルをからかって遊んでいたのだろう。
 食堂の中はいつもよりも空いている。ちらほらと空席があるのは朝寝坊を満喫している生徒が多いからか、それとも既に寮を出た生徒がいるからだろうか。
「……学園に残る生徒って、けっこう少ないんだな」
「そうね。昨日すぐに出立する子もいるしね。今日の夜には半分以下になるんじゃない?」
 長期休暇のときはいつも寮に残っているらしいクリスはすっかり慣れた様子だ。
「ケインは昨日のうちに出てたな。遠いから早めに出ないとって言ってたし」
「ああ……だから昨日いなかったのか」
 ガルを止めに入っていたのがヒューだけだから変だとは思った。ヒューとケインはいつも一緒にいることが多かったから。
「よ、おはよ。今日は一緒なんだな?」
 噂をすればヒューが朝食を乗せたトレイを片手にやってきて、ガルの隣に座った。
「ヒューは帰らないのか?」
 すっかりいつもと変わらない様子のヒューに問いかけると、彼はフォークを持ち上げて「まぁね」と笑った。
「帰るのも面倒だしさ。俺ん家って兄弟多いからさ、家だとうるさいし狭いしで寮の方が快適」
「へぇ」
 兄弟が多いというのはどんな感じなんだろう、とアイザは思う。以前ならないものねだりだと想像することすらしなかったけれど、今はそこに卑屈さは生まれてこない。
(堂々と兄とは呼べないけど、突然二人もできたからなぁ……)
 オムレツを口に運びながらそんなことを思う。

「おー? 無事にみんなは補習を回避できたのかなー? ニーリーさんは超暇だから絶賛遊び相手募集中だよ?」

 朝から元気な声に、アイザは思わずくすりと笑った。普段は大人数でまとまって座れないが、今日は少し寂しいくらいだからだろうか、知り合いを見るとついつい寄りつきたくなるらしい。
 ニーリーとナシオンがやってきてクリスの隣に座ると、彼は笑顔の裏で鬱陶しそうにしている。クリスティーナ嬢の仮面もアイザには通用しなくなってきた。
「そういえばさ、アイザ」
「……なんだよ」
 一足先に食べ終わったアイザはお茶を飲みながらガルを見た。朝からたくさん食べるガルの皿にはまだ料理が残っている。

「昨日あのあと一晩中考えてみたけど、何が悪かったかいまいちわからないんだけど」
「…………」

 言葉も出ない。
「アイザ、すごいじゃない。この馬鹿が一晩中何かを考えるなんてなかなかないわよ」
 そうだな、とつい同意したくなる。ガルが長時間にわたって原因を考えたというだけでもすごいことなのかもしれない。彼は基本的に直感と本能で答えも決める。
 しかし。
(わからないのか……)
 天を仰ぎたくなりながらアイザはため息を吐き出した。誰のせいで試験の結果が散々なものになったと思っているのだろうか。
「……そもそもなんであんなことしたんだよ」
 なんでキスしてきたんだ、とはここで問い詰めるわけにはいかない。そこを濁していることにガルも気づいているのか、何をしたのかははっきりと言わなかった。妙なところで聡いのだ。
「えーと……したかったから?」
「ああいうことはしたかったからって勝手にしていいことじゃない!」
 勝手にしても許されるのは恋人同士や夫婦であって、友人相手にすることではないはずだ。断じて違うはずだ。
 即座に言い返したアイザにガルは驚いたように目を丸くしていた。思わず出てきた大きな声に、知り合いではない生徒まで何事だとこちらを見ている。

「待ってなになに、卑猥な話?」
「……姉さんは黙って」
 キラキラと目を輝かせたニーリーにナシオンがどうどうと落ち着かせようとしたが、クリスが黙れと問答無用でパンを突っ込んだ。むぐぐ、とニーリーがパンを咥えたまま文句を言っている。

「わかった、じゃあ次はしていいかちゃんと聞く」
 名案だと目を輝かせたガルにアイザは半泣きになりながら叫んだ。
「聞かなくていいから! そもそもするな!」

 今日はこれから馬車での旅路になるというのに、朝からどっぷり疲れてしまった。


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