魔法伯爵の娘

王太子の戴冠(5)


「その薬草は根まで使えるので傷つけないように綺麗に掘り起こしなさい」
「はい」
 アイザはファリスに言われたことを手早くメモを取りながら、薬草を丁寧に掘り起こす。
 手伝いを申し出た昨日から、アイザは嬉々としてファリスのもとで土いじりに勤しんでいた。動きにくいドレスはクローゼットのこやしになり、持ってきていた自前のワンピースを着て汚してもいいようにエプロンだけを借りた。
「アイザ、楽しそうだな」
 土を運んできたガルが何がそんなに楽しいのかという顔をしている。
「魔法薬学はまだ初級の初級だから、マギヴィルではあまりこういうことが出来てないんだ」
「入学の時期を考えればまだまだどれも基礎のところだろう」
 薬草を掘り起こしたところに、ファリスが土と肥料を足す。そこはしばらく土を落ち着かせてから、次の季節に向けて薬草を植えるのだ。
「魔法基礎学、魔法技術学、魔力制御入門あたりは少し前から中級の授業を受けてます。魔法薬学はこの間から始めて……」
 アイザの口からすらすらと並べられた教科名に、ファリスら納得したように笑った。
「ああ、なるほど。リュース・ルイスは基礎はしっかり教えていたのか」
「基礎……なのかどうか。魔力の制御だけは完璧だと褒められましたけど」
 父から教わったことは数えるほどで、だからこそアイザは魔法はうまく使えないままだった。それでもどうにかなっていたのは、ただ強い魔力と精霊の瞳を持っていたからだろう。アイザは目に見えないものをよく知りもせずにうまく操ることができるような天才ではない。
「それだけ高い魔力を持っていて暴走させないのだから大したものだ。君くらいの年頃だと、少し動揺しただけで揺らぐことがある」
 そうなのか、とアイザは目を丸くする。赤子の頃はよく暴走させていたらしいが、アイザの記憶にある限りそんな危なっかしいことを起こした記憶はない。
(いや、そもそも魔法は使ってはいけないって思っていたから……)
 ルテティアで暮らしていた頃は使えないものだ、という無意識の制御が働いていたのかもしれない。だとすれば、魔法を使うことに慣れてきた今のほうが油断できない。
 気をつけよう、と肝に銘じたところでしゃがんているアイザの背をルーの尻尾がぽすぽすと叩く。心配するなと言っているようだ。
「で? これどこに置けばいい?」
「ガル、そこを踏むな」
 肥料を運んできたガルがつい今しがた種を植えたばかりのところを踏みそうになるので、アイザはすかさず注意した。おっと、とガルが避ける。ガルは迂闊なのでこういう注意はさきほどから何度もしていた。
「それはこっちに。すぐには使わないのでね」
 ファリスに言われ指示されたところへガルは肥料を置いた。
「他にやることある?」
「……うーん」
 力仕事はたいしてない。ガルが張り切ってくれたおかげで重い土や肥料はほとんど運び終えてしまった。
 といっても、ガルも一緒になって土いじりを楽しむとは思えない。魔法薬に使うような薬草の手入れは面倒なのだ。
「やはりすぐに時間を持て余しましたか」
「レーリ」
 ちょうど薬草園にやってきたレーリが呆れたようにため息をこぼした。彼にとっては予想通りだったらしい。
(まぁ、わたしもそうだろうなとは思ったけど)
 けれどそれをガルに言ったところで理解はしないだろう。体験するのが一番だ。
 実際、ガルは暇そうにしている。
「ここにいてもやることはあまりないでしょう。ガル、ついてきなさい」
 ガルを呼ぶと、レーリはファリスを見る。その目は剣呑さはないものの、穏やかさには程遠い。
「……戻るまで彼女のことを頼んでも?」
 彼女、が自分のことであるとアイザはすぐにわかった。ここに女性は自分しかいないし、何よりレーリがここまで細やかにならざる得ないのは彼がアイザの護衛でもあるからだ。
 探るような問いかけは、過去にファリスがアイザを連れ去った事件に加担していたからだろうか。
 しかしファリスはその視線の意味に気づきながらも穏やかな表情で頷いた。
「かまわないさ」
「大丈夫だよ、ルーもいるから」
 レーリが警戒しているらしいと感じ取ったアイザも、念を押すように付け加える。
「すぐ戻ります。ガル」
「……どこ行くんだ?」
 レーリのあとをついていきながら、ガルが問いかける。城内を走るわけには行かないので足早に、空気を切るように歩く。
「団長に強くなりたいと言ったのはあなたでしょう。引き受けた本人は忙しくてそれどころじゃなさそうですが」
 城に到着してから、ガルが個人的にタシアンと会うような時間はなかった。ルテティアまでの道中行っていた特訓も、自主練にとどまっている。
「じゃあレーリが相手してくれんの?」
「期待に添えなくて申し訳ないですが、私も忙しいので」
 ガルも言ってみただけだった。だよなぁ、と相槌を打つ。タシアンの多忙さを見れば、その副官の彼が暇なわけがない。それでもおそらくかなり無理をして時間を捻出しているのだろう。
「なので、騎士団の訓練に加わればいいんですよ。許可はとってきましたから」
「き、騎士団?」
 つまり今向かっているのは騎士団の訓練場ということだろう。城内で警護に立っている堅苦しい騎士を思い出してガルは顔を歪めた。正直柄じゃない。
「いい経験にはなると思いますけど? 嫌なら無理にとは言いませんが」
 強制はしない、というレーリにガルは口を引き結ぶ。
 無知は無力だ。
 ずっと頭の中で繰り返される言葉に、嫌だという気持ちもかき消されていく。ガルに足りないものは多く、経験はそのなかのひとつだ。
 マギヴィルでの授業だけでは得られないものがある。それだけでガルには断る理由はないように思えた。
「……強くなれる?」
「一朝一夕にとはいきませんけどね」
 決して無駄にはなりませんよ、とレーリは微笑んだ。
「それにしても、随分と突然言い出したようにも感じますけど、どうしてそんなに強くなろうとしているんです」
 もともと身体能力の高いガルならばマギヴィルで学んでいくうちに十分強くなれるはずだ。
「強くなれば、それだけ選択肢は増えるから」
 弱いのは駄目だ、とガルは零した。
 金の目が握りしめた自分の拳を見下ろす。そこに迷いはない。
「弱いままじゃ、守れないから」
 ただわずかに、敗北の色が滲んでいた。けれど決して折れたわけではない。
「……俺はもう、誰にも負けたくない」
 自分でも確かめるように呟くガルに、レーリが微笑む。
「なら、相当に努力しないと駄目でしょうね」
「うん」
 笑わずに同じ調子で話を続けるレーリがガルには心地よかった。タシアンもそうだった。
 強くなりたい、誰にも負けたくない。
 マギヴィルでそう言うと「誰にも負けないなんて無理な話だ」と返された。
「レーリは笑わないんだな」
「努力しようとする者を笑うのは愚か者のすることですよ」
 至極当然と言った顔でレーリが告げる。
 そこには嘘偽りは一切なく、だからこそ心地いいのだとガルは思った。レーリからは、いつも嘘を感じない。

「着きましたよ」

 広い訓練場では何人もの騎士が打ち合っていた。その光景はマギヴィルの訓練場とそれほど違いはない。こういうのはどこも似ているんだなぁ、とガルは妙なところに感心してきょろきょろと周囲を見回す。
「あれ? どうしたんです? そのガキは?」
 レーリの姿に気づいた団員の一人がこちらを見て話しかけてきた。レーリが訓練場に顔を出すのは珍しいことなのだろうか、とガルは首を傾げる。
「今から彼も訓練に加えるように。手加減する必要はありませんが、新人いびりなんて馬鹿馬鹿しい真似は厳罰しますからそのつもりで」
 ガルを甘やかすつもりはないらしいが、だからと言って野放しにするわけでもないらしい。
 へぇ、と興味深そうに集まってきた団員の中で、突然「あああ!?」という声があがる。
「そのクソガキ!」
「あ、俺が小麦粉投げつけた奴だ」
 アイザが国境騎士団に追われているとき、タニアの宿で逃げるために小麦粉を投げつけた。その時の男で間違いない。ジャンとリックと呼ばれていた、そのどちらかだろう。
「……ってことは、ここにいるのって国境騎士団?」
 王都にいるのだから訓練相手になるのは王立騎士団だと思っていた。
「そりゃ団長は国境騎士団の団長ですからね」
 自由にできるのは国境騎士団だ。もちろん現状は暫定的に王立騎士団も兼任している状態だが、ガルとの相性を考えても国境騎士団の連中のほうがいいと考えたのだろう。
「ちょうどいい、こてんぱんにしてやる」
 指を鳴らしながらにやにやと笑う団員に、レーリはため息を吐いた。
「ジャン。あくまで訓練の範囲でやるように。……返り討ちに合わないといいんですが」
 後半の呟きは、傍にいたガルにしか聞こえなかった。
 新人いびりはするな、と団員には釘を刺していたが、ガルには特になんの注意もない。
「……俺にはなんの注意もないの?」
「あまり怪我をしないように、くらいですか。素人に負けるほど弱くはないと思いますが」
 油断しているようなので、どうでしょうね。意地悪にもレーリはそれを団員たちに教えてやるつもりはないらしい。
 ――なら期待には応えないと、とガルは笑った。



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