魔法伯爵の娘

王太子の戴冠(6)


 ガルがいなくなったことで、薬草園は途端に静かになった。
(……大丈夫かなぁ)
 何も問題を起こしていなければいいんだけれど、と保護者のような心配をしながらアイザは魔法薬に使う新芽を摘み取る。
「随分と上の空のようだ」
「え、いえ、そういうわけでは」
 ファリスに指摘されて、かっとアイザの頬が赤くなる。
 始終くっつかれているのがときどき鬱陶しいと思っているくせに、いざガルが傍にいないと妙に落ち着かないなんて笑えない。
(いやだって、あいつのことだから何かやらかしているかもしれないし……)
 自分に言い訳しながら、アイザは目を落とす。ここがマギヴィルならシルフィが聞いてもいないのに逐一ガルの様子を報告してきたりするはずだ。
 別に心配しているわけではない、とアイザは心のうちで零す。
 ガルは社交的だし、初対面の人でもすぐに打ち解けられる。レーリが連れていった場所が危険なところとも思えないので、アイザが心配するようなことはないのだ。
(……ただ、なんとなく落ち着かないだけで)
 土のついた指先を擦って、乾いた土を落とす。ルーが何も言わずにぴったりとくっついてきたので、情けない顔をしているのかもしれないとアイザは思った。

「戻りました」

 それからしばらくするとレーリが薬草園に戻ってきた。彼についていったはずのガルはいない。
「思ったより早かったな」
「騎士団の訓練にガルを放り投げてきただけですから」
「……ああ、なるほど」
 それならガルも退屈しないはずだ。むしろ薬草園の手伝いをしているよりも楽しめるだろう。
「それよりアイザ、そろそろ衣装合わせの時間ですが」
 レーリが時計を確認しながら告げる。アイザは「う」と呟きながら気まずそうに目をそらした。
「……忘れていた」
「忘れたふりしてすっぽかそうと思ったの間違いでは?」
 図星を刺されアイザは頬を膨らませる。
「レーリは意地悪だ」
 正直、必要なこととはいえドレスなんて柄じゃないし、忘れてしまえるなら忘れてしまいたかったのだ。
 わざわざアイザのためにドレスを仕立てたことも驚きだし、その上しっかり微調整をするだなんて考えもしなかった。既製品のドレスで十分だったのに、と思う。
 しかしすっぽかすという手段もこれで絶たれてしまった。諦めて大人しく衣装合わせに行くしかないようだ。
「すみません、それじゃあ今日はこれで失礼します」
 作業はまだ残っているが、ファリスに頭を下げてアイザは立ち上がる。
 レーリが手を貸してくれようとしたが、丁重に断った。素朴なワンピースに汚れたエプロン姿のアイザが立派な騎士服のレーリにかしずかれるというのも変な話だ。



 用意された部屋に戻ると、にこにこと微笑む侍女たちが三人。トルソーには青いドレスがあった。
 首元まで藍色に染められたレースで覆われたドレスだった。裾のほうへむかってグラデーションになっていて、足元はほぼ淡い水色になっていた。
「……もしかして、わたしがあのドレス着るのか?」
「はい、アイザ様のドレスです」
 侍女はきっぱりと答える。
 アイザは共にやってきたレーリを見た。
「……何かの間違いじゃないか? 大人っぽすぎない?」
「間違いじゃありませんよ」
 レーリもまたきっぱりと言い切るのでアイザは反論できなかった。
 背中は大きく開いていて、スカート部分は白いレースが階段のように広がっている。ふわりとした裾にあるのも花をかたどったレース。ところどころに可憐さを混ぜてある。
「でもわたし、ドレスなら紺色でって伝えていたはずだけど?」
 未熟な魔法使いが纏う色は紺色と決まっている。公式な場ならなおさらだ。
「それじゃ地味すぎると駄々をこねた人がいまして、それでも妥協していただいたんですよ」
(……それってもしかしなくても殿下のことか……)
 さぁさぁお召になってください、と侍女たちに強引に着替えさせられる。レーリはいつの間にか部屋の外に出ていて援護してくれる人もいない。
 汚れたエプロンは剥ぎ取られてワンピースを脱がされる。人前で下着姿になることなんてなかったアイザが縮こまっていても、侍女たちはあっという間にドレスを着せつけた。
「ふむ、なかなかいいセンスをしている。似合ってるぞアイザ」
 まったく味方する気がなかったらしいルーが上機嫌でそう言った。常人には見えていない状態なので、アイザはちらりと彼を見るだけで何も答えなかった。
「手直しの必要はなさそうですね、とてもよくお似合いです」
 ドレスは驚くほどアイザにぴったりだった。どこかが窮屈ということもなく、緩すぎるようなところもない。
 ドレスを作るからと手紙でサイズを教えて欲しいと書かれていたのだが、クリスに言われて事細かに身体のあちこちを測ったのが良かったらしい。
(……すごく高そうなドレスなんだけど)
 裾のレースをどこかにひっかけそうで怖い。
「ああ、よく似合ってますね」
 アイザが呆然としている間にレーリは部屋に入っていて、微笑みながら慣れた様子で褒めてくれる。
「これは、ガルに見せなかったのは悪かったかもしれないですね」
 なんでそこでガルが出てくるんだ、と思いながらアイザは唇を尖らせた。
「……どうせ戴冠式で着るじゃないか」
 本音を言えばこんなすごいドレスは一度着るだけで十分だ。今もどこかを破いたりしないかと気が気じゃない。
「アイザ、その言葉遣いもドレスを着ているときはやめたほうがいいでしょうね。使い分けなさい」
「う。そ、そう言われても……」
「女性らしくとは言いませんから、せめて敬語で話せばいいんですよ」
 殿下と話しているときみたいにね、とレーリは微笑む。
「それじゃあ練習しましょうか」
「うう」
 貴族のマナーなんて知らないアイザは、それを学ぶために戴冠式より早めにやってきたのだ。付け焼き刃でも多少は見えるようにしなければならない。
 戴冠式に着るドレスのまま作法の練習とはいかないので、クローゼットのこやしになっていたドレスの出番だ。
 着替えさせてください、というレーリの指示に侍女たちは力いっぱい頷いた。
「お任せください」
 侍女たちは楽しそうに頷いてクローゼットの中からドレスを選び始める。

 いやまて、そんな明るい色のドレスはやめてくれ。いやそれは可愛らしすぎるだろ、と侍女たちが次々に提案してくるドレスに首を横に振りながら、最終的には落ち着いた菫色のけれど可愛らしいドレスで妥協した。
(だってピンクとか無理だろ……)
 着替えだけでがっくりと疲れながら、アイザは髪を結われる。サイドの髪を編み込んでリボンを飾る程度だが、ドレスの効果もあって随分とお嬢様らしくなった。
「さて、それじゃあ訓練場まで行って帰りに殿下の執務室に寄りますか」
「ちょ、外出るのか!? この格好で!?」
「アイザ、言葉遣い。その姿を見せなかったら私があとからねちねち言われますし。何より人に見られることに慣れたほうが良さそうですからね」
「うぅ……」
 言葉遣いとか気にしている余裕はない。
 少し踵の高い靴に履き替えて、レーリの手を取り立ち上がる。長身の彼はアイザの身長が少したかくなったところで、見上げることには変わりない。
「足元ばかり見ていると、姿勢が悪くなります。前を向いて、少し胸を張って。それだけで綺麗に見えますから」
 ついドレスの裾を踏んづけたりしないかと気になって俯くアイザをエスコートしながらレーリが注意する。
「わ、わかっ……わかり、ました」
 わかった、といつもの調子で言いそうになって言い直す。
「言葉遣いに気を取られて他でボロが出ないように。いざというときは黙って微笑んでいればいいんですよ」
 女性はそれで十分に誤魔化せますから、とレーリは笑う。
 彼のエスコートは見事だった。アイザの歩調に合わせつつ、アイザが転びそうになるとすっと腰を支える。
「……慣れてるんだな?」
「騎士ともなればレディのエスコートくらいできなくてはね」
 荒くれ者の国境騎士団でも? と問い返すのは意地悪だろうか。そんなことを考えていると、金属のぶつかり合う音が聞こえてきた。
「危ないのであまり近づかないように」
 うん、と答えたのか、はい、と答えたのか。無意識だったのでアイザは覚えていない。
 騎士団の訓練場では赤い髪がひらりと踊るように揺れていた。
「……いいように振り回されてますね」
 ガルは体格のいい青年と切り結んでいた。おそらく腕力では騎士団の青年のほうが上だ。しかしガルは一手二手先を読んでいるかのように攻撃を防ぎ、身軽さを活かして動き回って翻弄していた。
 それがまるで、ひらひらと踊っているように見える。
「こっのクソガキすばしっこいな!」
「おっさんはちょっとノロマじゃね?」
「ああ!? 言ったなこの野郎!」
 ガルの挑発にいともたやすくのって、青年は動きが雑になる。にやり、とガルが笑った瞬間に、レーリがパンッと大きく手を叩いた。
「そこまで」
 レーリの声はさほど大きくないのにも関わらず、訓練場に響き渡る。途端に団員たちの視線がこちらに向いて、アイザは思わずレーリの背に隠れた。
「アイザ!」
 しかしガルが気がつかないはずはない。パッと顔を輝かせて駆け寄ってきた。
「甘く見ないようにと忠告したつもりだったんですが……まぁ、ガルは散々団長と稽古していたので、一般の団員では動きが鈍く見えるでしょうね」
「それ言ってくださいよ!?」
 レーリがため息を吐き出しながら零した言葉に団員は食ってかかった。しかしレーリは冷ややかな目でそれを切り伏せた。
「言ったところで結果はあまり変わらないでしょう」
「ひでぇ!?」
 そんなやりとりをしている隣で、駆け寄ってきたガルにアイザは目を丸くした。
「汗、すごいな」
 遠くから見ていたときにはわからなかったが、額から汗が滝のように流れている。アイザと離れてからずっと身体を動かしていたならそれも当然だろう。
(ハンカチかタオルがあれば良かったなぁ)
 などとアイザが考えていると、ガルは服の裾で汗を拭った。
「汚れるから近寄んないほうがいいかも。アイザ、せっかく可愛い格好してるのに」
 さらりと可愛いと言われて、アイザはかぁっと赤くなった。ガルと話していてすっかりいつも調子になっていたが、今自分はドレスを着せられていたのだ。
「お、お世辞はいいから……!」
「え? お世辞じゃないけど?」
 きょとんとした金の瞳には、冗談を言っているような色もない。
(これだから……!)
 馬鹿正直だから困る。嘘じゃないのだとアイザでもわかってしまうから、反論できない。

「……なんですかあのキャッキャッいちゃいちゃは」
 そんな二人のやりとりを見ていた団員が遠い目をしていた。
「本人たちは無自覚ですから触れないように」
 レーリは慣れているのか、顔色一つ変えずにそう言った。


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