魔法伯爵の娘

ひだまりの夢


 ひだまりのあたたかさに包まれて眠っていた。
 そこはどんなことがあっても安全なのだと、信じて疑わない場所だった。ふわふわとやさしいそれはアイザが風邪を引いたりしないように、いつだってあたたかく包み込んでくれる。まるで母親の腕の中にいるように、安心できるところだった。
 記憶の奥の、さらに奥。
 もはやその手触りも匂いも忘れてしまった。物心つく前の、幼い日々。
 父と娘だけだった生活に、かつていたはずの存在。

『  』

 幼い声が呼べば、すぐにやってくるはずだった。けれどある日、アイザが何度呼んでもそれは姿を見せなかった。いじわるしているの? それともかくれんぼなの? とアイザは家のなかを探し回った。

『もういないんだよ、アイザ』

 ――どうして?
 アイザがいい子にしてたら、帰ってくる?

『……もう、帰ってこないんだ』

 すまない。すまない、アイザ。おまえにはまだ必要だっただろうに。まだまだ必要だっただろうに。さみしい思いをさせてしまう。すまない。
 父の何度も何度もかなしげに謝る姿に、アイザはいつしかそれを探すのをやめた。







「――アイザ」
 肩を揺すられて、アイザは目を開けた。
 夢現に、どうして家にいないんだ、と思った。わたしは『  』を探していたはずなのに――と寝ぼけてから、ああそうだノルダインの王都に向かっていたんだ、と思い出す。ここはがたがたと揺れる馬車のなかだ。
 アイザの青い目が、覗き込んでくる金の瞳と交錯する。ぱちぱちと何度か瞬いて、アイザは未だ微睡もうとする夢を追い払う。
「起きた? もうすぐ王都だってさ」
「……ガル」
 目の前の少年の名前を確かめるように呟く。赤い髪を揺らして、ガルは「どうした?」と笑った。
「もしかしてまだ寝ぼけてる? 珍しいな」
「いや、起きた」
 ん、と凝り固まった背を伸ばしてアイザは答える。随分と昔の夢を見たものだ、と苦笑した。
「夢でも見てた?」
「小さい頃の、夢だった」
 へぇ、とガルは呟いた。そして少し躊躇うようにアイザを見つめて問う。
「……嫌な夢?」
「いや? そうでもない」
 母親の腕のぬくもりは知らなかった。けれど、自分を包み込んでくれるあたたかさは知っていた。その記憶はもう靄がかかったようにぼやけて霞んでしまったけれど、それでも忘れていない。
「でもアイザ、なんかかなしそうな顔してるから」
 嫌な夢ではない。
 けれど――そう、かなしい夢ではある。
 当たり前にいると思っていたはずの存在が消えていく。父も『  』も、今はもう傍にいない。
 父は、魔法伯爵と呼ばれた、祖国ルテティアで唯一の魔法使いは、死んでしまった。ひとりの娘を遺して。

「ふたりとも、見えてきましたよ」

 御者台に座るレーリの声に、アイザとガルは外を見た。街を包み込むようにして広がる森の緑と、その北西を流れる涼やかな川。そしてそれらに囲まれた城塞都市のさらに奥に、うつくしい城が見えた。
 ノルダイン王国の王都、ノイシュだ。



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