魔法伯爵の娘

第二章:精霊の瞳(1)


 マギヴィル学園は、ノルダイン王国の首都ノイシュのなかの学生特区にある。学生特区には学園のほかに学生寮と、研究施設、また学生のための商業区もあり、さながらひとつの都市のようでもあった。ここから優れた魔法使い、騎士や兵士が多く輩出されノルダイン王国や他国で活躍している。マギヴィルの名を知らぬ国はないだろうと言われるほどに有名な学園である。

 ガルとアイザがレーリと共にノイシュに到着したときには昼過ぎで、学生特区のなかではちらほらとマギヴィルの生徒らしい人の姿がある。
 その様子を横目で見つめながら、きらりと輝く光にアイザはまただ、と思う。
(……精霊。本当に、当たり前のようにいるんだな)
 ノルダイン王国に入ってからというもの、アイザは毎日精霊の姿を見ている。馬車のなかから外を見たとき、野宿をしているときなど、最初は精霊だと気づかなかった。やはりというべきか、首都に入ってから、特に学生特区に入ってからはその数がぐっと増えた。魔法使いや、その卵たちの魔力に惹かれて集まってくるのだろう。
 精霊は、そのほとんどが姿形のない光のようなものだが、時折おとぎ話に出てくる妖精のような、また、見たことのない昆虫のような姿をしている精霊もいた。多種多様で、これと決まった姿はないようにも思える。
「アイザ? どうした? 腹減った?」
 あちこちを見ながら黙ったままのアイザの顔を覗き込んで、ガルが問う。
「……腹が空いてるのはそっちだろ、ガル」
「バレた?」
 アイザが声を低くして指摘すると、ひひ、と彼は笑う。
 時刻としてはとっくに昼食の時間を過ぎているが、ノイシュへの到着を急ぎ後回しにしたのだ。食い意地のはっているガルのことだ。空腹で、今にも腹の虫が騒ぎ出すだろう。
「学園長に挨拶したら昼食にしますから、それまでは大人しくしてください」
 レーリがまるで子どもの遠足の引率者のように言うのは、ガルのせいだろうなとアイザは思っていた。落ち着きがない彼に困らされたのは、ノルダインまでの道中で一度や二度ではすまない。たまにレーリが注意するときに一緒くたにされて、アイザとしてはいささか不満だった。
 マギヴィル学園はノルダイン王国が誇る素晴らしい学園である。身分に関係なく学ぶことのでき、かなり専門的な勉強もできる。年齢は十三歳から二十歳頃までと幅広く、完全な単位制だ。かなり実力主義で、優秀な人間が集まっている。学ぶ意思のない者は自然とふるい落とされていくのだ。そこへ編入しようというのだから多少無理を聞いてもらったのだろう。
(ちゃんとついていけるといいが……)
 理論的には理解していると思う。魔法を使うこともできるし、実際に使ったこともある。けれどそれは、父の蔵書を盗み見て覚えた、独学のものだ。まったく不安がないといえば嘘になる。
 学生特区には誰もが入ることができるが、マギヴィル学園内部となると話は別だ。壮麗な門と門番がいて、彼らに学生証か通行許可証を提示しなければならない。学生寮も学園の敷地内にあり、警備は厳重だ。
 レーリが三人分の許可証を見せている間、アイザは門に刻まれた文字を見ていた。一見すると文字というよりは紋様のようにも見えるそれに、アイザは見覚えがあった。
(父さんの本にあった……古代文字、だったかな)
 だとすれば、この門そのものが大きな魔法具なのだろう。刻まれた文字は、いわば魔法使いが魔法を使うために唱える呪文だ。やはりというべきか、ルテティアでは見たことのないもので溢れている。不安もある、けれどアイザの好奇心と探究心は刺激を受け続けていた。
「確認しました。どうぞ。――ようこそマギヴィルへ」
「ありがとう」
 最後の言葉はアイザとガルに向けられたものだろう。微笑み返しながら門をくぐる。一瞬、アイザの耳元にある光水晶が瞬いたのは気のせいではないだろう。門の魔法に反応したのだ。
「なんかすげーな」
 ガルも見慣れないものばかりで落ち着かないらしい。きょろきょろを周りを見ることに忙しかった。
 キラッと光ったとアイザが光を感じたほうを見ると、制服に身を包んだ生徒が実技の授業をしているようだった。紺色の制服は、魔法科のものだ。
 ひとりがまた呪文を唱え、魔法を起こす。
「っ!」
 その瞬間、周辺にいた小さな精霊たちは歓喜するようにその場へ集まって輝きを増した。目が眩むほどの光に、アイザは思わず息を呑む。
「アイザ? どうかした?」
「どうって……おまえは平気なのか?」
 獣人であるガルは夜目が利く。その瞳であの光を捉えて、どうしてこんなに平然としているんだろう。
「平気って……何が?」
「何って」
(なんだ? 何か、変だ……)
 噛み合わない会話に、アイザが眉を寄せる。そういえば、前にもこんなことがあった気がする。ヤムスの森で――

「レーリ!」

 廊下の向こうから、レーリを呼ぶ女性の声がした。手を振りながら足早にこちらに向かってくる女性の、艶やかな白銀の髪が揺れる。誰もが目を奪われるであろう、綺麗な女性だった。
「ここにいたのね。ごめんなさい、案内もせず。迷わなかったかしら?」
 親しげにレーリに声をかけていることからして、知り合いなのだろう。レーリも微笑を浮かべて女性に答える。
「大丈夫です。古巣ですから」
「ふふ、そうだったわね。学園長がお待ちよ」
 ふたりの会話を聞きながら、アイザとガルが無言で顔を見合わせる。古巣ということは、つまり――
「レーリってマギヴィルに通ってたのか?」
 我慢できずに口を開いたのはガルだった。その様子に女性がくすりと笑う。
「ええ、武術科に通ってました。タシアン団長もですよ」
「えっ」
 レーリの答えに思わず驚いてアイザは声を上げた。だからタシアンが紹介状を用意したんだろうか。
「私はセリカ・サーベス。彼やタシアンと同じ頃にここに通っていたのよ。私は魔法科だったけどね。今はマギヴィルで教師をしてます。ふたりとも、よろしくね」
(魔法科……)
 アイザはそこでセリカの服装に気づいた。豊満な身体にぴったりと吸いつくような黒のドレス。黒い服は一人前の魔法使いの証だ。魔法科の生徒たちが紺色なのは、まだ一人前と認められていないからだ。
「よろしく、お願いします」
 やや緊張した面持ちで答えるアイザに、セリカは微笑む。
「緊張してる? 心配しなくても私はそんなに怖い先生じゃないわよ?」
「……どうだか」
 ぼそりと小さく呟かれたレーリの声を、アイザは確かに聞いた。アイザの傍にいたセリカにも当然届いていたらしい。にっこりと微笑みながらレーリに詰め寄る。
「レーリ? 何か言った?」
「いえ? 空耳じゃないですか」
 レーリは素知らぬ顔で誤魔化しているが、セリカは「昔っから食えない奴なのよレーリは」とアイザとガルに向かって告げた。レーリが一癖ある性格なのは、ここまでの道中でふたりも十分に知っている。くすくすと笑うと、レーリにじろりと睨まれたのでアイザもガルも慌てて口を塞いだ。
 しばし雑談を交えて歩いていると、セリカがひとつの扉の前で立ち止まった。その扉の上には『学園長室』の文字がある。
「さて、心の準備はいいかしら?」
 セリカが振り返って確認したあとで、コンコン、と扉を叩いた。

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