魔法伯爵の娘

第四章:ルームメイトの秘密(2)


「んー……とりあえずさ、クリス。服着たら?」
 ニーリーがぽいっとクリスに服を投げる。用意しておいた部屋着だろう。ワンピースのようなそれをクリスは無言で頭から被り、肩にかけていたタオルでほどいた髪を拭き始める。その姿はどこからどう見ても女の子だ。
(見間違い……な、わけないよな)
 目の前の現実は、まるで先ほどの出来事を夢だったのだと言いたげにアイザに訴えてくる。正直自信がなくなりそうなくらいにクリスは女の子らしかった。
「夢でも見てたんじゃないかと疑いたくなるくらいに俺が美少女なのは認めるが、夢じゃないぞ」
 可愛らしい少女の口から低い少年の声が溢れ、アイザも改めて認識する。
 ――クリスティーナ・バーシェンは男だ。
「アイザちゃん、ごはんまだでしょー? お茶淹れようか。クッキーあるよ?」
「え、あ、はい……?」
 ニーリーが勝手知ったる我が家のようにお湯を沸かし紅茶を準備し、お茶会のようにクッキーもテーブルに並べられる。
 クリスは部屋着の上にさらにガウンを羽織り、椅子に座ると優雅に足を組んだ。
「……改めて、はじめまして。クリスティーナ・バーシェンだ」
 優雅に挨拶してくるクリスに脱力して、アイザはため息を吐き出しながら椅子に腰を下ろした。
「……本名か? それ」
「偽名に決まってるだろ。クリス・シュロスだ。クリスでいい」
 そりゃあそうだよな、とアイザは苦笑して頭の中を整理する。今までクリスがアイザと遭遇しないように避けていたのは、クリスが男だったからだろう。
(――だけど)
「……なんで男のおまえが女子寮に女子としているんだ。扉の魔法はどうやって潜り抜けた」
 知っての通り、マギヴィルは共学だ。男なら男として通えばいい。そして共学であるがゆえに寮は厳しい管理下にある。
「わからないことはすぐに解決したがるタイプだな、おまえは」
「……先送りにすることでもないだろ」
 そもそもクリスはアイザに説明するためにこの部屋に残っているのだ。ニーリーは先ほどからずっとにこにこと笑っているばかりで話す気配はない。ルーはアイザの足元で丸くなり話は聞いているようだが割って入るつもりはないらしい。
 まぁな、とクリスは小さく同意して答えた。
「その一。俺が女子寮に女子としているのはそれがうちの家の決まりだからだ。成人までは性別を誤魔化して生きることになっている。その二。男を拒むはずの扉が俺を拒まないのは、俺があの魔法を無効化する魔法具をつけているから。もちろん、学長などは俺の事情を知っている。一部の先生もな」
(もしかして、セリカ先生も知っているのかな……)
 病弱な子で、と言っていたのはクリスをフォローするつもりだったのかもしれない。
 アイザはちらりとクリスの後ろで壁にもたれたまま立っている女子生徒を見た。ニーリーと呼ばれていた彼女は、クリスのことは当然のように知っていた。
「……そこの人は」
 ただの女子生徒、ではないのだろう。どう問うか言葉を濁すと、ニーリーは自分に矛先が向いたことに気づき口を開いた。
「あたし? あたしはクリスの護衛」
(護衛……?)
 護衛をわざわざ学園に入学させるということは、それだけの家柄の人間ということだ。生憎ノルダインの生まれでないアイザにはクリスの家名だけでは判断できない。しかし、たかが貴族にこれだけのことができるだろうか。
(だってここは、あのマギヴィルだぞ……?)
 ノルダインだけでなく、他の国々からも人が集まる学園。
「……ニーリー、余計なことを話すな。黙ってろ」
 会話から無意識にあれこれと推測していると、クリスが低い声でニーリーを制した。しかしニーリーは臆することなく頬を膨らませる。
「だってさー。ここまできたら全部話さないわけにいかないでしょ? アイザちゃん馬鹿じゃないもん、誤魔化されないよ」
 ここまで堂々と誤魔化すだのどうのと言われてしまうと、当然アイザも気になる。
 じっ、とクリスを見つめると、クリスは深くため息を吐き出した。目を伏せて、そののち一口だけ紅茶を飲んだあとに口を開いた。
「……俺の正式な名前はクリス・シュロス・ノルダイン。成人していないのでまだ名乗ることは許されてないけどな」
 クリス・シュロス・ノルダイン。
 アイザはその名前を頭のなかで繰り返して、そしてまさか、と口を開く。
「…………ノルダインって、こと、は」
「この国の王子だ。一応な」
 クリスはさらりと言い切ったが、アイザは驚きのあまりに息をするのも忘れた。だがクリスは呆れたようにアイザを見据える。
「そっちだって似たようなもんだろう――アイザ・ルイス」
 含みをもたせたような呼び方に、アイザの混乱はますます深まるばかりだ。
「な」
(知ってる……? わたしのことを?)
 似たようなもの。確かにそうだ。アイザはルテティア王国の、女王の娘。死産として処理されたはずの、第一王女なのだから。
 だがそれは、ルテティア国内ですら、知る者が限られている。だが王城での一件で箝口令が敷かれたものの、噂にはなっているだろう。それがノルダインまで伝わるにはいささか早すぎる。
「なんで知ってるんだって顔してる。存外顔に出るなおまえは」
 くす、と笑うとクリスはやはりどこからどう見ても美少女だ。やわらかそうな金の髪がしっとりと濡れたまま揺れる。
「アイザは正直者でな」
 うぐ、とアイザが口籠っていると、足元で丸くなったままのルーがぼそりと呟く。
(さも今まで見てきたように言ってるけど、ルーだって再会したばっかりだろ……)
「そのようだ。そっちの王太子とは少々懇意にしていてな。一応おまえのことを気にかけてくれ、と言われている。ルームメイトになったのは……たぶん偶然だが」
(殿下……!)
 そういうことは事前に教えて欲しかった、というのは贅沢だろうか。それにしてもタシアンといい、アイザに対して過保護ではないか。
 話を戻すぞ、とクリスが続ける。
「ノルダインは、昔から王の子の情報を成人するまで完全に秘している。俺たちは成人するまでの間、城下の学園で過ごしているんだ。……一種の社会勉強みたいなものだな」
 国民に知らされているのは年齢くらい。性別すら明かされないのだという。
「女装するのも慣例なのか」
 変わっているな、とアイザが呟く。
「性別を偽ることに関しては――それこそ山のように言い訳めいた理由はあるが、聞きたいか?」
 古くから続いている慣習ともなれば、それらしい理由はどんどんとってつけたように増えていったのだろう。ちらりと壁掛け時計を見ると、随分と時間が経っている。
「……とりあえず、今はいい。おまえが趣味でその格好をしてやってるわけじゃないんだろ」
「やるからには完璧にやるが趣味じゃない」
「いや、クリスの美容についてのあれこれは立派に趣味の領域だと思うけど」
 だって女のあたしより肌だの髪だのうるさいもん、と零したニーリーをぎろりと睨んで、クリスはクッキーをひとつつまんだ。
「好きでこの格好をしてるんじゃない。それで、だ」
 つまんだクッキーを口に放り込まず、ひらひらと揺らしてアイザを見る。その緑の目に宿った色は、どことなく不穏だった。――嫌な予感がする。
「本来、俺は男だとも王子だとも誰にも知られずに学園を卒業しなければならない。王子が女装趣味だのなんだのといらん誤解をされるわけにはいかないからな」
「……うん?」
 なんだが怪しい雲行きだな、とアイザは顔を引き攣らせた。
「おまえも知ってしまった以上は運命共同体だ。これからよろしくな? アイザ」
 にやりと笑いながらクリスはクッキーを咀嚼した。




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