魔法伯爵の娘

第五章:精霊の卵(2)


 セリカへの相談を終えると次の授業の準備をするのにちょうどいい時間だった。
(次は精霊学だったな)
 それならばクリスとナシオンが一緒だ。とりあえずふたりに課外授業に出るのか聞いてみよう。おそらく今までの課外授業がどんなものだったのかも知っているはずだ。アテ、とまではいかないが、邪見にはされない程度には親しい付き合いになっている。


「――課外授業? アイザ、出るつもりなの?」
 授業がまだ始まる前の教室には生徒が集まっている。だからクリスは完全に女子生徒になりきっていた。部屋での態度の落差にも、一ヶ月程でどうにか慣れた。
「セリカ先生に出てみたらどうかって言われて……どうしようかと」
 なんだかんだでクリスとの共同生活も二カ月だ。正体を知っている相手だからなのかクリスもアイザと一緒にいることが多くなり、必然的に彼の護衛であるニーリーやナシオンとも打ち解けている。科が一緒なので受ける授業も同じになるし、学園内ですれ違う確率はガルより遥かに高い。
「課外授業かぁ……。当たり外れがあるんだよなぁ……担当する先生によって課題の難易度が変わるから」
 クリスの隣からひょっこりと顔を出したナシオンが教えてくれる。
「参加した生徒の二割しか課題をこなせなかったこともあれば、ほぼ全員できた、なんてこともあるのよ」
「でもそれなら、担当する先生によって事前に対策できるんじゃないか?」
 マギヴィルの教師はそれぞれ専門分野に特化した人が多い。性格もかなり個性的なので、癖さえ把握していれば課題の内容を予測するのは難しくないだろう。
「それくらい皆考えるわ。だからどの先生が担当するかは当日まで秘密なの。しかも武術科との合同だから武術科の先生だったりするし」
「基本的に隣の森を使うんだけどね。授業にやってきた格好のまま、森で翌日の昼まで過ごすっていう課題もあったなぁ……」
(それは武術科の先生が担当だったんだろうな……)
 なるほど、確かに先生の個性が顕著に出る。
「魔法科の女の子たちが嫌がって半分くらい辞退したやつね」
 魔法科は貴族出身の者が多いので、一部の生徒には野外で一晩過ごすなんて耐えられなかったのだろう。アイザにしてみれな既に経験済みということもあり、別段難しい課題でもない。その他にもふたりの話によると、珍しい薬草を見つけてくるものであったりとか、定められた場所まで辿り着くものであったりとか、内容は実に多種多様だった。
 ふぅん、と相槌を打ってアイザは思案する。話を聞く限り、課外授業は博打のようなものだ。
「……アイザが出るなら私も出ようかな。一緒に組んでくれるんでしょう?」
「あ? ……ああ、クリスがいいなら」
 むしろそれを相談しようかと思っていたところだ。
「え? 出るんですか。今回はいいやって言ってたのに」
 ナシオンが驚いたように目を丸くして身を乗り出した。その顔にはわずかに面倒ごとはごめんだと書いてある。
「だって、アイザがいたら多少難しい課題でも大丈夫だと思うし」
 ねぇ? と首を傾げてクリスが見つめているのはアイザではなく、アイザの足元でおとなしく丸くなっているルーである。いっそ清々しいほどにわかりわすい。
「……クリスがあてにしてるのはわたしではなくてルーだな」
「当たり前じゃない。そんな高位の精霊が味方につくなら百人力でしょう?」
 確かにルーはしばらくマギヴィルの隣の森で過ごしていたようだし、彼にとっては慣れ親しんだ場所だ。難しい課題であってもなんなくこなせるだろう。
(だけどそれって、なんか――)
「……ズルっぽくないか……?」
 もともとアイザにはルーに協力してもらおうという考えはなかった。契約していつでも一緒にいるが、アイザがルーに何かを求めることはほとんどない。目の調整だけはルーが勝手にやってくれている。
「その精霊と契約できたのはアイザだけで、それはアイザの力なんだからズルではないし存分に使うべきだと思うけど?」
 何を言ってるんだという顔でクリスはため息を吐き出した。
「クリスなんて無条件で俺とニーリーがついてくると思ってるんだよ」
 勘弁してほしい、とナシオンが愚痴を零している。
「……思っていたけど、クリスって友達いないよな」
「おっ……」
 一瞬、クリスの被っていた猫が剥がれかけた。こほん、とそれらしく咳をしてクリスは頬を引きつらせる。
「アイザには言われたくないかなぁ……! まったくいないわけじゃないし」
「クリス、俺やニーリーは友達に数えたらダメじゃないかな」
「……ナシオンはひどいのね、私は仲良しの友達だと思ってるのに」
 悲しげに目を伏せながら、机の下ではクリスがナシオンの足を思いっきり踏みつけていた。ナシオンが痛みに耐えて声を殺している。
「まぁわたしもガルやクリスくらいしか友達と呼べるような人はいないし、似た者同士だな」
「え、俺とかニーリーが友達と認識されてないの?」
 アイザのセリフにナシオンが痛みに耐えながら顔をあげたので、アイザも「え」と困惑する。
「クリスとナシオンが友達じゃないならわたしなんてなおさらじゃないか……?」
 クリスは頬杖をつきながら「バカ」と小さく呟いた。うん? と首を傾げながらアイザはさきほどの会話を頭の中で繰り返す。
(ああ、そういうこと……)
 ナシオンやニーリーはクリスの護衛だ。表面上は友達のように接しているけれど、実際は護り護られる相手である。だからナシオンは友達という言葉を否定したのだ。
(でも仲良いから忘れるんだよなぁ)
 ナシオンとニーリーの本領が発揮された場面に出くわしていないというのもあって、彼らは仲の良い幼馴染のように見える。
「……アイザが釣れたら、自動的にもう一匹釣れるでしょうね」
 嫌そうな顔を隠さずにクリスが言うので、アイザは首を傾げた。もう一匹、とは誰のことだろう。その様子にクリスは呆れ、ぐぃっとアイザを引き寄せて耳元で囁く。
「あの犬っころがおまえにくっついてこないわけないだろうが」
 犬っころ、が指すのはもちろんルーではない。
「……ガルのことか」
 ぱ、とクリスはアイザを離すとしっかりと頷いた。
 初対面のアレ以来、ガルとクリスは仲が悪い。ニーリーが言うことには「喧嘩するほどなんとやら」だから放っておけとのことだった。少なくともクリスはそこまで嫌っていないらしい。
「ガルも参加するかな……?」
「アイザがするなら絶対するでしょ」
 クリスがきっぱりと断言する。仲が悪いのにどうして断言できるんだろうなぁ、と思っていたところでベルが鳴った。先生がのそのそと教室に入ってくる。

 精霊学の教師であるレオニ・レナードは癖のある白髪がいつもぴょこぴょこと跳ねている、初老の男性だ。今日は左側の髪がものすごいことになっている。
「はい、では今日は精霊の揺り籠、精霊の足跡といった話から始めますよ」
 精霊学は実技のない座学のみの授業だ。だからアイザもマギヴィルに来てすぐに受けることにした。まだルーに再会する前から、精霊については詳しく知りたかったのだ。
 ヤムスの森で出会った精霊。魔法を使うためには欠くことのできない存在。そして、精霊を映す自分の目。どうにもアイザは精霊との縁が深いようで、ならばその存在について学ぶことは避けられないし、避ける気もなかった。
(とりあえずガルにも聞いてみようかな……)
 黙って参加を決めたら、過保護な彼のことだ、あとあと騒ぐことになるだろう。




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