魔法伯爵の娘

第二章:精霊の瞳(2)


「――どうぞ」
 扉の向こうには、白髪交じりの男性が椅子に腰掛けていた。澄んだ翠の目がアイザを見つめた。
(すごい……)
 アイザは学園長室に入ると、思わずそのなかを見回してため息を零した。壁に埋め込まれた本棚のたくさんの希少本や、棚に飾られた魔法具。それだけでも目を奪うには充分なものだったが、それだけではない。
 学園長室のなかに、精霊がいた。それはそのあたりにいるような小さな精霊ではない。ふわりと優雅に飛んでいるのはうつくしい朱色の鳥だった。そして、学園長の机の端には人魚のような少女が座っている。大きさは子どもほどだが、見た目はほっそりとした少女そのものだ。
「レーリ・ロイド。久しぶりですね。元気そうで何よりです」
「お久しぶりです、学園長先生」
 学園長の眼差しがレーリに向けられると、彼は生真面目な挨拶を返した。
「彼らがタシアン・クロウの紹介のふたりですか。まったく、なかなか面白い子を連れてくる」
 くすくすと目尻に皺を寄せ、学園長はガルを見た。ガルはいつもよりわずかに緊張した面持ちで背筋を伸ばす。
「獣人の子を預かるのはこの学園の長い歴史の中でもはじめてです。ガルくん、でよかったかな」
「はい」
 はっきりとした返事に学園長は微笑むが、声は厳格な教育者のものだった。
「学園は規律の中での生活になります。これまでのように自由にできないことも多い。それでもここで学ぶことを望みますか」
 それはおそらく、ある程度ガルのこれまでの生活を知った上での問いなのだろう。ガルはあの小さな村で、生活するために必要なことをこなしていたとはいえ、自由気ままに生きていた。
「学校は……その、いろんなことを勉強するためにあるんだろ。そこに多少の制限があるのは当然で……それが嫌なら、はじめからここに来てないです」
 ガルは気分を害したような様子もなく、その問いを想定していたかのようにはっきりと答えた。その返答に、学園長は満足気に微笑む。
「よろしい。では、アイザ・ルイス」
「……はい」
 名乗るまでもなく、確認するわけでもなく、学園長はアイザを呼んだ。
「あなたについては聞くまでもないでしょう。ルテティアでは学べない魔法を学びに来た。そうですね?」
「はい」
 しっかりと頷くアイザに、学園長は「ふむ」と顎に手をあて提案した。
「では……そうですね。何か簡単な魔法を使ってみせてください。ここはもうノルダインです。精霊たちはたくさんいる」
 言外に精霊のいないルテティアのことを匂わせていた。どきりとしながらアイザは口を開いた。
「わたしの魔法は、本で学んだだけのものですが、それでも?」
「もちろん」
 にっこりと学園長は微笑んだ。実力を確かめるためなのか、それともただの気まぐれか。計り知れぬ微笑みの意味を探ったところで無駄だ。
 アイザは深呼吸して、手のひらを広げる。耳元の光水晶が青く輝いた。
「《氷の華、薔薇の花、この手に咲いて綻んで》」
 言葉を紡ぐと、途端に精霊たちはアイザを包み込む。眩い光は、あっという間にアイザの視界を奪った。
「っ!」
 思わず片手で目を覆う。ぎゅっとアイザが目を瞑って一呼吸したあと、アイザの手のひらには氷で出来た薔薇の花があった。
 その様子に学園長が「やはり」と頷いた。
「アイザ・ルイス――あなたは精霊が見えていますね?」
 え、と声を漏らしたのはアイザだけではなかった。セリカが驚いたように目を丸くして、ガルも口を開けてほうけていた。レーリだけが顔色ひとつ変えずにいる。
「……普通は見えているものじゃないんですか?」
「え、いや、見えないだろ。アイザ精霊が見えんの!? 今も!?」
 おずおずと学園長に問うたアイザに、間髪入れずにガルが答えた。その答えに今度はアイザが驚く番だった。
(見えて、ない……?)
 だって、こんなに普通に当たり前にいるのに。
「魔法使いのなかには、魔法を使ったときに精霊が放つ光を認識できる者はいます。だがそれは認識しているのであって、見えるではありません。あなたは、常日頃から精霊や、精霊のまとうひかりが見えてますね」
「……はい」
 こうして話している今も、アイザは精霊は見える。学園長室には高位の精霊がいるからか、先ほど集まってきた光だけのような小さなものはすぐに姿を消した。
「彼女は精霊の瞳を、持っていると……?」
 セリカが驚き目を丸くしていた。その隣にいるレーリは、どこかわかっていたかのようだった。
(精霊の瞳……?)
「何千人、何億人に一人という割合で、精霊を見ることができる人間が生まれることがあります。さきほどからあなたは私の精霊を見ているようだったので、もしかしたらと思ったんですが」
(ああ、やっぱりこの精霊たちは学園長が契約してる精霊なんだ)
 魔法使いの中には特定の精霊と契約し生活を共にすることがある。そういった精霊はもちろんある程度の知能があるもので、彼らが望めば万人に見えるようにもできるはずだ。ヤムスの森の精霊のように。
「精霊が見える人々は、たいてい成長の過程で『見え方』の調節を覚えるものなんですが……まぁ、あなたの場合は調節ができないままなのも無理はありませんね」
 学園長が苦笑して立ち上がる。精霊のいない国で、そもそも精霊が見えることすら知らずに育ったのだ。当然調節の方法など覚えるはずがない。学園長は戸棚をごそごそを探り、ひとつの箱を取り出した。
「これをあなたに貸し出しましょう」
 開けてみなさい、という言葉に従いアイザはおそるおそる箱を開ける。
「なにそれ、眼鏡?」
 隣にいたガルがアイザの手元を覗き込んで呟く。それは、何の変哲もないただの眼鏡に見えた。
「普通の眼鏡に見えますが、れっきとした魔法具です。あなたのような人間が調節できなくても生活できるように」
「どうしてこれが……」
 眼鏡を見下ろしてアイザが呟く。精霊が見える人間は、多くないのだという。ならばなぜ、そんな人間のための魔法具が保管されているのだろう。
「先ほども言ったように、精霊の瞳を持つ人間は稀に生まれます。かつてもこの学園にいました」
 アイザが促されるままに眼鏡をかけると、先ほどまで見えていたはずの精霊の姿が消えた。おそらく今まで常に視界の端に捉えていた光も見えなくなっているだろう。
「あなたが学園の生活に慣れる頃には、それも必要なくなるでしょう。どうやらあなたは放出することは苦手でも、制御することは完璧らしい」
「……父が、魔力の制御だけは教えてくれました」
 それは幼い頃からしっかりと、呼吸するように当たり前に制御できるほどに。子どもが抱えるにはあまりにも大きな魔力を、きちんと制御できるように。そうでなければアイザは無意識に魔法を使い命を削り続けていただろう。
「アイザ、あなたは魔法を使ったことがありますよね」
「はい」
「あのルテティアで?」
 あのルテティアで。あの、精霊のいない地で。学園長は笑みを崩さずに冷ややかに問う。
「……はい」
「己の魔力を削った。そういうことですか」
 それは罪を弾じるにはやさしく、しかしそのやさしい声音がなおさらアイザの胸を刺す。知らなかったこととはいえ、アイザは父の言いつけを破った。魔法を使ってはならない、あれは、アイザに魔力を、命を削らせないための父のやさしさだったのだ。
「……そう、なります」
「それは、マギヴィルでは、いいえ、魔法使いとして生きるのならば、それは最大の禁忌です。いいですか、アイザ。二度と行わないと誓いなさい」
「もちろん」
「……まぁ、精霊がいる地で魔法を使う限り、その心配はなさそうですね。さきほどの魔法も、本来ならば必要ないくらいの精霊が集まっていたようでした。あなたの制御がうまくいかなければ、きっとこの部屋は氷の薔薇で埋め尽くされていたでしょう」
 魔法を使っている最中に、アイザは目を瞑ってしまった。それは並みの魔法使いならば制御を失い魔法が暴走する可能性もある行為だ。
「……それだけ彼女の魔力が高いということですか」
「それだけではありませんよ、サーベス先生。おそらく彼女の魔力は精霊にとって、とても魅力的なのでしょう」
 あのリュース・ルイスの娘ですからね、と学園長が笑みを零した。
 精霊の瞳を持ち、類まれなる高い魔力を有する。まるで魔法使いになるために生まれてきたような少女。
 アイザ・ルイス、と再び名を告げられる。
「どうやらあなたは、とんでもない金の卵のようだ」



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