魔法伯爵の娘

第五章:精霊の卵(5)


 精霊たちが深い森の中をくるくると踊るように飛びながらアイザたちを導いていく。先ほどまでは遠くから他の生徒の声が聞こえたが、今はそれもすっかり聞こえない。自分たちが吐き出す呼吸の音と、草を踏む音ばかりが耳に纏わりつくようだった。加えて、アイザには楽しげな精霊たちの笑い声が聞こえる。
 ヤムスの森よりもずっと、精霊の気配が濃い。以前にこの森へ入ったときは周囲を観察するような余裕はなかったが、今はひとりではない。ルーもガルもいる、ということが妙な安心感をアイザに与えていた。
<――こっちよ>
 くん、とアイザの濃い灰色の髪が精霊に引っ張られる。精霊は楽しげにアイザたちを森の奥へ誘う。アイザの前をルーが歩き、ガルはしっかりと手を繋いだまま隣を進んだ。


 半ば冗談のつもりで『何かないか』と精霊に問いかけたのだが、どうやら本当に特別なものとやらがあるらしい。それでは皆で行ってみようかとアイザは提案したのだが、そこにニーリーがまったをかけた。
『それが課題をクリアできる類のものかわかんないしさ、とりあえず別行動にしない?』
 時間制限は特にかけられていないが、時間がかかればかかるほどめぼしいものは他の生徒に見つけられるかもしれない。早く見つけるにこしたことはなかった。
『それにまぁ、精霊が誘っているのはアイザちゃんなわけでー。あたしたちまでぞろぞろついていくのはどうかなって』
『おまえ……珍しくまともなことを……』
 感心したように呟くクリスに、アイザも正直同意しかけた。精霊に聞いてみたら、と冗談めかして言い出したのはニーリーである。
『おーし、クリス。あとで覚えてなさいよ』
 拳を握り締めながらクリスを睨みつけるニーリーの隣で、ナシオンが苦笑した。
『北のほうに精霊が多いのはわかったし、別れたほうが効率はいいだろうな』
 精霊の多い森とはいえ、精霊の痕跡が数多くあるとは限らない。
『それにあんまり楽をするのはクリスのためにならないしー』
 ちょっとは苦労させないとね、と笑うニーリーにクリスは嫌そうに顔を顰めた。普段苦労させているのは誰だ、と今にも怒鳴りそうだ。
 それならば、とアイザはクリスたちとは別れて、精霊たちの言う特別なものとやらを見に行くことになった。アイザから離れないガルとルーはもちろん一緒である。


「アイザ、そこ気をつけて」
「うん」
 アイザの手をしっかりと握りながらガルが足元の木の根を指差す。ルーが先頭をきって、手を繋いだガルが一歩先をゆくことで、アイザの足元はかなり歩きやすくなっている。
(本当にこのふたり、過保護だよなぁ……)
 ガルやルーに比べて森に慣れていないアイザにとっては、確かに歩きなれない場所ではあるが、行く先々の石ころさえ取り除こうかという勢いの過保護っぷりである。
 どんどん進むにつれて、アイザの目に、精霊たちのひかりが多く見えるようになってきた。濃くなるそれらの気配は、どんどん人が近寄らない場所へと近づいている証拠だろう。
<――もうすぐなの>
 ふふ、と楽しげに笑った精霊の言葉にアイザは首を傾げた。もうすぐ着く、とは別の意味合いのようだったのだ。
「……もうすぐ?」
 精霊がふわりと微笑み、数歩先のひとつの木の根にある、人の拳よりひとまわりほど大きい蕾を指差した。アイザが見つめる先にガルも気づいた。
「それ?」
 ガルが不思議そうに蕾を見た。見たことのない花ではあったが、花と言われればそのまま納得できそうなものである。
「これは……」
 ルーが驚くように声を漏らした。やわらかな白い花弁の奥で、何かが淡くひかりを纏っている。アイザの目には、そう見えた。
「これ……?」
 気安く触れてよいのかもわからず、アイザは困ったようにルーを見た。ルーはふむ、と驚きを飲み込んで頷く。
「精霊の卵だ」
「卵?」
 食えるの? とでも言い出しそうなガルに、ルーは訥々と説明を始める。卵とはいえ、見た目は花そのものだ。木の根の合間から茎を伸ばし、アイザの膝ほどの高さがある。
「精霊の誕生は、これといった方法が決まっているわけではない。泡沫から、朝露から、蕾から、あるいはあるとき突然生まれ出ることもある。これはそのひとつだ」
 すん、と蕾に鼻を寄せて、ルーは「風の眷属だな」と呟いた。
(匂いでわかるんだ……)
 興味津々に精霊の卵を覗き込むガルの手を、アイザは止めるように引っ張る。下手に人間が触れて悪い影響があってはいけない。精霊たちがどういう考えでアイザをここに連れてきたかはわからないが、本来これは人目につくものではなかったはずだ。
「この様子なら、あと数日で花開くだろう」
 白い花弁はやわらかく膨らみ、今にも咲きそうな気配がある。とくんとくんと、まるで鼓動のように奥のひかりが瞬いていた。
「……他の生徒に見つからなければいいけど」
「そんなにすごいものに見えないし平気じゃね?」
 やはり蕾の奥のひかりはガルには見えていないらしい。そもそもここは精霊たちの案内がなければ辿り着かなかったような奥地だ。今日の課外授業による影響はあまりないと思いたい。
「無事に咲くといいな」
 あともう少しで咲く蕾を激励するように、アイザは直接触れない程度の距離で蕾を撫でる。そっとかざした手のひらにも精霊の気配は感じられた。
 まるでそのアイザの声に応えるように、蕾が瞬く。それと同時に、アイザの耳元の光水晶が瞬いた。
「え?」
「あ?」
 隣にいたガルも光水晶の瞬きに気づき、目を丸くする。魔法を使うときと同じような、はっきりと鮮やかな輝きだった。青みを帯びた緑は、ちょうど白い花弁の奥のひかりと同じ色である。
 やわらかく、しかしまだかたいはずの蕾が、ほろりほろりと綻んだ。一枚一枚、世界がその誕生を歓迎するように両手を広げるようにして花開いていく。
(え、だって、まだ……)
 咲かないはずでは、なかったのか。
 驚きで蕾から目を離せずにいるアイザの前で、それはとまることなく花弁を広げた。すべての花が開いた瞬間、淡い青緑色のひかりを纏った小さな女の子が現れる。背には蝶のような薄い半透明の翅がある。
 金緑の瞳がきょとん、とした顔でアイザとガルを見上げた。ぱっちりとしたまあるい目がアイザの青い目を見つめてくる。精霊はアイザから目を離さず、じぃっと見つめたまま口を開いた。
「……パパ?」
 と、生まれたばかりの精霊はアイザを見て首を傾げ、
「ママ?」
 と、ガルを指差した。
「パッ……?」
 何がどうしてそうなる、とアイザが口をぱくぱくさせていると、ガルが真顔で「いや」と答えた。
「性別的には俺がパパでアイザがママだろ」
「それも違う!」
 間髪入れずにアイザが否定するが、精霊とガルは何が違う? と言いたげに首を傾げている。その顔は親子かと言いたいくらいにそっくりだった。
「アイザがパパのほうがいい?」
「いや違うそれは合っているけどそもそもパパでもママでもないだろ!」
 性別的には間違っていないが、根本的に違う。
「……アイザの魔力に当てられて目覚めたようだな」
 ため息を吐き出しながらルーが精霊を見る。幼い女の子のような姿をしているその精霊は、ルーを見て「もりのおう」と呟いた。ルーが高位の精霊であることを認識しているようだった。
「……シルフィのママじゃない?」
 シルフィ、というのはこの精霊の名だろう。金緑の目がアイザを見上げて問いかけた。その不安げな目に心が痛むが、アイザは断じて母親でも父親でもない。パパからママになったことにほっとすればいいのか、それも違うと否定すればいいのかアイザは顔を顰めた。
「似たようなものだな。アイザが呼び起こしてしまったのだから」
「ルー!」
 ルーの肯定に近い返答にシルフィはぱっと目を輝かせる。懐かれても困るのだ。
(ええと、名前を持っている……ということは少なくとも下位の精霊じゃない)
 精霊学の授業を思い出しながら必死でアイザは冷静になろうと努めた。精霊はそのすべてが名を持つわけではない。生まれながらに名前を知っているもの、徐々に力を身に着けて名を持つようになるもの。名前は存在を明らかにするものだ。それは精霊にとっても例外ではなく、アイザたちをここへ連れてきた精霊たちには名はないだろう。
「パパ!」
 頭痛の種のシルフィは無邪気にガルにくっついていた。いやだから、それはパパじゃない。
「……あれ? なんでガルも見えているんだ?」
 落ち着いてくると、そのおかしさに気がついた。ガルは精霊が見えないはずだ。それなのにシルフィのことはしっかりと見えているし、声も聞こえている。
「そういえばなんでだろ」
 ガルもそのことに気づいていなかったらしい。首を傾げながら指先でシルフィとじゃらけている。
「生まれたばかりで精霊と人と区別できていないのかもしれんな。もとより少年は人とは違う気配の者だ」
(シルフィが意図して姿を見せているわけじゃないのか……)
「で、この子どうすんの?」
 ガルの問いに、アイザは困ったように言葉を濁らせる。
「どうするって……」
 精霊そのものなのだから、課題で求められている『精霊がいると証明するもの』にはなりえない。となれば、連れて行く必要もない。
「シルフィはママとパパと一緒にいる!」
 引き離される気配を察したのか、シルフィがべったりとアイザの頭にくっついてきた。
「……いやだからママじゃないし……」
「アイザ、動物を拾ったときは最後まで面倒みろってイスラおばさんが――」
「いやだから拾ったわけでもないし」
 どうやらシルフィの味方らしいガルに脱力しながら、アイザはいちいち否定するのにも疲れ果てていた。そんなアイザの様子にルーは微苦笑しながら慰めるようにアイザに手を舐める。
「もともと風の精霊は気まぐれなものだ。そのうち飽きて飛び去るだろう」
「……だと、いいな……」
 少なくともべったりと頭に張り付いたままのシルフィに、今のところその気配はない。どうにも賑やかになっていく自分の周囲にため息を零しながらアイザは肩を落とした。


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