魔法伯爵の娘

第五章:精霊の卵(6)


「……なにがどうしてそうなった」
「……わたしも知りたい……」
 クリスと合流したあとの第一声に、アイザはため息を零した。シルフィはきゃきゃっと嬉しそうにガルにじゃれついている。
「おまえは精霊に好かれるんだな……」
 呆れたようなクリスの声に、アイザは目を伏せた。
(好かれている、のかな……)
 思い出すのはヤムスの森での、魔法使いを拒む精霊たちの声だ。あの森の精霊たちはリュース・ルイスを――その血に連なるアイザを憎んでいるようだった。ルーはアイザの親代わりのようなもので、シルフィは生まれたばかりのところを雛鳥のように刷り込みしてしまったにすぎない。とても精霊に好かれるなんて、アイザは思えなかった。
 沈みかける思考を振り払うようにアイザは首を振って、顔を上げた。
「それで、そっちは何か見つかったか?」
「精霊の足跡がひとつ、かな」
 アイザの問いに、ナシオンが見つけたらしい枝を掲げてみせた。枝の先にある葉の一枚が、七色に輝いている。
「ひとつで十分だろうし……それなら戻ろうか?」
 結局アイザやガルは何もしていないような気もするが、多くを見つける必要はない。
「そうだな。アイザのおかげで早く終わった」
 クリスの上機嫌な様子に、アイザは「え?」と目を丸くする。
「わたしは何もしてないけど」
「馬鹿か。おまえが目星をつけたから、こうして早く見つかったんだろうが」
「あ」
 言われるまでそんなこと忘れていた。むしろその程度のことでは、『何かした』うちに入るとは思っていなかった。
(だって、わたしは見えたものを伝えただけだし……)
 それが役に立ったといえばそうなのだろう。だが実際に精霊の足跡を見つけたのはクリスたちだ。
「謙遜はアイザの美点だが、もう少し自分を誇りなさい」
 ぺろりとアイザの手の甲を舐めながらルーにがやんわりと諭してきて、アイザは思わず苦く笑った。ただ見ただけだ。けれどそれが結果的に課題を有利に終わらせることにつながったのだから、少しは誇っていいのだろうか。
「今日ってこれのおかげで一日授業出なくてもいいってことになってんだよな? 思ったより早く終わったけど、どうすんの?」
 課外授業が始まって、まだ一時間くらいしか経っていない。普段ならばちょうど一番最初の授業が終わるくらいの時間だ。近くに他の生徒の姿はないが、まだ探している者のほうが多いだろう。
「え? どうするって……早く終わったんだから受けられる授業は受けるけど」
 当たり前のように答えたアイザに、問いかけたガルだけでなくその場の全員が渋い顔をした。
「……真面目だねぇ」
「優等生っていうんだよ」
「こういうときこそ堂々と息抜きするもんだけどな」
 棒読みのニーリーや、苦笑しながらフォローしてくれるナシオン、はぁ、と呆れたようにため息を吐き出すクリスに、アイザはなんと言っていいか分からず曖昧に笑った。
「まぁ、心配いらないよ。授業を受けに行く暇はないと思うし」
 ニーリーがくすくすと笑いながら口を開いた。アイザは意味が分からず問いかけたところで、クリスが何かを察したように声をあげた。
「おまえまさか――」
「そのまさかまさか」
 楽しげに告げながらニーリーはぱちり、と指を鳴らした。まるでショーを始める前の道化師のように、片手を上げて笑う。
「君たちは追加で試験ってとこかな。こっちの課題はちゃあんとあたしとナシオンが先生に報告しておくから、安心してね」
「ニーリー……!」
 クリスが低く吐き出すとほぼ同時に、周囲に自分たち以外の気配を感じた。生徒でも、精霊でもない。
「アイザ!」
 ガルが警戒するようにアイザを引き寄せる。その瞬間に、アイザの傍にいたクリスの足元に短剣が刺さった。
「ごめんねー、本当は二人は関係ないんだけどさ。とある方がご所望でね」
 アイザやガルにはさっぱり理解できない。けれどクリスは既に何が起きているのかわかっているようだった。苦々しい表情で周囲を睨み付けている。
「クリス、これはどういう――」
「話はあとだ。走るぞ!」
 クリスが駆け出した途端、真っ黒な衣装を着た男たちが飛び出てきた。その手にはそれぞれの得物がある。明らかに異質なその男たちを前に、アイザやガルも思わず駆け出したが、その後ろでニーリーがひらひらと手を振り、ナシオンが申し訳なさそうな顔をしていた。




 動きにくいスカートを物ともせず、クリスは先頭をきって森を駆け抜けていた。
「どういうことだ! これは!」
 真っ先に息を切らしたのは、もちろんアイザだった。最初はガルに手を引かれて全力で走ったが、それも五分も走り続けると二人に追いつかなくなって、今は大人しくルーの背に乗っている。
 背後からは時折、短剣や矢が飛んでくる。それでもアイザが命の危険を感じないでいるのは、殺気を感じないからだ。
「なんなんだいったい! 追いかけてくる奴らはなんだ!」
「アイザ、その前に目くらましとかなんか出来ない?」
 ルーと並走しながら、まだ少しも息も切らしていないガルが口を開いた。クリスも同意するように頷く。
(……確かに落ち着いて事情説明なんてできる状況じゃないか)
 授業以外で魔法を使うのは久しぶりだ。緊迫した空気もあって、アイザはごくりと唾を飲み込んだ。
「アイザ、魔法を使うまでもない。精霊たちに頼んでみるといい」
 どんな魔法が一番効果的だろうと考えた始めたアイザを乗せたままルーが告げた。
「……精霊に?」
 言われて思わずシルフィを見ると、シルフィはにこにこと笑ってアイザのほうへと寄ってきた。
「なぁに? シルフィなにか手伝う?」
「え、いや……」
(この子に頼んで出来るのかな……無理かな)
 ここは精霊の多くいる森だ。確かに精霊を味方につければ百人力だろう。
 アイザは苦笑したあとで、一度目を閉じた。見えないように意識していた目を、見えるようにと切り替えて瞼を押し上げる。自分たちの周囲には相変わらずたくさんの精霊がいた。アイザと目が合うと嬉しそうに精霊は笑う。
「《やすらぎの森のやさしい精霊、わたしたちを守って、追っ手から姿を隠して》」
 魔法ではない。だが、魔法を使うときと同じように精霊たちに乞う。アイザの纏う魔力に引き寄せられるように精霊たちが集まり、そしてその声に応える。
(魔法を使うときと似てる)
 ふわりとやさしい風がアイザたちを包み込む。木々がざわざわとざわめいて、他人には感じさせないほど緩やかに、しかしはっきりとアイザたちは隠された。
「……もう、止まっても大丈夫か?」
 肩で息をしながらクリスが問う。アイザは周囲を見てこくりと頷いた。
 おそらくクリスやガルには見えないのだろう、アイザたちはたくさんの精霊たちに囲まれていた。彼らが意図的にアイザたちをその他のものから隠してくれている。
「先に聞くけど、クリス。追っ手に魔法使いはいるか?」
「……おそらく。なんでだ」
「精霊たちがわたしたちを隠してくれているけど、魔法使いがいればそれに気づかれるかもしれない。そんなに長くは持たないと思う」
 魔法を使ったわけではないので、精霊たちに対して拘束力はない。ただアイザは協力を求めただけだ。近くで他の魔法使いが魔法を使おうとすればそちらに引き寄せられる精霊もいるだろう。そうすれば当然綻びが出来る。
「……わかった、なら手短に話そう。聞きたいことは?」
「ニーリーやナシオンは? おまえの護衛だろ?」
 アイザたちが駆け出すとき、二人はついてこなかった。それどころかニーリーはこの事態を知っていたかのような様子だった。
「あいつらは不測の事態において俺が危険な目に遭わないように護るための護衛だ。今回は違う」
「違うって……」
 現にクリスは襲われている。それなのに護衛の彼らが護衛対象であるクリスを護るために傍にいないというのはおかしい。
「今回のこれは――言うなれば意図的に俺に与えられてる試練だ。これくらいのことを自力で乗り越えなければ王家の一員とは認めないってな」
 疲れた顔で説明するクリスに、アイザもガルも思わず「は?」と口を揃えた。
「……こうして身分を隠して生活する上で、もちろん俺の正体に気づいた人間に襲われることもある。護衛はつけるが基本的に自分の身は自分で守れってことだ」
 王族ともなれば身に迫る危険は多くある。それらを踏まえた上での訓練のようなものだ、とクリスはため息を零した。
(それはまた、たいへんだなぁ……)
 アイザは他人事のように思う。実際巻き込まれなければ他人事だ。
「じゃあなんで俺たちまで巻き込まれてんの?」
 ガルが不機嫌を隠さずに声を荒げた。アイザも同意するように頷いた。クリスに与えられた試練に、アイザたちが巻き込まれる理由がわからない。
「今まで一年以上正体を知られずに過ごしてきてたのに、おまえらにはバレたし――その上で俺が交友関係を続けているからだろう」
 アイザはふと、正体を知られても平気だと思える交友関係を築くことも成人までに与えられた課題でもある、とクリスが以前言っていたのを思い出した。つまり自分たちは王子としてのクリスの友人として相応しいかどうか試されているということだろう。
「俺はおまえと友だちになった覚えはないけど」
「奇遇だな、俺もだ」
 険悪な雰囲気のガルとクリスを見ながらアイザはため息を吐き出した。一見仲は悪そうだが、息がぴったりすぎて誰も友人じゃないなんて思わないだろう。
「こんなときに無駄な会話するなよ……それでつまり、どうすればいいんだ?」
 そろそろかくれんぼも限界だろう。散らばり始めた精霊たちに、ちらりと周囲を見てアイザが問う。
「寮まで逃げ切れば向こうも手出し出来ない」
「じゃ、寮まで追いかけっこか」
 はぁー、とめんどくさそうにガルが息を吐き首筋を掻いた。クリスは頷きながら零れてきた髪を払う。ルーの上に乗ったまま二人を見て、アイザは笑った。
(やっぱり、似てると思うんだけどな二人とも)
「おにごっこ?」
 楽しげにガルにくっつくシルフィが首を傾げた。
「そうだな、鬼ごっこだ」
 ガルがシルフィの頬を指先でつついて笑うと、彼女は子どものようにきゃきゃっとはしゃいだ。
「――よし、行くぞ」
 ガルの合図で、再び森の中を駆け出した。


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