魔法伯爵の娘

第二章:精霊の瞳(5)


 目が覚めて、やわらかな光を感じてアイザはああそうか朝なのだと認識した。
(……部屋に、戻ってこなかった……?)
 起き上がり向かいにあるベッドを見るが、そこには使われた痕跡などない。ルームメイトは昨夜戻ってこなかったのだ。
「もしかして嫌われて……って、知り合ってすらいないのに?」
 のそりとベッドからおりてシャワーを浴びる。昨日は待ち続けてシャワーを浴びることすら忘れ、結局いつの間にか寝てしまったのだ。時計を見てまだ朝食まで余裕があることを確認する。
(何かあったのか……でもここは警備もしっかりしたマギヴィル学園だぞ? 何かなんて……あるのか?)
 学園に通う生徒の多くがまだ若い少年少女であり、ノルダイン王国が認定する最高峰の学園である。よもやその敷地内ともいえる場所で事件など起きるのだろうか?
 シャワーを浴びながらアイザはあれこれと仮説を立てては否定し続けた。
 キュ、とシャワーを止めて濡れた身体を拭く。ぐるぐると消化しきれない考えは消えないが、多少はさっぱりした。
 クローゼットのなかの制服を手に取る。白いブラウスと、魔法科を示す紺色のスカートとベスト、そして上着。タイはどちらの科であっても臙脂だ。胸ポケットには生徒証でもある懐中時計を忍ばせる。
 借りていた眼鏡をかけて鏡で確認すると、まるで別人のように見えるからおかしなものだ。
 朝の七時、女子寮から出てホールに向かうと、待ち合わせてもいないのにガルがいた。深緑の制服のなかで彼の赤い髪はかなり目立っている。
「ガル」
 アイザの呼び声は、そう大きくないものだった。朝の喧騒のなかで紛れて届かなくてもおかしくない。既に友人らしき男子生徒と談笑するガルの姿に気後れした。けれどきっと彼は、アイザを待っていたのだ。
 アイザの小さな声も、ガルになら届く。
「アイザ!」
 パッと振り返ったガルが嬉しそうに笑う。途端、ガルの周囲にいた少年たちの視線もアイザに集まったので思わず足が止まった。
「よかったー。アイザと朝ごはん食べようと思って待ってたんだ」
 ガルはアイザの様子を気にするふうでもなく、階段を上ってくる。
「ガルー! じゃあ俺たち行くな」
「おー!」
 少年たちはにやりと笑いながら食堂へと消えていく。その背を見送りながら、アイザはぽつりと口を開いた。
「……友だちがいるなら、別にわたしを待ってなくても」
 約束していたわけでもないのだから、アイザをまっている必要などないのに。
「んー? でもあいつらとはどうせ、これから授業とかで嫌でも一緒になるだろうしさ」
 今日はふたりでカリキュラムや学園の説明を受けることになっているが、授業を受けるようになれば必然的とアイザとガルは別れて行動することになる。
「早く行こう、腹減った」
 ガルがアイザの手を取り階段を下りる。



 朝の食堂は生徒たちで混雑していた。 食堂に給仕はいない。生徒たちは自分で自分の食べる分をとって食器も自分で片付ける。
「ガルー! こっち!」
 先ほどの少年たちがアイザとガルの姿を見つけて手を振った。
「思ったより混んでたからさ、ふたりの分も席とっといたぞ」
 ガルに手を引かれたまま向かうと、彼らの隣にふたつ席が空いている。
「マジで? 助かった」
「あ、ありがとう……ええと」
「アイザだろ? 昨日からガルがずっと君のこと話してたから知ってるよ」
「……何話したんだおまえは」
 自分の知らないところで話題になるような特殊な人間になった覚えはないのだが。
「んー? いっほにのるたひんにきたこととか」
「食べながら話すなよ……」
 ガルはちゃっかり先に食べ始めていた。アイザは脱力してその隣に座る。
「アイザ・ルイスだ。魔法科に編入することになってマギヴィルに来た」
 よろしく、と笑うと少年たちもにかっと笑う。なるほど、ガルと息があいそうだ、とアイザは思った。
「俺はヒュー、そっちはケイン。ガルの隣部屋なんだ」
 他にもいたはずのガルの友人は、まとめて席が取れなかったので別のテーブルで食べているらしい。
「ふたりともその制服ってことは武術科だよな」
「ん、そう。男は七割くらい武術科だよ。逆に女子は八割近くが魔法科かな」
 つまり二割の女子は武術科ということなのだろう、多いのか少ないのかわからないが、ルテティアでは女性の騎士などいなかったから多いのかもしれない。
「アイザ、それ食べないならもらっていい?」
「おかわりなら自分でとってこいよ……」
 ヒューとケインと話して食事があまり進んでいないアイザの皿からガルがウインナーを攫っていく。
「そもそもよく寝坊しなかったな」
 ガルは朝が弱いというわけではないのだが、わりと寝汚いのだ。それはノルダインまでの道中でアイザも充分に知っている。
「ヒューに叩き起こされた。容赦ないんだよそいつ、ひどくね?」
「かわいい女の子だったら優しくするが野郎に優しくしても俺が楽しくない」
 仲良く文句を言い合う二人をよそに、ケインが「ヒューがベッドから叩き落としたんですよ」とアイザにこっそり真相を教えた。
「……ルームメイトがいないんだから、なおさら一人でちゃんと起きろよ……」
 呆れたようにアイザが呟く。
「アイザがルームメイトだったらよかったのになー」
「バカ、どう考えても無理だろ」
 男子寮と女子寮で違うのだからルームメイトどころの話じゃない。ガルにまた盗られそうになったウインナーを死守してアイザが呟くと、ヒューとケインは「ああ、うん……」と顔を見合わせていた。


 カリキュラムを組むのはそう難しいものではなかった。何よりアイザは基礎を学ばなければ話にならない。セリカとも相談の上で一通り魔法の基礎を身につけることになった。それですぐに応用に進めるようならまた相談することになっている。
 武術科は魔法科ほど専門が細かくない。ほとんどの生徒が同じ授業を受けているので当然ガルが頭を使うことなくカリキュラムが完成する。
「ふたりとも午後からは授業を受けるといいわ。それまでは学園内をあちこち歩き回ってみなさい。広いから場所を早く覚えないとたいへんよ?」
「んじゃ、ふたりでまわる?」
「おまえが使う場所とわたしが使う場所じゃ別だろ」
 訓練場などの屋外が多い武術科と、座学や実験の多い魔法科では使う教室がまるで違う。
「それもそっか。んじゃお昼にな」
「え、ああ……」
 当然のように昼食もアイザと食べるつもりらしい。呆気にとられたアイザが曖昧に答えているうちに、ガルは駆け出していた。
「仲が良いのねぇ」
 くすくすと笑うセリカになんとも答えられず、失礼しますと小さく呟いてアイザも学内を歩き回ることにした。
 学園は広い。
 図書館も第一図書館と第二図書館があり、実験室や実技室、座学のための教室、資料庫もありすべてを今日見て回って覚えるのは不可能だろう。主に魔法科が使うのは学園の西棟であり、東棟は武術科と共通の授業を行う教室か、武術科の座学に使われる教室がある。屋外に訓練場が二つ、屋内の訓練場が一つあり、それでもあぶれた武術科の生徒は広場で組手をしていたりする。
「ねぇ、ほら。……あの子じゃない?」
 アイザが濃い灰色の髪を揺らし歩いていると、風に乗ってそんな声が聞こえてくる。視線を感じるのは、気のせいではないはずだ。
 魔法科に通う生徒はおよそ二百人に満たないほどだ。すべての生徒の顔を覚えているわけではないだろうが、それでも見慣れない人間には気づくだろう。
(編入生は珍しいって、セリカ先生も言ってたしな……)
 注目を浴びるのはしかたない。どうせ一、二週間もすれば飽きるだろう。


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