魔法伯爵の娘

そして、はじまりの


 故郷の街に戻ってしばらくは、アイザの周辺は慌ただしかった。
 なんせ家の扉が壊れたまま、失踪していたのだ。何か事件に巻き込まれたのではと近所の人々を随分心配させたらしい。
 王都を出る前にタニアとダンのもとに挨拶して、きつく抱き締められたと思えばタシアンたちに子どもをなんてことに巻き込むんだと説教し、街に戻る前にガルの村に寄って愛馬を迎えに行くと、イスラには涙ぐみながら無事であったことを喜ばれた。
 思えばあちこちに心配かけ、迷惑をかけたいたのだと苦笑する。

 コンコン、と直された扉が来客を告げた。もちろん扉は壊した張本人が修理した。
「はい」
「アイザ、俺だ」
 扉越しのタシアンの声に笑い、出迎える。彼はアイザの後見人ということになったからだろうか、こまめに様子を見に来る。レーリには団長はお暇なんですね? と仕事を増やされると愚痴っていた。だが今日の用件はそれではない。
「準備はできたか」
「もちろん」
 まとめておいた荷物を見せて、アイザは笑う。今日は、アイザがノルダインに向けて出立する日だった。
「本当は俺がノルダインまで送れればいいんだが」
「国境騎士団の団長さんにそんなことさせるわけにはいかないだろ」
 王都ではまだあの騒動の名残で忙しいらしい。タシアンもおそらくやることはたくさんあるはずだ。
「心配しなくても、しっかりと送り届けますよ」
「……団長の副官が付き添うほどでもないとは思うんだが」
 ノルダインまでの道中は、レーリが護衛を務めてくれることになっている。ジャンやリックも名乗りを上げたが迂闊な彼らにはとても任せられるかとタシアンに一喝されていた。
「……おまえ、あのクソガキに言わなくてよかったのか?」
 タシアンはたびたびガルをそんな風に呼んでいる。喧嘩するほどなんとやら、なのだとアイザは思っていた。
「向こうに着いたら手紙を書くよ」
 ガルには、ノルダインに行くことも、今日発つことも教えていない。なんとなく告げるタイミングがなかったのと、告げてどうするという思いもあった。
 たまたま出会っただけだ。あんな騒動を乗り越えてきたから固い絆のようなものを感じるだけで、アイザとガルの間にはなにひとつ誓いも約束もない。
 別れたときの、ガルの「またな」という言葉にはさすがに言葉を飲んだが、それまでである。
 アイザはノルダインに留学するのだし、それはもちろん魔法を学びに行くのだ。ガルにはまったく関係ないことである。
(しんみりと別れるのも、なんか柄じゃないし)
 それならいっそ、事後報告でいい、とアイザは結論を出した。

 家の前に用意された馬車に、荷物を詰め込んでいく。アイザも乗馬は問題ないが、それなりの距離の旅路になるということもあり馬車になった。
 家のことは、タシアンに任せてある。残していく愛馬も騎士団で預かってくれるという。憂いはなにひとつないはずだった。
「そろそろ出ましょうか」
「うん」
 けれどどこか、もやもやして仕方ない。後ろ髪をひかれているような、いや、それよりももっと強く、まだ出発してはダメだと腕をひかれているような。
 ぐ、とアイザが決意して足に力を入れたときだった。

「アイザああああ!」

 天まで届くような呼び声に、アイザはびくりと肩を震わせた。その声には、もちろん覚えがある。
「ガ、ガル……!?どうして」
 驚くアイザに、ガルは怒ったような顔で歩み寄ってくる。タシアンとレーリは顔を見合わせて、そっとふたりから離れた。
「アイザ、俺になんか言わなきゃいけないことがあるんじゃないの」
(言わなきゃいけないこと……?)
 ガルには散々迷惑をかけたわけだが、そういえば一度も謝罪してなかったな、と思う。
「ええと、いろいろ巻き込んですまなかった……?」
 疑問系になるのはガルが怒ったままだからである。
「別に巻き込まれたとか思ってないし謝ってほしいとも思ってない」
「じゃあ、ありがとう?」
「感謝されたくてやったわけでもない! ああもう、アイザって頭はいいくせにこういうとこは馬鹿だよな!」
「ば、馬鹿!?」
 自慢ではないがアイザは生まれてこのかた馬鹿だなんて言われたことはない。
「馬鹿、ほんと馬鹿! なんで俺になにも言わずにノルダインに行こうとしてんの!?」
「いや、だってそれは――」
 ガルには関係ないことだ。アイザが国内にいると面倒なことになるだろうということも、魔法を学ぼうということも。
「こういうときは!」
 ガルは声をあげて、そして当たり前のようにアイザに手を差し出す。
「一緒に行こうって、そう言えばいいんだよ!」
 ひとりでは心細かった。
 何も知らない場所で、誰もアイザを知らない場所で。けれど、今まではどんなに不安でも自分ひとりでどうにかしてきた。
 この短期間に、すっかりアイザは弱くなった。
「……一緒に、」
 震える声が、小さく願いを唱える。差し出された手を取り、縋るようにしっかりと握った。
「うん」
 ガルは応えるようにアイザの手を握り返す。
「一緒に、いかないか。ノルダインに」
 答えはたぶんわかっている。けれど、アイザの声はすっかり震えていた。断られる、ということではなく、こんなことを乞うていいのか、ということが怖かった。
「もちろん! 一緒に行こう!」
 けれどガルは、そんなアイザの不安を打ち払うように笑った。当たり前のように、そしてアイザの言葉を待っていたかのように。


「よかったですね、もう一通の紹介状が無駄にならなくて」
「……どのみちこうなりそうな気がしたんだ」
 マギヴィル学園には、魔法使い育成のための魔法科と騎士や兵士育成のための武術科がある。だからガルが望むのであれば、武術科に編入することは可能だった。だからタシアンは、ガルのもとに使いを出してアイザが告げなかったすべてを教えた。

「タシアン! 俺にも紹介状書いて!」
 アイザとの話がひと段落すると、ガルは図々しくタシアンに食いついてくる。使いから話を聞いた時点でそんなもの用意済みだとわからないあたり、ガルは真性の馬鹿だ。アイザの足元にも及ばない。
「うるせぇぞクソガキ! とっとと出立の準備しろ!」
 タシアンの怒鳴り声が響いて、アイザとガルは顔を見合わせた。
「すげぇタシアンもう用意してんの?」
 半ば投げつけられるようにして渡された紹介状を受け取りながらガルが驚いていた。
「そろそろ出ないとまずいですよ」
 懐中時計で時間を確認しながらレーリが告げた。やべ、とガルが子どものようにはしゃいでいる。

「行こう、アイザ!」
「うん」

 差し出されたガルの手を取り、アイザは馬車に乗り込む。振り返るとタシアンに向かって手を振った。

「いってきます!」

 ふたりの声が重なって、澄み渡る青空にどこまでも響く。
 それは、ふたりの物語のはじまりを告げているようだった。



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