魔法伯爵の娘

第三章:精霊と魔法使い(1)

 その招かれざる客人は、ガルとアイザが村を発って十分もしないうちにやってきた。
 立派な馬に跨った、藍色の隊服の青年が三人。なるほどガルが睨んだとおららだとイスラは片眉を上げる。
「朝早くに失礼する。人を、探しているのだが」
 すぅっと朝の空に響く青年の声に、イスラは「まぁまぁ」と微笑んだ。
「こんな田舎へ、騎士団の方々がですか?」
「十六歳の少女なんだが……見かけなかっただろうか」
「ここじゃよそから人がやってくるなんて滅多にありませんよ。なんにもない村ですから」
 イスラは笑顔を崩さないまま答えた。青年はそうですか、と困ったように呟く。
「もし見かけたときは、国境騎士団にご連絡ください。少女の名はアイザ・ルイス。……騎士団の保護対象になっております」
「まぁ。逃げ出したご令嬢か何かですかねぇ。ご苦労様です」
 そんなところですよ、と青年は苦笑し、一礼する。
「かーさん! ガルはどこいったのー?」
「ガルはお使いだよ! ほら早く朝ごはん食べちまいな!」
 家から子どもが顔を出してイスラに声をかける。イスラはすみませんねぇ、と笑って頭を下げた。
「お話はそれだけですかね? 戻っても?」
 子どもらを見張っていないと朝ごはんもちゃんと食べないもんで、とイスラが告げる。
「ええ。ありがとうございました」
 イスラはにこにこと笑顔で家へと戻る。


「ほら、こんなとこにきちゃいませんって。きっと街道を進んでますよ」
 さっさと行きましょう、とやる気のない部下は急かしてくる。
「……いや、きっと彼女はこの村に来た」
「はぁ? だってさっき」
「おまえたちは国境騎士団がどんな評判か知らないのか」
 戦狂いのならず者、荒くれ者たちばかり――そんな噂が付きまとっている国境騎士団に対して好意的な人間は少ない。
「えー……あー……」
 そのことに思い至ったのか、部下も言葉を濁した。
「あの馬、彼女が乗っていた馬に似ている。それにこの村の馬にとしては立派すぎるような気もするな」
 街道から離れ、ほとんど自給自足で生活しているような村だ。馬を使うにしても農業の手伝いで、移動手段にするとは考えにくい。だがあの葦毛の馬はどうみても移動手段として育てられた馬だ。
「じゃあ嘘ついてるってことでしょ。吐かせます?」
「そうやっておまえみたいなのが短絡的だから国境騎士団の評判が地に落ちる」
「でもどうするんですか?」
「頭を使え。おまえの首から上は飾りか」
 馬はおそらく替えたのではない。ならば徒歩での移動か、街道を出て辻馬車を拾ったのか。
 だがそうだとすれば、さきほどの女性は時間稼ぎをしてもよいのではないだろうか。まるで早くここから去ってほしいといった雰囲気だった。
 ――村の近くには、禁忌のヤムスの森。
 まさか、とは思う。だが妙な胸騒ぎがあった。
「……おまえたち、街道で目撃情報を集めろ。徒歩か辻馬車か、そのどちらかならまだマシだ」
「マシ? それ以外があるんです?」
「あってほしくはないがな。一度報告へ戻る。サボるなよ」

 ヤムスの森は人を拒む。
 ただのおとぎ話などではない。それは、厳然たる事実だ。





 一日無理のない程度に歩を進め、当然一日で王都に辿り着くはずもなく、結局一晩森のなかで夜を明かした。森は人を拒む――さすがのアイザも眠っている間に何かあったらと緊張したが、目覚めてみると拍子抜けするほどなんともなかった。
 獣の心配をしたが、ガル曰くそれも問題ないという。森そのものだけでなく、この森で生きる動物たちもガルに危害は加えないらしい。
(まぁ、獣人だし、な……)
 くぁ、とあくびをしながらアイザ眠っている間に凝った身体をほぐした。焚き火は消えてしまっていて、その向こう側ではガルが丸くなってまだ眠っている。
(獣人っていうか、子犬みたいだ)
 くすりと笑って、アイザは荷物からタオルを取り出す。近くの泉があるのでガルが起きる前に顔を洗って身支度を整えよう。
 澄んだ泉に手を浸すとひんやりとした心地に目が覚める。
(昨日はずっと歩いていたんだよなぁ……)
 汗は当然かいたし、身体は汚れている。
(少しくらいなら、いいか)
 ガルはまだ寝ている。それに彼なら起きてすぐにアイザを探すだろう、大きな声で。そのときに来るなと言えば彼はきっと近づかない。
 するりと服を脱いできちんと畳み、足を泉に浸す。手を入れたときとは違ってその冷たさが身に染みるけれど、それと同時に心地よい。
 ゆっくりと身を水中に沈める。手で水を掬い髪を洗った。左耳からぶら下がる光水晶に触れると、水晶は少し熱を帯びていた。
(あれ……?)
 魔法は使っていない。光水晶が反応するはずがないのに。

<――ほら、光水晶が瞬いている>
<――魔法使い。歓迎されない魔法使いだ>
<――我らの愛し子が連れてきた>

 反響するような声がアイザに襲いかかる。どうして――誰もいないのに。そう思う暇すら与えず、キィン、と耳鳴りのような高い音にアイザは眉を顰めた。
「な、に」
 誰だ、とアイザが問う前に水中で足首を掴まれた。しっかりと水底に足がついていたはずなのに、底が消えたようにアイザの身体は沈む。
 澄んだ水のなかは残酷なほどにうつくしい。朝の光が水面越しにきらきらと輝いていて、アイザはそこへ必死に手を伸ばした。

<――ああ、なんて忌まわしい魔法使い>

 ゴポ、と口から空気が溢れていく。息ができない。
(こんなに、深くなかったはずなのに)
 何が起きているのか把握できずにもがけばもがくほど、息は苦しくなる。
 水面が揺らいだ。
 青一色の世界に、鮮やかな赤と金が飛び込んでくる。
 その色を見つけた次の瞬間には、アイザは腕を引っ張り上げられ、水面に顔を出していた。
「大丈夫か、アイザ!」
 ゴホゴホと咳き込むアイザを支えながら、ガルが心配そうに問いかけてくる。大丈夫だと身振りで答えて呼吸を整えた。
「だからあんまり離れるなって――……ごめん」
「え?」
 真っ赤にして顔を背けるガルを見て、はたとアイザも自分の格好を見下ろした。水浴びしていたのだから、もちろん何も着ていない。
「なっ、ばっ、み、見た!?」
「あんま見てない」
 ガルはアイザを見ないようにと顔を背けたまま、岸に向かいアイザの手を引く。
 泉から上がり、アイザはそそくさとタオルを身体に巻いた。
「後ろ向いてるうちに着替えて」
「分かってる!」
 手早く身体を拭きながら、アイザはもう一枚持ってきた小さめのタオルをガルの背に投げた。
「ん?」
「おまえだって濡れたままだろ」
 未だに恥ずかしさが胸のなかでもやもやと渦巻いているので、アイザの声は随分と素っ気ないものになってしまった。ガルはあはは、と笑う。
「ありがと」
(なんの躊躇いもなくお礼も謝罪もするんだよなぁ……)
 アイザは結局、助けてもらっておきながらお礼を言いそびれてしまっているのに。
 手早く服を着て、ガルの背中を叩く。
「早く戻ろう、ガルも着替えないと」
 服のまま泉に飛び込んだガルの服は全部びしょ濡れだ。
「天気いいしほっとけば乾くんじゃない?」
「馬鹿、風邪ひく」
「俺、風邪なんてひいたことないよ」
 それは正真正銘の馬鹿ということだろうか。そんな嫌味を言ったところでガルには効果がない気がした。
「……そういえばガル、声が聞こえなかったか?」
「声? 誰の?」
「子ども、みたいな……いや女? 男?」
 高い声であった気もするし、低い声であった気もする。思い返すと性別さえ定められない不思議な声だった。
「大丈夫アイザ? 溺れて頭おかしくなった?」
 ひらひらとガルがアイザの目の前で手を振った。
「おかしくなんかない。聞いてないのか?」
「俺は聞いてないよ」
「……そうか」
 耳がいいガルも聞いていない声、となるとますます人間ではない気がする。そもそも人間ができる芸当ではなかったし、この森にアイザとガル以外の人がいるはずもない。
(……もしかして、精霊……?)
 父の蔵書で読んだ覚えがある。豊かな土地には精霊が住む、と。しかしこのルテティアに精霊はもういないはずだ。機械と引き換えにルテティアは古から続いた祝福を捨てた。
(けど、それならなぜ)
 精霊と魔法使いは、ともにあった。
 ともにこのルテティアで滅びゆく者だ。なのにあの声は、深い憎悪を宿しアイザに敵意を向けていた。

 ――忌まわしい魔法使い、と。


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