イクトセイ

About 2001〜2008 Ikuto and Seika 《1》

 俺とあいつは最強の幼馴染で、相棒だった。
 けれどもはや今は、ただの他人だった。




 中学の制服が届いたんだよ、ほら着てみなさいよと親やねーちゃんにせがまれて大して珍しくもない学ランに袖を通した。不思議なことに制服を着るだけでまだ身分は小学生の俺も、一丁前の大人に近づいた気がするのだから現金なものである。
「いくとー。漫画の続きかしてって、お、おお! 学ランだ!」
 我が物顔で俺の家に上がってきたせいかは、制服を着た俺を見て目を輝かせていた。
「聖花のとこにも届いたんじゃないの? 着て見せてよ」
「えー。だって制服ってスカートじゃん。どうせ似合わないよ」
 今まで男の子のような格好ばかりしていた聖花には、制服とはいえスカートは抵抗があるらしかった。
「どうせ四月から着なきゃいけないんだからさ! ね!」
 遥姉が強引に聖花を回れ右させて、そのままもときた道を二人で戻る。たぶん聖花一人で帰しても嫌だと駄々こねるからだろう。
 それからほんの十分ちょっと。
「じゃじゃじゃーん!」
 得意満面な遥姉に連れられて、紺のセーラー服を着た聖花がやってきた。
「あら聖花ちゃんかわいいじゃない!」
 母ちゃんが自分の息子の晴れ姿よりも嬉しそうに喜んでいる。セーラー服なんて、いまさら。ねーちゃんたちだって着てきただろ。
「うーやっぱ似合わないよ。すっごい違和感ある」
「そのうち慣れるわよ」
「ねぇいくと。変だよねぇ」
 ちょこん、と。
 いつもと変わらない仕草で俺の隣に腰を下ろす聖花。紺のセーラーは、冬の間白くなった聖花の肌を際立たせるようだった。同じ色のスカートから、真っ白な脚が覗く。
「……変」
 ――だって、違う。
 これは、聖花じゃない。俺の相棒じゃない。
「郁人なんてこと言うのよー!」
「ほらーやっぱり変だよ」
 遥姉が怒っているのに対し、聖花は納得の顔をしている。変だ。おかしい。顔も仕草も聖花なのに、別の生き物みたいだ。



 入学式では、お互いの親がほらほら、と強引に真新しい制服姿の俺たちを写真に写した。入学式、とデカデカとかいてある看板を真ん中に、いしし、と笑う聖花と呆れたように笑う俺が写っている。
「あ、アタシ一組だ。いくとは? あった?」
「待てよ早いっつの、あ、あった。五組だ」
 一学年五クラスの、両端に別れる。小学校は三クラスだったし、別のクラスになったのは三年と四年の二年間だけだった。
「うわぁ、端と端だねぇ。しかたないか」
 こればっかりはどうしようもない。お互い他に友だちがいないわけではないし、死ぬわけでもない。
 けれど、小学校と中学校では何か違うのだということを、俺はまだ知らなかった。

「いくとは部活決めた?」
「んーバスケかサッカー」
 まだ部活にも入ってないのでふらふらと聖花と帰る。部活は男女で違うので別々に見て回った。
 運動は嫌いじゃないからもともと目をつけていたところはあったし、何回かの見学でそれも定まりつつある。
「アタシは陸上かなぁ」
 俺と同じくあちこち駆け回っていた聖花も、運動神経は良い方だ。たぶんどの運動部に入ったとしてもやっていける。
 バスケやバレーなら、どちらにせよ男女別の部活になる。聖花の決断にふぅん、と呟きながら、今まで一緒だったのにバラバラになっていくことに少なからず違和感を覚えていた。
 部活があるから小学校から続いていた登下校は別になった。クラスも違うから休み時間に顔をあわせることも少ない。
 初めてのテストのときに、聖花ははじめて俺のクラスに顔を出した。
「いくとー。一緒に帰る?」
 一緒に帰る? なんて、今までにはなかった質問だった。
「あー。今行く」
 部活も休み、明日もテスト、帰る時間は当然同じタイミングだし、変だとは少しも思わなかった。
 カバンを手に取り、入り口で待っていた聖花のもとへ行く。
「おっまえら相変わらずだなー」
「そうでもねーよ」
 同じ小学校の友人はそんなふうに笑っていた。
「テストどーだった?」
「んー英語やばいかも」
 中学から始まった英語は、他より手応えがなかった気がする。
「えーアタシは数学のがやばい」
「おまえ昔っから算数苦手じゃん」
「うるさいなー。明日は社会と理科だっけ?」
「そう」
「あー理科やだー」
 直感で生きている聖花は、たぶん理数系は苦手なんだろう。
「いくとのとこで勉強していい?」
「おまえ来ても勉強しないじゃん。自分でちゃんとやれよ」
「ケチー」
 俺の部屋に来たら最後、聖花は絶対にゲームをするか漫画を読み始める。賭けにもならない。
 家について、お互い門のところでじゃーな、と別れる。なんだかすごく久しぶりだ。相変わらず制服姿の聖花はしっくりこないけど、けれどやはり、一番一緒にいて楽なのは、聖花だった。


 けれど、俺と聖花は男と女で、別の生き物なのだと思い知らされる。
「松浦さ、一組の子と付き合ってんの?」
 聖花と久々に帰った翌日、にやにやと笑うクラスメイトが何人かで問いかけてきた。
「一組のって……聖花? あれは幼馴染だけど」
 そうだよ、と同じ小学校の奴らは同調してくれるが、まっさかぁ、と笑う声はやまない。
「イマドキ中学生にもなって幼馴染とつるむとかないだろー」
「付き合っちゃってんだろ? でもおまえならもっとかわいい子でイケるんじゃね?」
「呼び捨てだしさぁ」
 幼馴染相手に小園さん、なんて呼ぶわけないだろ。馬鹿馬鹿しい。俺を取り囲んでいるのは男子だけだったが、女子はちらちらとこちらを見ながら聞き耳をたてているのがわかった。
 ほんの数ヶ月前まで、全部ひっくるめてただの子どもだったくせに。
 中学生になって、制服という目に見える区別を与えられ、いともたやすく男と女にも別れる。なんて簡単な生き物なんだろう。
 反抗するようにその日も迎えにきた聖花となに食わぬ顔で帰ったが、その翌日にはすっかり俺と聖花は付き合っている、という噂が広まっていた。クラスだけでなく、学年全体で。
 友人からは「付き合うことになったんだ?」なんて悪意ない言葉をかけられることすらあって、正直うんざりだった。
 テストが終わると聖花とはタイミングの合わない日々がはじまる。きっとあいつのところにも鬱陶しい奴らは来ているんだろう。
 このまま離れていれば噂なんて消えていくだろう。どうせもうすぐ夏休みだ。

 登下校が別々になって、夏休みがきても部活に占領されて、毎年一緒にいっていた夏祭りは、結局お互い誘う暇もなく俺は部活の連中と行った。
 喧騒の中で聖花の声が聞こえた気がして姿を探すと、俺と同じように部活仲間と一緒にいた。違ったのは、浴衣を着ていたことだった。
 紺地に朝顔の浴衣は、去年おばさんが着せようとして聖花が嫌がっていたものと同じだ。
(なんだよあいつ、似合わないもの着て)
 ショートカットだったはずの髪は肩ほどまで伸びていた。楽しげに笑う横顔は、俺の知るいしし、と歯を見せて笑うものとは違っていて。
 ――ああ、聖花も女だったのだ。
 俺と聖花は、別の生き物なのだ。

 十年以上一緒にいたはずの幼馴染が、とても遠く感じた。





 俺には俺の友人がいて、あいつにはあいつの友人がいる。俺の知らないところであいつの世界は広がっていくし、俺もまた同じだった。
 いつまでも一緒だなんて、ありえない。けれど最強だったあの頃は、この絆だけは永遠なんじゃないかと、本気で信じていた。

 なにが決定的なきっかけだったのかはわからない。
 けれど俺と聖花は、どんどんよそよそしくなって、いつの間にかすっかり他人のように、いや、他人に、なっていた。
 相棒だと笑いあっていた頃が、まるで幻のように遠い。


 二年生のときも別のクラスで、三年になって同じクラスになった頃には遅すぎるよ、と思った。軌道修正する方法は、少なくとも俺にはわからない。
 短かった聖花の髪はセミロングくらいまで伸びていて、毎日ポニーテールにしている。下ろしていると部活のときに邪魔なんだろう。
 子猿のようだ、と言われていたはずなのに、三年にもなると聖花はすらりと細く背の高い姿が綺麗だ、なんて一部で騒がれ始めている。
「あれ、小園って松浦の元カノだろ?」
「……ちげーよ、幼馴染」
 元もなにも、付き合ったことなんてない。こいつらのなかでいつの間にか別れたことになっていたんだろう。あの頃は否定してもまさかぁ、と囃し立てるだけだったくせに、今否定すると「あ、そうなん?」なんてあっさりとしたものだった。
「木村が狙ってるって聞いたことあるなー」
「同じ陸上部じゃん。もう付き合ってんじゃねーの?」
 男も女もこの年頃は噂話が好きらしい。
「松浦なんてさ、この間二年の子から告られてんだよ。うらやましーよなぁ」
「え? なに? 付き合うん?」
「まさか。断ったよ」
 香奈恵さんへの子供じみた初恋は、もうとっくに消え失せていた。けれど誰かと付き合うとか、そういう気分でもなくて何回かあった告白に頷いたことはない。
 中学生三年はあっという間で、イベントのたびに中学最後だ! と盛り上がっては過ぎ去っていく。


「じゃあ小園は、南高でいくのか」
「はい、そのつもりです」

 ――もう秋の暮れていく頃、聖花が部活の顧問だった先生とそんな話をしているのが聞こえた。志望校の話だ。
 南高か。俺も、南高ともうひとつで悩んでいた。安全圏の南高か、それともランクを上げるか。馬鹿だったくせに、あいついつの間に俺とそれほど変わらないくらいの学力を身につけたんだろう。
 数学も、理科も、苦手だったくせに。


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