イクトセイ

About 2008〜now Ikuto and Seika 《3》


 昼休みにスマホを確認するのが癖になった。向こうも同じタイミングで昼休みになっていることが多いから、連絡がくるとしたらこの時間帯なのだ。
『飲み、付き合え』
 あまりにも短すぎる連絡に、ふ、と笑う。
 いいよ、と返事をすると、すぐにレスポンスがある。お互いの家の最寄り駅に、十九時集合とのこと。
 思うがあいつは筆不精すぎる。だから彼女から振られるんだよ、とこれは思っても言わないでおく。アラサーで恋人なしはお互い様だ。
 


 幼い頃に相棒だった幼馴染は、他人としか呼べない期間を経て再び相棒の地位に返り咲いた。
 偶然にも郁人が一人暮らししているところはあたしの住んでるワンルームから徒歩十五分ほどで、最寄り駅はもちろん同じである。こんなに近くに住んでいたのか、と驚いたものだ。
 もっかい最初から、と言い出したあの日から早くも半年。今では平日でも仕事終わりに会ったり、土日には泊まりがけで遊び尽くす仲だ。
「相棒ねぇ。……ま、いいんじゃないの」
 あの合コンのあとに真奈美センセイに報告すると、意味ありげに微笑まれた。含むところのある言い方だが、追撃が怖かったので言い返さなかった。真奈美と口で戦って勝てるとはとても思えない。

 ――相棒。

 そう。ただしく、相棒だ。断じて恋人ではない。
 二人きりの夜を過ごしたところで『そういう』雰囲気になったこともない。郁人がどうかは知らないが、あたしはもともと性欲は希薄で、別にキスしたいとも思わないし、身体を重ねることだって恋人に乞われれば応じる程度。そもそもあたしは、恋しいという感情が欠落しているんじゃなかろうかと思う。
 以前はそんなことを考えるたびに不安になっていたくせに、今はなんとも思わない。そういう人間だっているってことだ。
「傍目からすりゃ、どっからどう見ても恋人なんだけどねぇ」
 くすりと微笑む真奈美にまぁそうだろうね、と答えた。
「聞かれたらそういうことにしてる。めんどうだから」
 二人で遊び歩くようになって、どちらからかそう言い出したのだ。あたしだっただろうか、郁人だっただろうか。
 精神的にも大人になって、そういう呼び名を使われることも笑って流せる。
 世間的に男女二人でいつも一緒にいるなら恋人と考えるのはおかしくないし、お互い恋人がいることにしておいたほうが都合がよかった。
 いつかできるかもしれない恋人よりも、郁人のほうが優先順位は圧倒的に上なのである。しかしもし恋人ができたとしたら、その人はそれをよしとしないだろう。誰だって恋人は優先順位の一番上にありたいはずだ。


 郁人がやっているから、あたしもやりたくなって携帯ゲーム機を買った。金曜の夜から徹夜で二人で遊んだこともあるし、あたしの持ってる少女漫画を読みふけって、郁人が連日仕事終わりにやってきたこともある。
 自然とあたしの部屋には郁人のものが増えるし、その逆もまた然り、である。


「五分遅刻」
 約束の時間に待ち合わせ場所に行くと、仕事帰りの姿のままの郁人が既に待っていた。あたしは一度帰宅して着替えている。
「細かいよー。女は支度に時間がかかるんだよ」
「へーへー」
 生返事の郁人を軽く小突きながら歩き始める。そりゃあまぁラフな格好のあたしを見てどこに時間がかかっているんだと言われればそれまでである。
「いつものとこ?」
 行きつけの串焼き屋さんが近くにあるのだ。お酒も串焼きも美味しくて素晴らしい。ついつい飲みすぎてしまっていつも郁人にストップをかけられる。久々の再会のあの時の醜態が原因なのであたしも従うしかない。
「ん」
 ゴールデンウイークも過ぎて季節はすっかり初夏、じわりと暑いこんな日はビールがたいそううまいらしい。あたしには分からないけど、郁人が言うことには。
 五月が足早に過ぎていくなかで、ああもうすぐ誕生日だな、と思う。――あたしの、そして郁人の。
「……いくと、誕生日なにが欲しい?」
「おまえは?」
「ショートケーキ」
「やっぱり」
 ふ、と笑う郁人の横顔を見上げながら覚えていたのか、とおかしくなる。もうずっとずっと前のことなのに。
「じゃあいくともケーキ?」
「ん」
 ほら、そっちだって変わらないんじゃないか、とあたしはいしし、と笑った。
「誕生日さ」
 郁人がそうだ、と思い出したように口を開いた。
「うん?」
「金土日じゃん。泊まりにくる?」
「あー今年あたしの誕生日金曜なんだ。じゃあゲームとDVD持参して遊びに行こっかな」
「言うと思った」
 ちょうど一週間ほど前に同じゲームを買ったばかりだったからちょうどいい。

 それからいつものように美味しいお酒を楽しんで、ついでのように郁人に送られる。泊まってく? なんて危機感なく聞けるのは相棒だからこそだ。郁人は持ち帰りの仕事あるから帰る、と笑った。
 こんなやり取りのあとに、ふと思う。今までの恋人たちよりも、ずっと郁人とのほうが恋人らしい気がする。
 きっと、彼らは悪くなくて、あたしが悪かったんだろう。恋をしていないあたしが、友情の延長としてしか振る舞えなかったから。
 だとすれば、郁人に対するこの安心感や信頼感や、依存ともいえるこの感情は、恋なのだろうか。
「わからんなー」
 どさりとベッドに仰向けに倒れて、スマホでらしくもなく「恋」を検索してみる。もっともらしい説明を読んでもぴんとこない。
 ――ぴんとこないから、わからない。
 目を閉じてそのまま眠ってしまおうか、と思う。金曜の夜、郁人のいない部屋のなかはなんだかさみしい。



 六月九日。もはや嬉しいとは感じない自分の誕生日。
 二十五歳を過ぎてから、ときどき自分の年齢が分からなくなってくる。アラサーともなると年齢なんてわりとどうでもよくなるもんだ。
 一足先に帰ったあたしは泊まりの準備をして、仕事帰りの郁人を駅で待つ。合鍵なんてものは持ってない。そこはやっぱり、親しき中にも礼儀ありっていうやつで。
「よ」
「おつかれー」
 人混みから現れた、仕事帰りの相棒をねぎらう。
「誕生日おめでとう」
「日付変わった時にメール寄越したじゃん」
 わざわざ会ってからも言ってくるあたりが、律儀だなぁ、と笑う。郁人の手には人気のケーキ屋の袋があった。
「コンビニのケーキでもよかったのに」
「そこはほら、もう大人ですからね」
 いやいやコンビニスイーツもなめたもんじゃないよ、と言いながらあたしはどこのケーキを買おうかな、と考えた。
 郁人はショートケーキだけではなくシュークリームもあった。ケーキ二つでは少し寂しかったのかもしれない。
 買ってきたおつまみとお酒を広げてだらだらと郁人の部屋で過ごす。ゲームをやって小休憩して、テレビをつけてお笑い芸人を見てくだらないね、と笑う。
 カチコチと、時計の音が響いた。

「聖花」

 郁人がふと立ち上がって、棚から何かを取り出していた。
「なに、どうしたん?」
 首を傾げるあたしの向かいにまた腰を下ろして、郁人は「手」とあたしに手を出すよう要求してくる。 酔っているんだろうか、と思いながら手を出すと、ちゃり、という音のあとにあたしの手のひらにひとつの懐中時計が落ちてきた。
「やるよ、それ」
「……やるって。これ、静子ばーちゃんの形見じゃん! もらえないよこんな大事なもの!」
 それは、幼いあの日、得意げに郁人が見せてくれた懐中時計だった。
 今見てみると、とても良いアンティークなんだと分かる。いったいいつ頃のものなんだろう。きっと高い。
 ――それに、
「大事な人にあげなさいって、ばーちゃんに言われたんじゃん!」
 あの時のあたしは、まるで結婚指輪みたいだね、と笑った。おそらく価値としても結婚指輪と遜色ない。
「だから、おまえにやるんだよ」
 迷いのない郁人の声と目に、言葉を飲み込んだ。それは、それは、どういう意味で?
 カチコチと時計の秒針が鳴る。いつの間にか時計が十二時をさして、あたしの誕生日が終わったことを示していた。
 六月十日。ここ数年はなんてことないただの時の記念日だった。
 郁人と聖花の、誕生日。
「――なんで?」
 郁人はどこまで覚えていて言っているんだろう。あたしがあの頃、結婚指輪みたいと言ったことを、覚えているんだろうか。
「俺、正直愛とか恋とかイマイチよくわかんないけどさ」
 郁人は苦笑する。
 あたしだってわからない。恋しいなんて思ったことはない。だから、今とても混乱している。郁人はどういうつもりなの。
「でも、これから先ずっと一緒に生きていくっていうなら、聖花しかいないと思ったんだよ」
 だから、と郁人は懐中時計を握ったあたしの手に、自分の手を重ねた。

「聖花、結婚しよう」
 
 相棒に戻って、お互いが隣にいることを許して、半年以上が過ぎた。もう半年なのか、と思うほど早かったようにも思えるし、まだ半年なのかと思うほどに濃密だったような気もする。
「きっと、恋しいとか愛しいとか、そういう感情だけでないところにでも、こういう愛も、あるんじゃないかなって」
 俺は、思ったんだ、と。
 郁人は笑う。

 ――時計をプレゼントする意味って知ってる?
 同じ時間を生きていきたい、っていう意味があるんだよ。

「……普通そこはお付き合いからなんじゃないの?」
 突然の畳み掛けるような郁人の行動に、頭はショート寸前だった。逃避のような問いに、郁人は笑った。
「お付き合いって、今更だろ」
 お互いの趣味趣向は知っている。世間的にここ半年間のあたしたちの行動は長年付き合い続けた恋人そのものだろう。
「確かに」
 ふ、と笑うと肩の力が抜けた。

 たとえば、これからお互いに別々の伴侶を見つけて相棒であり続ける未来もあるだろう。
 でも違う、と心が叫ぶ。郁人ではない誰かと結婚するということは、あたしのいちばん側にいる人は郁人ではなくなるということだ。郁人のいちばん側にいる人は、あたしじゃなくなるということだ。別の誰かがあたしたちに加わるということは、もう、あたしたちではなくなる。
 郁人と聖花では、ない。
「…………うん」
 あたしは小さく頷いた。自分で自分に問うように、確かめるように。うん、とまた呟く。
「あたしも、郁人といきたい」
 世界にただ一人、あたしが隣にありたいと望むのは、郁人だけだと思う。これから一緒に生きて、老いて、時を重ねていきたいと願うのは、郁人だけだ。

 恋い焦がれるような恋情はないけれど。
 燃え上がるような愛情ではないけれど。


 きっとこれは、あたしたちの、郁人と聖花なりの、愛の形なんだろう。



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