――花を知らないわけではなかった。






玉花のundefinedきざundefined





 異界ルィーナにひきこもりがちの門番だが、稀には外界に出ることもある。出歩けるのは王宮内と限られていたが、王宮には庭園があり、そこで花を見ることはままあった。しかし花を美しいとは感じなかった。花の色や芳香に心を癒されることもなく、ましてや花を欲するなど思いもしなかった。
 花は、植物の生命活動の一機能に過ぎない。その程度にしか見ていなかった。


 気の遠くなるほど長い時を異界で過ごしてきた門番は、いつの頃からか生命活動を止めていた。心を凍らせねば耐えられるものではなかったろう。真名も封じて、自分が何者であるのかさえ忘れようとした。
 生きてはいる。しかし生きていないともいえた。
 門番は、門そのものでもあり、魔術そのものであった。そこに門番の「意識」は必要なかった。


 しかし、のしかかってくる疲労感を払えなかった。
 門番は「無意識」に癒しを求めていた。
 門番の心にundefinedきざundefinedした希求が、ルィーナに花をんだのかもしれない。





「レガ様!」
 朗らかな声が門番を呼んだ。レガとは門番の通称だ。
 窓の外に目をやると、花壇の前に立つ少女がにこやかに手を振っていた。
 左右で色の違う瞳を持つ少女は、門番の弟子だ。少女の名はメリーサといったが、短縮し、「リサ」と呼んでいた。年の頃は十二、三だろうか。リサの年齢を、レガは改めて確認したことがなかった。
「レガ様、好いお天気ですよ。たまにはお外に出なくちゃ!」
 リサは快活な少女で、家にひきこもって読書に耽ってばかりいるレガとは違い、外出を好んだ。貴族の令嬢であるにも関わらず、使用人がするような仕事も、不平一つこぼさず、いやむしろ楽しげになんでもこなした。風変わりな少女だ。
 リサに呼びつけられ、レガは少々億劫ではあったが、ともあれ読みかけの本を棚に戻して、おもてへ出た。
「見てください、レガ様! 泉のほとりにまた新しいお花を見つけたんです」
 数日前、泉の周りに花が咲いているのに気付いたリサは、それを掘り起こし、花壇に植え替えた。家の周りがあまりに殺風景で寂しかったらしい。レガの許可を得て、花壇を造った。花壇といっても小さなもので、リサが腕を横に広げたくらいのものだ。
 リサは花壇の前に屈み、さっき植えたばかりだという花を指さした。
「ふわふわしてて、とっても可愛い花ですよね」
 言いながら、リサはあどけない笑顔をレガに向けた。紅潮した頬が、レガの目にひどくまぶしく映る。レガは青みを帯びた黒眸をわずかに細め、花を見やった。
 鮮やかな黄色の小花だ。細長い花びらが幾重にも重なっている。太陽の陽射しを象ったような花だと、レガは思った。降り注いでくる陽射しの暖かさを、レガは蒼白い素肌に感じた。
 今までルィーナにはなかったものだ。花の色も、陽光の暖かさも。
 おそらくは、とレガは思考を巡らせる。
 近頃ではリサを外界に使いに出すことがある。王宮にではなく、町に。トルガ・オギという旧知の呪者に数日預けることもあった。その折に、植物の種を持ち帰ってくるのかもしれなかった。森を通ってルィーナへ戻る時に、衣服に付着する可能性はあるだろう。
 花は、そうしてルィーナに芽生えた。
 リサが望んだのだ。四季がある方が良いと。花が咲いたら嬉しいと。
「リサ、……手を見せてみろ」
「え?」
 きょとんとして、リサはレガを見上げた。レガは隻腕を伸ばす。その手を見て、リサは立ちあがった。
「両手を出せ。掌を上に、右手に左手を重ねて」
「はい」
 リサはレガの言葉に従った。じっとレガを見つめる。左の瞳が、異界の魔術師の瞳の色を映したような色になる。

 レガはリサの両手を、己の掌に乗せた。
「土で汚れているな」
「あ、そういえば。洗ったんだけど、きれいに落ちなくって」
 リサは慌てて手を引っ込めようとしたが、レガに止められた。
 リサの手は、少し荒れていた。土を触ったからだけではないだろう。リサは家事のほとんどを担っている。水仕事はどうしても手肌を荒れさせてしまう。
 心の痛みを感じている自分に、レガは戸惑っていた。呵責めいた気持ちが、リサに対して芽生えてきていたのだ。

 レガは前かがみになってリサの手に口を近づけた。
「レ、レガ様……?」
「…………」
 レガはふぅっと息を吹きかけた。リサの手に青い魔術がかかる。対照的に、リサの頬がみるみると赤くなっていく。何か言おうにも声が出ないらしい。
 レガはリサの手を持ったまま、かけた魔法の意味を伝えた。
「これでもう、この先ずっとお前の手が荒れることはない」
 守護の魔法だと、レガは言った。水からも土からも、リサの白く小さな手を守るための。
「だが、万全ではない。手袋も用意しよう」
「は、はい。あの、……ありがとうございます、レガ様」
 リサは礼を言って、若干ぎこちなく、はにかんだ笑顔をレガに向けた。




 そしてまた、レガの心にふわりと優しいが咲く。










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