しまった、と思った時には遅かった。
空が黄昏に染まり、アルヴィオールの森に夜の帳が落ちようとしている、そんな刻限だ。
いつものようにアルヴィオールの城の周辺を見回っていただけだ。小さな村や砦など、見て回るべき場所はいくらでもある。リュゼは机に向かって眉間に皺を寄せながら書類の山を片づけているので、外回りの仕事は自然と俺に回ってきた。
太陽もどんどん西へと沈み、そろそろ城へ戻ろうかと――もちろん戻る途中で寄り道して、可愛い妻の迎えを待とうと思っていたのだが――俺の腕を引くように、細い女の腕が絡みついた。
「アーベント様、もう少しゆっくりしていかれてはどうです? 良いお酒も手に入ったんです」
赤い唇で微笑みを作り、女は媚びるようにすり寄ってきた。蠱惑的な笑みに陥落する男は少なくないだろう。彼女はそう――この村の村長の後妻だっただろうか。
「いえ、あまり遅くなると可愛い妻が心配するので」
にっこりと隙のない笑みで返すが、女はその豊満な胸を腕に押し付けてくる。あからさまな誘惑に、苦笑するしかない。
さてどうやって振り払おうか――そう考えた時だった。
「……随分と楽しんでいるようだな」
ひやりとした声が、首筋をなぞるようだった。
「リュゼ」
「りょ、領主様……」
冷ややかな金色の目に怯えた女が、するりと俺から離れる。ああ、助かった。
「相変わらず森の中で迷子にでもなっているのかと思ったんだが、違ったようだ。私は先に戻ったほうがいいのかな」
「いいえ、俺も戻りますよ」
即答すると、リュゼはじろりと俺を睨み付けたあとに踵を返す。どうやらご機嫌斜めらしい。
「随分ともてるんだな。別にもっとゆっくりしてきてもかまわないが?」
「もてているんじゃありませんよ。権力にすり寄っているだけです」
「その割には鼻の下が伸びていたんじゃないか」
「あの女にですか? リュゼの目がおかしいんじゃないですか」
あんな化粧の濃い女にはこれっぽっちも欲情しないし、胸を押し付けられたところでうれしくもない。
ふん、とリュゼが面白くなさそうに唇を尖らせる。
「この駄犬が」
ぼそっと呟かれた言葉は、明らかに俺に聞こえる程度の声量だった。夫を犬扱いですか。しかも駄犬ですか。
「やきもちですか」
仕返しのつもりで言うと、リュゼの表情が固まる。そしてじわりじわりと顔を赤く染めて、口を何度かぱくぱくさせた。
「ち、ちがう!」
「心配しなくても俺はリュゼ一筋ですよ?」
「そんなことは聞いていない!」
真っ赤になって否定しても、説得力がない。ふたり馬を並べて城へと戻りながら、藍色に埋め尽くされた夜空を見上げる。
「ああ、ほらリュゼ」
促すようにして空を見上げる。
「月が綺麗ですよ」
うつくしい白銀の月を見上げる妻の横顔を見つめながら、俺は笑みを零す。
極上の月は、いつだってこの手の届く距離にいるのだ。
それは、嫉妬という名の