2:シンデレラ、朝ごはんを食べる


 瞼越しに朝日を感じた。ついでにごはんのいい匂いがする。

「んんぅ?」
「起きたの? ごはんできてるわよ」
「ほえ? おかーさん?」

 いつウチに来てたんだろーと寝ぼけていると、ぱこんと頭を叩かれた。
「誰かおかーさんよ! こんなにデカイ子どもなんていないわよ!」
「あああオネェ!」
 目が覚めた。目が覚めてオネェがいることに驚きつつも頭は動き出す。
「そのオネェってやめてよ。要でいいわ」

 要。――かなめさん。

「要さん……って本名ですか」
「本名以外なにかあんのよ。源氏名だとでも思ってんの? 三浦要、正真正銘親がつけた名前よ」
「はー。よかったですね、タケシとかごっつい名前じゃなくて。似合わないですもん」
 こんな綺麗な人にそんな名前ついていたらわたし泣いちゃうよ。もったいない。
「それは思うわ。アンタは」
「申し遅れました。灰原千春といいます」
 Tシャツ一枚で挨拶というのもどうかと思うんですけど、頭を下げる。
「アンタの服、今乾燥機にかけてるから待ってなさい。ごはん食べてシャワー浴びた頃には乾いてるでしょ」
「何から何まですみません……」
 なんだこれ。ほぼ初対面なのに既に頭が上がらない。
 いいから早くごはんにしましょ、という声に甘えてのろのろとベッドからおりる。Tシャツは立ち上がると太ももまで隠していて、身長差というか体格差を思い知った。うーん。オネェ、背も高いもんなぁ。
 小さなテーブルの上にはほかほかの白いごはんと、お味噌汁、そして厚焼き玉子とお漬物。すごいこんなまともな朝ごはん食べたのいつ以来だろう、と目を丸くした。
「なぁに? 洋食派だった? でもねぇパンばっかりだと身体に悪いわよ、身体冷やすから女のひとは特にね」
 そんなことにも詳しいのか。女子力高いな。
「いや、こんなすごい朝ごはん久々すぎて……」
「……すごかないわよ、アンタどんな食生活してんのよ……」
 あ、照れてるのかな。そっぽ向いた横顔が、ほんのり赤い。
「ほら食べなさいどんどん食べなさい。アンタ少し細すぎよ。食生活も美容には大事なんだからね」
 照れ隠しなのか要さんはわたしにたっぷり食べさせようとする。いやでも美容とか興味ないし。
「びよーとふぁひょーみないれすもん」
「ちょっとぉ、食べながらしゃべらないでよ」
 何言ってんのかわかんないわ、と要さんが笑っていて、そんな顔すら美人は様になる。
「だって玉子なくなっちゃう」
「なくならないわよ! もう、全部食べていいから」
「全部は多いです」
 もともと朝食は食べないことも多いから、そんなにたくさんは食べられない。
「あー言えばこー言うのね千春は」
「う」
「なによ」
「いえ……」
 ものすごく自然に名前を呼ばれるから、ちょっと照れる。低い声は男のひとの声そのもので、だからこそ慣れていなくて恥ずかしい。
「……ごちそうさまでした」
 お腹いっぱいだ。こんなにまともに朝食とったのなんていつぶりか。空腹が満たされると眠くなってくる。ここが我が家だったら牛になろうと豚になろうと二度寝するんだけど。
「はい、お粗末様でした」
 食器を片付ける要さんに、わたしは慌てて立ち上がった。
「食器くらい洗いますよ」
「いーからシャワー浴びてきなさいよ」
「あーうー、じゃあ、はい……」
「シャンプーとか適当に使っていいから」
「ほんとすみません……」
 なんでわたし、昨日まで見ず知らずの、いやむしろ夜中に目を覚ますまで会話したこともないひとに、こんな迷惑かけてんのかなぁ。
「すみませんじゃなくてありがとうって言うほうが美人よ?」
「……ありがとうございます」
「ん」
 満足気に微笑むオネェ、要さんは、超絶うつくしい。眩しくて目が潰れるレベルだ。

 シャワーを浴びながら、普段自分じゃ買わない高いシャンプーに慄いて、わたしに使われるとはもったいない、とほんの少し拝借する。わしゃわしゃと泡立ちもいいなーと思いながらこの状況にまた笑えてきた。
 ……なんでわたし、オネェに助けられて一夜を共にして、翌朝ごはんまで食べてシャワー浴びてんだろうな? 恋人か?
「千春?」
「ひゃい!?」
 扉越しの低い声に声が裏返った。くすり、と笑う気配にますます居た堪れない。意識しているのはわたしだけなのかと思い知らされる。
「服、乾いたから置いておくわよ。タオルは二段目の引き出しね」
「は、はい、すみ……ありがとうございます」
 つい癖で先にすみませんが出そうになったけど、慌てて言い直した。バスルームと脱衣所を隔てる薄い扉越しに、またくすりと笑う気配がする。
 ていうか風呂トイレ別で寝室とリビング……って、要さんいったいどんな仕事してるんだろう。年齢は……たぶんそんなにわたしと変わらないと思うんだけど。すごいなぁ。できる男……いや、オネェは仕事もできるんだろうなぁ。

 髪は濡れたまま戻ると、要さんは「アンタねぇ」と呆れたような声を出す。
「髪はちゃんと乾かす! すぐ痛むんだからね! そしてすぐに化粧水と乳液! これは必須!」
 タオルを奪い取られてわしゃわしゃと乱暴に拭かれる。
「座んなさい、やったげるから」
 アンタはその間に化粧水と乳液よ、とこれまた高いやつが出てくる。マイナスイオンなドライヤーを持ってきて、さっきとは打って変わって丁寧に髪を乾かし始めた。
 ぺちぺちと荒れた肌に化粧水を塗って、乳液をつける。眠いとめんどくさくて省いてしまうお肌のお手入れだ。
「あーあー、もう、せっかく綺麗な黒髪なのにろくに手入れしてないからキューティクルが死滅してるわ」
 すみません、とまた言いそうになったのでぐぐぐ、と黙った。
「さて、じゃあ素地の良さを証明しましょうか」
 髪がほかほかに乾いたところで、ドライヤーを片付けながら要さんはにやりと笑う。

「……はい?」

 そこからはもう、されるがままだった。下地にファンデーションにチークに、とにかくわたしが使わない上等の化粧品が出るわ出るわ。なんでそんなに持ってるんですかオネェだからですか。
「ほら」
 もはや抵抗の意思など最初の三分で尽きて、ようやく終わったと息をついたところで鏡を差し出される。

「……誰だこれは」
「あんたよ千春」
「え? でもあんなに時間かかったのに化粧濃くないですよ」
 少なくともわたしがやるメイクの時間の三倍はかかっている。けれど鏡にうつる顔はそれほど化粧の濃さを感じさせない、でもわたしとは思えない小綺麗な顔になっている。
「時間かければかけるほど派手になるわけじゃないのよ。アンタはナチュラルなのが一番似合うわ」
「はぁ……すごいなぁ。要さん、魔法使いみたい」
 まじまじと鏡を見つめながらため息を吐き出した。パーツはわたしだけど、顔が違う。すごい。

「あたしが魔法使いなら、あんたはさながらシンデレラね」
 いやいや、さすがにシンデレラは言い過ぎですよ。
「今度またオトモダチに飲み会に誘われたら、あたしんトコ来なさい。吠え面かかせてやるわ」
 にやりと笑う要さんは魔法使いっていうか悪役の魔女のようにも見える。悪いこと企んでますって顔だ。
「オトモダチじゃなくてただの同僚ですよ」
 いくらわたしでも、あんなオトモダチはさすがにごめんです。
「どっちでもいいわよそんなの。あたしねぇ、賢しい女の子は嫌いじゃないけど、他人をバカにしているような子は大嫌いなの」
「はぁ……」
 たいへんだな佐藤さんたち。見ず知らずのオネェに嫌われたみたいだ。







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