5:シンデレラ、魔法をかけられる


 長すぎる前髪は耳にかけて、露わになった耳元には大きなコットンパールのイヤリング。まだ夜は冷えるから、とグレーのカーディガンを肩にかけて、爪はいつもよりもほんの少し濃いピンクに染められていた。桜色、というより桃色に近い、甘いけど甘すぎない色は要さんの趣味だろうか。
 そして、慣れないヒールは淡いグレー。寂しいそうな色と思いきやワンピースを合わせるとぴったりとハマる色だった。普段のわたしなら履かないような、ビジューのついた上品な靴。
『さすがにガラスの靴は作れないからねぇ』
 くすくすと笑いながら、要さんは魔法の仕上げにこの靴を履かせた。まるでやわらかな灰の色ね、と呟く唇が妙に色っぽく見えたのはなんでだろう。
『ヒール慣れしてないんでしょ? ならせいぜい魔法の効力は終電までってところかしらね』
 七センチはあるヒールは、わたしにとっては凶器に近い。それでも不思議と履き心地はいいけれど、要さんの言うとおり長くは持たない気がした。
『オーダーメイドの靴なら歩き疲れるようなこともないでしょうけど、生憎そんな時間はなかったからね』
 サンドリヨンの靴は魔法の靴なのよ、と要さんは笑う。
『女の子を一番綺麗に見せるための、世界でひとつの靴。あんたにはまだ早いわ。それに、こんなことのために履くにはもったいないでしょ』
 そうですね、とわたしも笑う。見返すための大事な戦とはいえ、そのためにとっておきの靴はもったいない。そんなものがなくても、要さんはびっくりするくらい綺麗にわたしを変身させてくれた。
 華奢なこの靴は意外にもしっかりとわたしを支えてくれたので、待ち合わせている今はまったく疲れていないけど、時間が経てばさすがに悲鳴をあげるだろう。

 言われなくても長居する気はないけれど。

「……灰原さん?」
 井上さんと佐藤さんがおずおずと声をかけてきた。劇的ビフォーアフターをしたわたしだが、化粧はあまり濃くない。雰囲気は激変したと思うけど、顔つきは元のわたしをなんとなく上品にしていたくらいだ。うーん、要さんの趣味かなぁ。
「ああ、井上さん、佐藤さん。時間どおりですね」
 ――いい? なめられてるから馬鹿にされるの。あんたがあいつらより上等なんだって思い知らせなさい。
 にっこりと微笑みながら答える。井上さんと佐藤さんは一瞬だけアイコンタクトをして、すぐに応戦体勢に入った。格下と思われたらこうはいかない。
「ごめんねぇ、待たせちゃった?」
「いいえ、それほどでも」
 微笑む時は要さんを手本にする。するとおもしろいくらい上手に笑えた。身近に美人がいるとこういうときに便利だ。

 飲み会は、やはりほぼ合コンだった。我が社の営業部の男性陣が集まっている。
「わぁ、灰原さん、私服だとそういう感じなの? 綺麗だね」
「ありがとうございます」
 ――社交辞令は笑顔で流しなさい。
 要さんの教えを守りながら、わたしは手のひら返したような男性陣に作り笑顔で対応した。
 飲み会だろうが合コンだろうが、こんな無為な時間は早く終わるといい。時計を確認しても、まだ二時間も経っていなかった。
 苦痛の時間を耐え忍んで、ようやくお開きになる。二次会には用がない。さっさと帰ろうと思ったのに周囲の勢いに負けて強引に参加させられたときは、要さんからこういう場合のうまい断り方も教わっておくんだった、と後悔した。
 顔面偏差値が高ければ有利なのは知っているが、こうも簡単に騙される男性陣は見ていてかわいそうになってくる。同時に馬鹿だな、と思うけれど。なに食べる? 飲み物減ったね? と甲斐甲斐しく話しかけてくるひとを笑顔で流しながら早く終わらないかな、と思うばかりだ。
 酒にそれほど強くないから、酔いもまわってきている。この間のような醜態は晒すまい、とお手洗いに立ってウーロン茶を頼んでおいた。

『まだ合コンなの?』

 スマホには、要さんから連絡がきていた。それになんだかほっとする。
 居酒屋の味付けの濃い食事じゃなくて、要さんのごはんが食べたいなぁ……。そんなことを考えながら返信した。
『はい、駅前のお店で。二次会断れなくて』
『店の名前教えなさい』
 足が少しずつ疲れを訴えてきている。要さんのかけてくれた魔法がとけようとしている。作り笑顔にも疲れてきていた。
 席に戻って注文していたウーロン茶を飲んだけど、酔いは覚めない。うわ、そろそろやばいかも、と頭のなかで警鐘が鳴り始めた。
「灰原さん? 大丈夫?」
 気遣わしげな営業部のなんとかさんがべたべた触ってきて気持ち悪い。視界の端で井上さんたちがにやにや笑っていた。――まさかこれ、ウーロン茶じゃなくてウーロンハイか。そんなことまでするのか。女ってつくづく怖い。
「そろそろ二次会もおひらきにしましょうかぁ!」
 あんなに飲んでいたのに元気な佐藤さんが声をあげる。はいはい会計、とそこまではまだ思考が生きていた。

 店を出て外の空気に触れる。夜風が気持ちいいけど、立ち上がった途端に酔いがまわった。視界がぐらぐらする。
「ねぇ灰原さん、大丈夫? 田辺さんに送ってもらったら?」
 井上さんがまさに猫撫で声といった感じで言ってくる。田辺というのはこれか、さっきから馴れ馴れしいこいつか。ごめんこうむる。どいつもこいつもにやにや笑ってんじゃねぇよ。お持ち帰りなんてされるわけないだろ。
「いえ……」
 平気です、と答えようとしたところで足元がふらついた。あ、まずい、転ぶ。灰色の靴は、もうわたしをしっかりと支えてくれない。

「――千春」

 ぼんやりした思考のなかで、はっきり聞こえた要さんの声。要さんのにおい。
「かなめさん……?」
 転びかけたわたしをしっかりとその腕で支えながら、要さんは呆れたように微笑んだ。なんでいるんだろ、ああそういうば店の場所を教えたんだっけ、とわたしは要さんを見上げた。
「アンタねぇ、あんまり飲むなって言ったでしょうが。しょうもない子なんだから」
 突然現れた美人に誰もが目を丸くしていた。しかもオネエだもんね、そりゃ驚く。
 ふわりと身体が浮いたと思うと、すぐ目の前に要さんの綺麗な顔があった。わたしに抵抗する気力はない。タナベだかワタナベだかに触られるのは気持ち悪かったはずなのに、要さんの体温はひどく心地よくて、眠気がやってくる。
「え、あの!?」
 慌てたように佐藤さんが声をあげる。あら、と要さんは壮絶に微笑んだ。まるで今まで居たことにすら気づかなかったように、あなたいたの? と。

「ごめんなさいねぇ? シンデレラはもう帰る時間なの」

 にっこりと、それは容赦ない微笑みを浮かべて要さんは言い放った。



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