6:シンデレラ、狼さんに食べられる?



 シトラスの香りが心地よい。
 ううーん、枕が少しかたいなぁ、なんて思いながら寝返りを打った。シーツの肌触りがいい。あれ? わたしシーツ替えたっけ?
「――千春? 起きたの?」
 耳元をくすぐる声に、目を開ける。綺麗な顔が、そこにあった。
 心地よい眠気も一気に吹き飛ぶ。冴えきった頭ですっとぼけたことを考えていた。なんだっけこういうの……デジャヴュ?
「……要さん」
「なぁに?」
 甘いと感じる要さんの声に、くらくらする。お色気マックスなのはなぜでしょうか要さん……。
「…………ヤッた?」
 ためにため込んだ問いに、要さんは失礼ね、と微笑む。
「ヤッてないわよ失礼ね。あ添い寝してあげただけでしょ」
 いや添い寝っていうか、むしろこれはわたしが抱き枕なんじゃないか。わたしも要さんの腕枕で寝ていたんだからお互いさまなのか? お水を取りに行った要さんを見送って、時計を確認する。
 ――午前三時。相変わらず起きるにはずいぶん早い。まだまだ夜中だ。
 そしてふと、自分の格好を見下ろした。勝負下着というわけではないけど、この間買ったばかりの白いレースの上下。白ってちょっとかわいすぎるんじゃないかな、と思いつつレースがかわいくてついつい買ってしまったやつ。だってほら、見せる相手はいないし自分が楽しめればいいじゃないって思ったわけですよ。枯れててもたまには見えないオシャレしてもいいんじゃないってね。
「……要さん」
「なぁに?」
 ミネラルウォーターを持ってきた要さんが、かわいらしく首を傾げる。美人はとことんなにやっても美人だ。
「なんでわたしは下着姿なんですかね」
 そしてなんでそんな格好で要さんの抱き枕になっていたんでしょうかね。これでヤッてないって、普通は信じられませんよね。
「あたしが脱がせたから。せっかくのワンピースが皺になっちゃうじゃない」
 対する要さんはタンクトップに部屋着のスウェット。ずるい。枕にしていた二の腕についつい目がいく。細身のくせにちゃんと筋肉はあるんだよなぁ……。
「Tシャツでいいからかしてくださいよ……」
 あんな高そうなワンピースをしわくちゃにしてはいけないのは、わたしにだって理解できます。意識がなかったし勝手に脱がされたのも、まぁ目をつむります。でもだったら何か着せてくれてもいいじゃない! わたしにだって羞恥心はあるんですよ!?
「――ちょっとね、おバカさんなシンデレラに学んでもらおうと思って」
 シンデレラ、というのはわたしのことでしょうかね。
 確かに見返してやろうと合コンに行って、あやうく返り討ちに合いかけたんだからバカなのかもしれないけど。
「はぁ」
 生返事のわたしをじとりと見て、要さんは一度悩ましげに溜息を吐き出した。
「あんまり無防備な姿晒してると、ぱっくり食べるわよ」
 はぁ……。ぱっくりと。
 ――……は?
「……はい?」
 聞き間違いだろうか、とわたしは聞き返すと、要さんはほら、とミネラルウォーターを差し出してくる。相変わらず蓋は一度開けられていた。おずおずとそれを受け取ると、要さんはわたしを見下ろしながら追い打ちをかけた。
「あたし、口調はこんなだけど、ゲイじゃないから」
 ミネラルウォーターを飲んでいなくてよかった。飲んでいたら確実に噴き出していた。
 ギギギ、と壊れたロボットみたいにわたしは要さんを見上げる。そこには妖艶に微笑む美人がいた。
「…………はい?」
 聞き間違いであってほしい。
 けれど要さんは残酷にもわたしのささやかな願いを粉々に壊した。
「ほいほい男に持ち帰られそうになって、迎えに行ったあたしにお持ち帰りされて、しかも安心しきった顔で人にくっついて寝ちゃって。今度同じことしたらおいしくいただくから」
 仏の顔は三度までっていうけど、あたし仏じゃないし。と、要さんはさらりと爆弾を落とした。
「……ドウイウコトデショウカ」
 おいしくいただくって、あれですか。ごはんの話ですか。そうですよね。
 カチコチと時計の音がやけに大きく聞こえるくらいの静寂のあとで、要さんは唇を上げて身をかがめる。近くなった綺麗な顔に身を強張らせていると、その指がするりとわたしの頬を撫でた。

「――説明してほしい?」

 全力で遠慮させていただきます!!












 眩しい朝日で目が覚める。
 おいしそうなお味噌汁の匂いに現金な腹の虫は空腹を訴えてきた。
「――う?」
 広いベッド、綺麗な寝室。うん、ここはわたしの部屋じゃない。時計を見るとそれは昨夜時間を確かめたやつとまったく同じ。ここは要さんの部屋だ。
「千春? 起きたなら早くこっち来なさい。朝ごはんできてるわよ」
「ふぁ!? は、はい!?」
 あれ、あれ、夢だったのか?
 要さんがお色気マックスで狼さんな発言をしていた――気がするのだけど、わたしは下着姿じゃないし、なんか要さんはいつもと変わらない。男物のパジャマの上下はだぼだぼだった。そこには色っぽさの欠片もない。
「おはよ」
「……おはよう、ございます」
 いつものエプロンをつけて朝ごはんを並べる要さんは、特に変わったところはない。なーんだ。きっと、酒に酔って変な夢を見たんだろう。
 ほっと安堵して座ると要さんが「なぁに、どうしたの」と笑った。
「いやー。変な夢見ちゃって。要さんがゲイじゃないのよ、なんて言ってたんですよ」
 ぱくりとだし巻き卵を一口頬張りながら笑い飛ばすと、要さんの目が細められる。
「あら、やぁねぇ」
「ねー。おかしな夢ですよねぇ」
 あはは、と笑って炊き立てのごはんを食べる。あー、おいしい。酒が翌朝まで響かなくてよかった。二日酔いなんかだったらおいしくごはんも食べられなかった。

「――アレを夢と思っているんだから、あんたってホントどうしようもないおバカさんよねぇ」

 ――――はい?

「あんたそんなに、あたしに食べられたいの?」
「……要さんのごはんなら、毎日食べたいくらいですけど、食べられるのは、チョット」
 こんな干物、おいしくないと思いますし。やめたほうがいいですよお腹壊しますよ?
 じりじりと攻められるこの感覚は、夢のなかの――いや、夜とも朝ともいえない、あの午前三時ときと同じだ。なんてこったあれは夢じゃなかった。
「へぇ? いいわよ? 毎日作ってあげるから嫁にくる?」
「は? へ? 要さん寝ぼけてます?」
 ヨメって、嫁ですか。ちょっとぶっ飛び過ぎてついていけない。朝からこんなに脳みそオーバーワークさせたことない。
「寝ぼけてんのはどっちよ……。いいわ、覚悟ができたらうちの店来なさい。とびきりの靴を作ってあげるから」
 結婚式で履けるようなの、ね。
 要さんが意味深に微笑む。それは、招待客として履く靴のこと――じゃないです、よね? とさすがに空気を読んで口には出さないけれど、要さんにはバレバレだった気がする。

 魔法使いと思っていたひとは、とんだ狼さんだったみたいだ。
 すっかり餌付けされて手懐けられて、わたしはそう遠くない未来にぱっくり食べられちゃうんじゃないだろうか。
 


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