可憐な王子の受難の日々

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1:お願いがあるんだけど



 可愛い妹からのお願いは、ワガママだと分かっていてもついつい頷いてしまう。妹に甘い自覚は十分にあったアドルバードだが、それが不幸の始まりであるとは露ほどにも思わなかった。

 がたがたと揺れる馬車の中。向かいに座る騎士は呆れたように呟いた。
「……いいかげんに機嫌を直してくれませんか、アドル様」
 アドルバードの騎士――レイの青い瞳がこちらを困ったように見つめている。小さな窓の向こうにあるのは針葉樹の森だ。祖国ではよく見るその景色も、もうじき見えなくなるだろう。行き先は蒸し暑い南国なのだ。
「この拷問具みたいな服が脱げるならすぐに機嫌も直るさ。大体、無理があるだろ! 女装してリノルのふりをするなんて!」
「無理があると思うなら、初めからリノル様からのお願いを聞かなければいいんですよ」
 冷静なレイの言葉に、アドルバードは言い返す言葉に詰まった。レイの言うことはまさにそのとおりだ。初めから自分が妹のリノルアースのお願いをほいほいと聞かなければ、コルセットで締め付けられることも、危険なハイヒールを履くこともなかっただろう。鬘だって重い。髪の毛もこれだけ長いとけっこうな重量があるんだなと今まさにアドルバードは実感している。
「それに、アドル様が考えるほど無理でもありません。双子というだけあってリノル様にそっくりですし、誰もが女だと信じて疑いませんよ」
「それ、かなり心にぐっさり刺さるんですけど」
 男がそんなことを言われて嬉しいと思うはずがない。フォローのつもりなのだろうが、間違いなく逆効果だ。
 アドルバードとリノルアースは双子の兄妹だ。生まれてから十五年間、男女ということもあってそんなに似ていない気がしていたのだが、こうして女装してみると驚くほどによく似ているということを思い知らされた。
 実際は、これほどまでに似ている必要はないのだ。これからリノルアースとして会う人物は、本物のリノルアースと会ったことがないのだから。重要なのは女に見えるか見えないかであって。
「……レイ、俺は女に見えるか?」
「正直に申し上げるのなら、今のアドル様は見事な姫君ですよ」
 がっくりと肩を落としつつもそれでいいのだ、とアドルバードは自分に言い聞かせた。女装しているとバレた時の方がずっと痛い。

 リノルアースはそれはそれは美しい姫だと周囲の国では有名になっていた。身内の贔屓目を抜きにしても、リノルアースは可愛らしい。赤みがかった金の髪はゆるく波打ち、晴れた日の空の色の瞳はどこまでも澄んでいる。肌は象牙のように白く透き通り、一見するとリノルアースはとても華奢な、弱々しい乙女だ。
 つまりは外見上の特徴はアドルバードも同じなのだが、髪はもちろん癖がでるほど伸びていないし、肌は毎日の剣の稽古のおかげで健康的に焼けている。
 吟遊詩人には花や月や太陽に例えられるリノルアースは、実際はかなりのお転婆な姫君だ。そして使えると思ったものはたとえそれが血のつながった、しかも同じ日に生を受けた双子の兄であろうと迷うことなく使う女だった。策士な妹を持つ兄は辛い。
 今回も、そんな彼女の涙に騙されたのだ――。




「お兄様、お願いがあるんだけど」
 部屋にやって来て、にっこりと、花のように可憐に微笑むと同時に、リノルアースは逃亡を図ろうとするアドルバードを捕まえた。
「なんで逃げるのかしら」
「おまえが俺を兄と呼んだときはろくなことがないって知ってるからな」
「うふふ、よく分かってるじゃない。だから好きよ、アドル」
 リノルアースの笑顔そのものは実に無邪気なものだったが、それがアドルバードにはとてつもなく恐ろしく感じた。ほんの数メートル先にある出口が恋しい。
「お願いがあるの、アドル。私ほんっとうに困ってるの。助けてくれるわよね?」
「嫌だ。おまえは俺が協力しなくても自力でどうにかできるのに面倒事を俺に押し付けようとしてるだけだろ。絶対にお断り!」
 ここは男としてきっちり言っておかなければ、とアドルバードは心を鬼にしてリノルアースを振り切った。リノルアースがやろうと思えばたいていのことは出来るに決まっている。困っている、というのも面倒だというくらいで実際リノルアースの手にかかればあっさりと解決するようなものばかりだ。
「…………ひどい」
 ぽつり、とリノルアースが呟く。その目はかすかに潤んでいる。
 ここで騙されては駄目だと自分に言い聞かせながら、潤んだリノルアースの瞳にかなり心が揺らぎ始めた。
「アドルは私がどうなってもいいって言うのね。そうよね、双子って言っても結局は他人だもの。自分の半身のように思ってるのは私だけだったのね」
 いや、どんなにワガママで性格が悪かろうと可愛い妹だと思うし、昔は本気で二人で一人的なことも考えていた。大事な妹だ。声に出してしまえば調子にのるから言わないけど。
「リ、リノル。俺は何もそこまでは……」
 言ってないぞ、と言おうとリノルアースの顔を覗きこむと、彼女の白い頬を水滴がつたった。
「言ってるじゃない。アドルは私の貞操なんてどうでもいいんでしょう!?」
「て、て、て、貞操っ!? お姫様が……っていうか女の子がそんなこと言うな!! なんで今の流れからそうなるんだ!」
 ずっとアドルバードの側にいたレイは、貞操という言葉一つでかなり動揺している主人を見て若干情けなくなった。気づかれないようにはぁ、とため息を零す。
「関係あるのよ。でもアドルは私のお願い聞いてくれないんだもんね、関係ないのよね、私言わなくてもいいのよね」
「わ、分かったよ! 何でもするから泣くなって!」


 そう言った直後のリノルアースの顔を、アドルバードは一生忘れないだろう。


「ありがとう。お兄様。だから大好きよ」




 にっこりと、それは可憐で美しい、黒い微笑みだった。




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