可憐な王子の受難の日々

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10:いけませんよ、一人で出歩かれては



 嫌だ嫌だと思っていた今回のアルシザス訪問も、女装が見破られたにも関わらずお咎めもなし、第二の問題であるレイの身の危険については本人曰く、人のものには手を出さないだとか、その他もろもろの理由で実際には問題にすらならなかった。
 悩みといえばカルヴァの恋愛相談を相手も知らないのに聞かされることくらいだが、それはまぁ大目に見てもいいだろう。
 南国の茹だるような暑さにも慣れてきた。もとより城の中は上手く工夫されていて、日光の下に出ない限りはそう暑くもない。
「なんだか拍子抜けするくらいに楽な仕事になったなぁ」
「――これから陛下のところですか」
 レイが何か言いたげな目でそう問いかけてきた。
「ああ。分かってるとは思うが、ついて来なくていいからな」
 恋愛相談どころか油断すれば自分の話までさせられるのだ、本人にいられると相当まずい。
「ええ、もちろん私も馬鹿じゃありませんから、一度言われれば分かります。しかしアドル様、一応私はあなたの騎士で、護衛なのですが」
「――分かってるよ。でもまぁ、その、男同士の話ってもんでな」
「――――――」
 また、レイが何か言おうとして言葉を飲み込んだ。
 言いたいことがあれば容赦なく言う性格の彼女が躊躇するなんて可笑しい。
「……お気をつけて」
 結局彼女はそう言ってアドルバードを送り出した。
 昨日も、一昨日も、せめて部屋の前まではお送りしますと言って譲らなかったというのに。
 珍しいこともあるものだと、その時深く考えなかったことを、アドルバードは後で後悔した。





「リノルアース姫」
 カルヴァの愚痴を聞く為に一人、廊下を歩いていたアドルバードはそう話しかけられた。
 即座に淑やかで可憐なリノルアースの顔を作り、振り返る。
「なんですか?」
「騎士様はご一緒ではないのですか? いけませんよ、一人で出歩かれては」
 見たことのない、城の警備の男だった。服装で分かる。
「大丈夫ですよ、すぐそこまでですから」
 にっこりと微笑みながらアドルバードは踵を返し、再び目的地へ向かおうと歩き出す。
「駄目ですよ」
 すぐ後ろからの声。
「――――――っ!」
 薬品の匂いがした布で、口を塞がれる。
 後ろから羽交い絞めにされて動けない。男はアドルバードよりも頭二つ分は背が高かった。
「こうやって、誘拐されますよ?」
 視界が揺らぐ。
 男の顔をもう一度見ようと思っているのに、ぐらぐらと蜃気楼のように歪んでいてはっきりと見えない。
「……レ、……ィ…」
 いつもすぐに駆けつけてくるはずの騎士の名を呼んでも、その声はあまりにも小さすぎて届かない。
 駄目だ、レイが心配する――――。
 アドルバードは消え行く意識の中で、たった一度だけ見た、彼女の不安そうな顔を思い出した。








 そう、それは、二年前の剣の誓いの時だっただろうか。


 彼女は冷静で、いつも表情を変えず、親しい者以外から誤解されがちだった。
 彼女が笑ったところを見たことは、そんなに多くない。でもそれ以上に、不安そうな顔なんて見たことがなかった。もちろん、泣き顔も。
 たった一度だけ。
 あの長いようで短い一瞬で。
 彼女は不安そうに見つめてきた。
 跪き、自分の命とも言える剣を差し出していた手は、かすかに震えていた。受け取るか、受け取らないかのその瞬間、彼女はどうしようもなく不安だったのだろう。
 そっと、自分も震える手でその剣を受け取ると、彼女は一瞬だけほっとしたように微笑んだ。その顔はとても綺麗で、儚かった。


 ――――――レイ。






「――――アドル様?」
 何か聞こえたような気がして、レイは部屋から出る。
 やはり追い出されると分かっていても部屋の前まで送れば良かっただろうか、妙な胸騒ぎがする。
 どう足掻いても男になれないということは分かっているのに、さりげない言葉でへそを曲げるなんて子供のすることだ。
 あの人の側にいるためには女ではいけない。だから二年前、長かった髪と共に女だった自分も捨てた。あの人を守る。あの人の側にいる。すべては自分の我儘だ。
「失礼します。リノルアース様はいらっしゃいますか?」
 いつも主とアルシザス国王がお茶を飲みながらなにやらこそこそと話し込んでいる部屋まで足を運んで、扉をノックする。
「入りたまえ、騎士殿」
「は――」
 扉を開けた先に、可憐な姿の主はいない。
「陛下、アドル様は――っ!」
「落ち着きたまえ、今探させているところだ。怪しい者が最近ちらほらといたようでね、彼女――彼でもいいか、彼には君がいたので言わないでいたのだが」
「どうしてそのようなことを隠しておかれたのですか。このまま主に何かあれば大きな問題になりますよ」
「脅しかね」
 カルヴァが低い声で呟く。顔は笑ってはいるが、目が笑っていない。
「そう聞こえるのであれば。犯人の目星はついているんでしょうね?」
「一国の王に向かって随分な口を……まぁいい。剣の誓いとはそういうものだからな。騎士殿が案じているのは国でなくただ一人だ。安心したまえ、予想はついてる」
「ならば――」
「ただ面倒な相手だ。騎士殿、リノルアース姫の滞在の延長を。そして替え玉を用意しなければ。そうだな、一週間だ」
 アドルバードと話している時の国王と、今の国王、どちらが本物なのかなどと考えつつ、レイはため息を吐き出す。
「替え玉ならばとっておきのがいますよ、国王陛下」
「ほう?」
 レイは足音を立てずに扉に忍び寄り、躊躇なく扉を開けた。
「きゃああっ!」
 転がる、ハウゼンランドの侍女。
「――盗み聞きとははしたないですよ、リノル様」
「……ばれてたのね」
 むすっと不機嫌そうにリノルアースが呟く。普段の姿とは違って、髪は亜麻色に、肌は少し濃い色になっている。髪はかつら、肌は染め粉だろう。
「大勢の侍女に紛れていても分かりますよ。まぁ、アドル様は気づいていないでしょうが。話は聞いていたでしょう。元の姿に戻って、リノルアース様を演じてください」
「演じてって……本物なのに」
「いつものように振舞われては困ります。アドル様が演じていたりノルアース様です。ルイ、隠れていないで出てきなさい」
「はい……」
 しょんぼりとして出てきたリノルアースの騎士、ルイまでもが侍女の格好をしていた。さすがにレイもそれには驚く。
「おまえまでそんな格好を……」
「リ、リノル様があぁぁぁっ!!」
 姉の言葉に、ルイは涙声で叫ぶ。
「似合うでしょう!? 無理かなぁと思ったんだけど意外と似合うでしょうっ!?」
 リノルアースが目を輝かせながら喜々としてレイに問いかける。……正直なんとも言えない。
「――あー……もうそろそろ説明してくれないかね、騎士殿? それよりも先に挨拶かな?」
 しばらく呆然として口もはさまなかったカルヴァが、控えめに話しかける。
「アルシザスへようこそ、本物のリノルアース姫」
 苦笑しながらカルヴァはアドルバードに言った言葉を、本物にも言う。
 リノルアースはそこに国王がいたことをすっかり忘れていたらしく、一瞬目を丸くして振り返った後、極上の笑顔で答えた。
「お会いできて光栄ですわ、アルシザスの国王陛下」
 その姿はいつもドレス姿ではないのにも関わらず、太陽の下で誇り高く咲く花のごとく、美しかった。



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