可憐な王子の受難の日々

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12:大人しく捕らわれの身でいると思うなよ



「――――――……ぅん」


 ひどく目覚めが悪い。
 そういえばレイはどこだろう。いつも起こしに来るのに、今日はまだだろうか。
 鈍く痛む頭を押さえながら、アドルバードは起き上がった。首にかかる髪を鬱陶しげに払いのけて、かつらをつけたまま寝てしまったのかと思う。
「……どこだここ」
 知らない、家具やらを見回しながら、アドルバードは呟く。
 冷静に振り返る。今はアルシザスに来ていて、すぐにカルヴァに男だってばれて――気がつけばアルシザスの城に用意された部屋よりも、ハウゼンランドの自分の部屋よりも狭い。調度品は上等なもののようだが――。
「そうだ」
 カルヴァのところに行く途中で、誰かにリノルアースと呼ばれて、振り返って、薬を嗅がされた。
 その後の記憶がない。
「――誘拐か?」
 リノルアース姫を。
 思い当たることはいくつもある。これでも一応は一国の姫(本当は王子)であるわけだし、アルシザスに滞在中にそういう事態に陥れば、問題は広がる。
 ベットから下り、窓に歩み寄る。人一人通ることが精一杯であろう小さな窓の外には鉄格子が嵌められている。それにかなりの高さがあるようだ。落ちたら間違いなくあの世逝きだろうな、とアドルバードは冷や汗を流した。
 扉も固く鍵がかけられている。自力での脱出は不可能だろうか。
「……心配してるよなぁ」
 太陽の位置からいって半日以上が経過している。レイがアドルバードの不在に気づかないわけがない。
 誘拐犯が顔を出さない以上アドルバードにはこれ以上打つ手がない。なんとも虚しい状況だ。
「――――……」
 扉に歩み寄り、耳を押し当てる。
 かすかな人の気配を感じ取って、アドルバードは小さく咳をした。
「……誰か、いませんか」
 自分でも驚くほどのか細い作り声で、扉の外の人間に話しかける。
 返事はない。
「ここは、いったいどこなの。どうしてこんな……」
 嗚咽交じりに呟くと、コンコン、とノックされる。
 かかった、とアドルバードの目は輝いた。
 即座に表情をしおらしいお姫様に変え、アドルバードは答えた。弱々しい可憐なお姫様の方が相手も油断するだろう。
「――……どうぞ、と私には言う資格がありませんけれど」
 なんせ閉じ込められてるんだ。
 鍵が開けられ、扉がゆっくりと開かれる。入ってきたのは黒髪に、褐色の肌の中年の男性。一目でアルシザスの者だと分かる。体格が良く、体重はアドルバードの倍以上あるだろう。流れる汗を拭きながらアドルバードを舐めるように見る。分かりやすいくらいに欲深そうな男だ。
「お初にお目にかかります、リノルアース姫。このような招待で混乱されていることでしょうな」
 当たり前だろうが。この野郎。
 と、いう心の声など少しも顔に出さずに、アドルバードは目を伏せる。
「……え、ええ。もちろん。その、あなたはどうしてこのようなことを? 何か事情があるのでしょう? 話していただければ、お力になれると思いますわ」
「――この国のためです。姫も祖国を愛するのならばご理解いただけるでしょう。あの国王では駄目なのです」
 と、いうことはこの男はやはりアルシザスの貴族あたりなんだろう。カルヴァに不満を抱いて謀反を企んだ――そんなところだろう。
 アドルバードは言葉を慎重に選びながら男から情報を探る。
「国王――アルシザス国王、カルヴァ様のことでしょうか。私はこの国に来たばかりなので、あなたがどうしてこのようなことを考えたのか、そこまでは分かりません。しかし私も己の祖国は心から愛しております。国の為に良いと思うことをする――その行為は、十分に分かります」
 だからってこんな卑怯なことは許せないけどな。
 内心では男に唾を吐きながら、アドルバードは可憐な姫を演じた。一ヶ月の恐ろしい特訓のおかげで違和感などかけらもない。
「ですが、アルシザスの国情になぜ私が関係するのです? 私はアルシザスの足元にも及ばないような、小国の姫です。私を利用しても、何も得られないと思いますが」
「あなたが陛下に嫁ぐという話が出ています」
 ぐ、とアドルバードは言葉を飲み込んだ。どこでそんな情報が――遠まわしで求婚されたことがあるぶん、全くの嘘というわけでもないから、返す言葉に迷う。
 深く考えれば未婚の姫が他国を訪れること自体が誤解を招く行為だった。ましてアドルバードとカルヴァは頻繁に二人で話す機会があったのだ。
「――そのような話、聞いた覚えはありませんわ。私は見聞を深めるためにこの国に来たのですもの」
「……どうであれ、姫の身柄は陛下に対する取引材料になるのですよ。大事な国賓ですからね」
 それはさすがに否定できなかった。
「――私は、どうなるのですか」
「陛下次第ですよ、姫。ご安心ください、危害を加えるつもりはありません」
 いやらしい笑みを浮かべて、男は部屋から出て行った。名乗りもしないなんて(誘拐犯なのだから当然かもしれないが)なんとも失礼な奴だ。
 部屋の前にいる見張りの顔がちらりと見えた。申し訳なさそうにアドルバードに頭を下げる。
 あの見張りの男は、利用できそうだな。
 問題が大きくなる前にここから出たい。
 簡単な脱出が出来ないというだけで、アドルバードは自力で逃げ出すことを諦めらわけではなかった。




 窓から外を見ていると、馬車が遠ざかっていくのが見えた。
 おそらく先ほどの中年の男が去ったのだろう。
「あいにく、か弱いお姫様じゃないからな。大人しく捕らわれの身でいると思うなよ」
 アドルバードは不敵に微笑み、遠く走り去る馬車を見送った。



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