可憐な王子の受難の日々

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14:私にも私の誇りがあります



 アドルバードの計画は太陽が西に沈み、あたりが暗くなってから実行された。
 相変わらず扉の所には見張りがいるようだ。扉に耳を寄せれば息遣いと衣擦れの音が聞こえる。
 日が暮れるまでの間ずっとしおらしいお姫様を演じ続けた。姿は見えなくても泣いているふりだけは扉越しに聞こえるだろう。
 ドレスの下には念のためと用意していた短剣が忍ばせてある。取り上げられていないのが幸いだった。
 色とりどりの花が生けられている大きな花瓶を持ち上げ、思い切り床にたたき付けた。
 大きな音が部屋に響き、花瓶は粉々に砕け散った。
「なんだっ!?」
 扉の外の見張りが部屋に入ってくる前にアドルバードは扉のすぐ隣に立った。
「ど、どうしました!?」
 勢い良く開けられた扉から、気の弱そうな例の見張りが入ってくる。
 アドルバードは手に握っていた短剣を男の首にあて、低く呟いた。
「大人しくして」
 声はアドルバードの地の声だったが、それも男としては高めだった。
「ひ、姫……!?」
「見張りはあなただけ? それとも他にいるの?」
 地声で話しても男とばれていないようなので、アドルバードはそのまま姫として振舞うことにした。女と思われているほうが舐められる分楽だ。
「階下にあと数人います……姫、どうか大人しく部屋にいてください。どう考えてもあなたが他の男を相手にするのは無理です」
 悪い奴ではなさそうだ、というアドルバードの認識は間違ってはいないのだろう。しかしここで引き下がることはアドルバードの中の選択肢にはなかった。
「王族として他国の貴族ごときに利用されるのはまっぴらです。私にも私の誇りがあります。私がこうしていることで祖国に何らかの害があるのなら、なおさら」
「が、害など……ハウゼンランドには手を出したりしません。我々の目的はあくまでもこの国の改革で――」
「そう思っているのはあなただけでしょう」
 きっぱりと、アドルバードは言い切った。
 昼間にやって来たあの男はそんな生易しい考えを持っていないだろう。あれは強欲な者の目だった。アドルバードを――リノルアース姫を誘拐するという段階でこの問題にハウゼンランドは関係してくるのだ。
「そんな――――」
「ごめんな」
 アドルバードはそう呟き、見張りの首に手刀をお見舞いする。それは脳を揺らし、軽い脳震盪を起こされるので見張りは簡単に気絶してしまった。
 これでも男、そして一応は王族だ。身を守る|術《すべ》は身についている。
 特注のドレスはこれでも動きやすいように工夫されているのだが、まとわりつくスカートはこの上もなく邪魔だった。
 アドルバードは気絶した見張りの男を見る。
「――本当にごめん」
 一度手を合わせ、そう謝罪してから男の服を剥ぎ取ってそれに着替えた。代わりにドレスを着せるのも哀れだったのでベットのシーツをかけておくことにした。
 服は少し大きかったが、ドレスよりは動きやすい。
 それに派手なドレスを着て逃げ回ってもすぐに見つかるに決まっている。
「怒ってるよなぁ、絶対怒ってるよなぁ……」
 アドルバードはぶつぶつと呟きながら部屋から出た。
 レイのことだ、かなり確実に怒っているだろう。レイが本気で怒るとかなり怖い。あの綺麗な顔が迫力を増幅させていた。気温が下がったような錯覚さえ起きるのだ。できることなら彼女を怒らせるのは避けたい。
 それに、心配させるのも。
 とりあえず武器となるのは隠し持っていた短剣だけだ。お姫様(だと思っている)相手に武器を持ち出したりしてこないことを祈る。
「おい、どうした? 交代の時間過ぎてるぞ……って!」
 やば。
 声に出さなかったのは幸いだった。
「どうやって出てきた! しかもその服――!」
「騒がないでもらえるかしら?」
 アドルバードはにっこりと微笑みながら隙だらけの男の首筋に短剣を突きつけた。
「なっ……」
「か弱いお姫さまと侮ったのが不幸だったわね。女は一つや二つ別の顔を持ってるものよ?」
 本物のリノルアースだったらここで容赦なく男の急所を蹴るのだろう。痛みが分かるアドルバードには躊躇われる行為だ。
「逃げ切れるとでも思ってんのか? お姫様?」
 見張りの男とは違って下品な笑みを浮かべてアドルバードをじろじろと眺める。
 はぁ、とアドルバードはため息を零した。
 これは躊躇っているような場合ではないらしい。今はリノルアース姫なのだから、ということで自分のことを許そう。
「――悪いな」
 アドルバードは地声でぽつりと呟き、容赦なく、全力で相手の股間を蹴り上げた。
 男は唸りながら前のめりに倒れこむ。そこでアドルバードはとどめに手刀をお見舞いした。男はあっさりと崩れ落ちる。
「うえー……痛いだろうなぁ、後味悪ぅ……」
 アドルバードは合掌しながら階段を駆け下りた。
 かなり高い塔で、しかも階段は結構狭い。ここでまた誰かと鉢合わせということも十分にありえるだろう、とアドルバードは短剣を握り締める力を強める。





 その後二人に見つかったが同じような手口で気絶させた。
 まさか深窓のお姫様が果敢にも脱走するとは誰も思っていなかったらしく、誰もが油断していたのがアドルバードにとっての幸運だった。
 厩に行き、気に入った馬を一頭拝借した。誘拐犯に遠慮する必要などない。
 馬はよく手入れされていて、人懐っこいようだ。すぐにアドルバードに懐いてくれた。
 アドルバードは一晩中走るつもりだった。
 王都までどれくらい離れているのか、ここはどこなのかも分からない。自分の国でさえ王都以外の場所で一人になったことなどないというのに、他国なのだから心細さも一層大きい。
「どこか貴族の屋敷に行って保護をしてもらうか……いや、もしも奴らの仲間なら危険だし――かといって王都まで一人で帰れるか?」
 路銀もない。あるのは服とかつらと拝借してきた馬だけ。
 ハウゼンランドならどうにかなるのに、という悔しさがこみ上げてきた。同時にアドルバードは自分を叱る。
 他国だからなんて関係ない。自力でどうにかするしかないのだ。
 しばらく走り続け、追っ手がいないことを確認するとアドルバードはかつらを投げ捨てた。
 レイやリノルアースに叱られるだろうか。しかしこうすればアドルバードは本来の少年に戻るのだ。これから追いかけてくるであろう奴らの目を欺くことができる。
 赤みがかった金髪がきらきらと輝いていた。
 夜空に浮かぶ満月だけがアドルバードの進む道を照らしてくれた。



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