可憐な王子の受難の日々
15:案内してくれよ。簡単だろ?
リノルアースとレイは朝早くに突然カルヴァに呼び出された。
急いで来るようにとのことだったので文句を言うリノルアースをルイと二人で宥めつつ、三人でカルヴァの執務室を訪れた。
「――どうしてくれるのかね」
第一声がそれだ。
「突然何なんですの? いくら陛下でも失礼ではなくて?」
不満の溜まっているリノルアースは喧嘩腰に言い返した。ルイが慌てて止めようとしている姿が滑稽だった。
「アドルバードが逃げ出したのだよ。単身、昨晩ね」
はぁ、と重いため息を吐き出しながらカルヴァが頭を抱えた。
「おかげで面倒なことになったよ、こっちの計画が台無しだ」
「まぁ、男に大人しく捕まってろというのが問題なんじゃありませんこと? 陛下だって誰かに捕らえられたらじっとなんてしないでしょう?」
「もちろんだとも。男のプライドの問題だ」
目を輝かせて即答するカルヴァに、リノルアースがあからさまにため息を吐く。
「それならアドルだって同じです。こうなるであろうと私もレイも予想しておりましたわ」
「ならどうしてそれを言わない?」
リノルアースが艶やかに微笑む。
意地の悪い笑顔だ。
「言わなければならない理由がありませんわ」
間違いなくそれは嫌がらせだった。
見かねたレイが割り込んでカルヴァとの話を引き継いだ。
「陛下、それでアドル様はどこにいらっしゃるんですか?」
「言わなければいけないかね?」
子供じみた仕返しにレイは腹を立てたりはしない。この程度で怒っていたらアドルバードやリノルアースの相手なんて出来るはずがない。
「当然でしょう。もはやアドル様は一人でいる必要がありません。すぐに迎えに行きます」
「騎士殿が? 無理だろう。あなたはリノルアース姫の側を離れるわけにはいかないのだから」
レイはいたって冷静に言い返した。
「もちろん私はここでリノル様をお守りします。ルイがアドル様を迎えに行けばいい。案内役を用意してくれますね?」
少しも怒らないレイがつまらないのか、カルヴァの反応がいまいちだった。
こういう人間の相手にもレイは慣れていた。
「陛下、やることはたくさんあるでしょう? 不穏分子を洗い出すのではなかったのですか?」
「いまさらどうやって?」
「それを考えるのがあなたです。幸い、策略家はここにもいらっしゃいますよ。ねぇ、リノルアース様?」
話しかけるとリノルアースはそっぽを向いた。
カルヴァに手を貸すのは嫌らしい。
「どうせです。派手に演出しましょう。もう二度と馬鹿な真似が出来ないように。ついでにこちらのストレスも発散できるような――ね」
レイが微かに微笑む。
リノルアースもまんざら悪くはなさそうに、カルヴァの向かいに腰を下ろした。
「何か良い案でもあるのかしら? レイ」
「気に入っていただけるかは分かりませんが」
そう口では言いながら自信があるのだろう。レイはかすかに微笑む。
「レイが私の期待を裏切ったことはないわ。――あら、ルイまだいたの」
「は、はい?」
後ろに控えていたルイにリノルアースが話しかける。
「さっさとアドルを迎えに行きなさい。ちゃんと連れて帰ってこなかったら殺すわよ?」
「うええぇぇ!? こ、殺すって……そんなぁぁ」
「リノル様が手を汚すまでもなく私が|殺《や》ります。愚弟の不始末は姉の私が」
冷静に自分の姉が答えるのでルイはますますうろたえた。なんだんだこの二人は。
「駄目よ、レイ。あれは私の下僕だもの。下僕の失敗は私の責任よ」
「あの、下僕って……一応あなたの騎士なんですけど。しかもなんで失敗することが確定しているような雰囲気になってるんですか」
侍女の姿のままのルイは自分の境遇を内心嘆きながら、無駄だと分かっていてもリノルアースの言葉を訂正する。
「いやだわルイ。冗談よ。へタレでも仕事はきちんとできる男だって分かってるわ。じゃなきゃ雇っている意味がないもの」
そうにっこりと微笑むリノルアースは怖かった。
無言でいいからとっとと行けよ、と言っている。
「……国王陛下。男物の服を貸していただけますか。それと案内役」
侍女姿のままアドルバードを迎えに行くなど、一生の恥だ。むしろこんな動きにくい格好で乗馬なんて出来ない。
「すぐ用意しよう」
同性であるカルヴァだけが少々同情的な目で見て、侍女を呼んで用意させる。
宣言どおりすぐに侍女が持ってきた服を片手に、ルイは退出する。リノルアースの前で着替えをする気はないし、愛用の剣は部屋に置いたままだ。手元にあるのは隠し持っている短剣等のみ。これで出発するのは心もとない。
「では着替えてきます、リノル様。準備が出来次第すぐに向かいますので――」
「着替えたら一度こちらに戻りなさい、ルイ」
着替えたらそのまま出発しようと思っていたルイは、はい、と答えながらも首を傾げた。早く行けと言ったり、一度顔を出せと言ったり、相変わらず気まぐれな姫だ。
ルイが部屋から退出した後で、レイはわずかに微笑みながらリノルアースを見つめる。その視線に気づいたリノルアースが照れ隠しに怒る姿は実に可愛らしかった。
アドルバードは眩しい光を浴びて目を覚ました。
少し休憩しようと木にもたれて座ったまま眠ってしまっていたことに気がつく。追っ手に気づかれるだろうと火も熾さなかったので身体がすっかり冷え切っていた。
「……どうするか」
リノルアース姫が行方不明ともなれば城は大騒ぎになっているに違いない。急いで城に戻ろうにもここはどこかも分からない。
一度町に行って自分の現在位置を確認する必要があった。
よいしょ、と起き上がり、自分が来た道を振り返る。
脱走してからだいぶ走ったので、そろそろ近くの町が見えてくるだろう。そこで居場所を確認してもいい。
それとも――とアドルバードは唸る。
すぐ側にいる、王都までの道のりを知っている人間を引きずり出すか。
アドルバードを見張っているのか、何なのかは分からないにしろ、アドルバードが脱走してからというもの、一人か二人の人間がついて来ていることには気づいていた。
追っ手ならばこうして無防備な状態だったアドルバードを連れ戻さないのも不自然だし、攻撃してこないものおかしい。
(カルヴァの部下――隠密、とか)
だとすれば自分の状況はすでに城のレイ達に伝わっているのだろう。あの塔に閉じ込められていた時にもおそらく身を潜めていたと考えて間違いない。
ならばなぜすぐに救出されなかったのか。
答えは簡単だ。
「俺を、またはハウゼンランドを利用するつもりだった、ってことだよなあのおっさん」
馬鹿なのか、そうでないのか分からない男だ、とアドルバードは息を吐き出した。
まぁ、そんなことはどうでもいい。それよりも今重要なのは――。
「帰ることだな、やっぱり」
アドルバードはうん、と納得した上で、懐に持っていた短剣をいじり始める。
何度かぶらぶらと揺らした後で、迷うことなく背後の木の上の、一点を狙って投げた。一度もそちらに目を向けることなく、思い切り投げる。
短剣が突き刺さった衝撃で、ひらひらと何枚か葉が舞い落ちる。
アドルバードは短剣の行く末を見て、不敵に微笑んだ。
黒い服を着た男のすぐ脇に突き刺さっている自分の短剣。
驚いたように自分を見つめてくる男。
「――案内してくれよ。簡単だろ?」
そう言って微笑むアドルバードには、あの可愛らしかったリノルアース姫の面影はまるでなかった。
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