可憐な王子の受難の日々

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16:女顔だからって弱いとは限らないんだよ



 着替え終わったルイは、言われたとおりに一度リノルアースのもとへ向かった。姉のレイのようにリノルアースに剣の誓いをたてたわけではないが、自分の主はリノルアースだと思っている。主の命令には絶対服従なのは、騎士のさがか、それともルイの習性か。おそらく後者だろう。
「失礼します」
 ノックをするが、返事はなかった。
 部屋の中から明るい話し声がするから、聞こえなかったのかもしれない。ルイは一瞬考えた結果、そのまま返事を待たずに入室した。多少の無礼であっても気にする者はいない……と思ったからだ。
「もう最っ高だわ! レイ! やっぱりあなたってば優秀!」
 リノルアースが興奮しながらレイに抱きつく。
 いつもながらに、金髪の可憐な姫と銀髪の佳麗な騎士が寄り添う姿は絵になる。その場が瞬く間に華やかになるような彩りだ。レイのように輝く銀の髪が欲しいわけではないが、ルイの黒髪は、リノルアースやレイの前ではひどく地味なものに感じてしまう。いや、実際に地味なのだ。
「リノル様」
 はしゃぐリノルアースに声をかけると、彼女は振り向いた。青い瞳は楽しげに輝いている。
「ルイ、早かったのね」
「早くしろとおっしゃったのはあなたですよ」
 苦笑しながらルイはリノルアースの足元に跪く。小さな白い手をとり、そっとその手の甲に口付ける。
「では、出立します」
 その姿は先ほどまで侍女姿でいた男とは思えないほど凛々しかった。
 リノルアースは満足げに微笑み、ルイの額にそっとキスをする。目を丸くして呆然とするルイを見てリノルアースは堂々と、しかしどこか優しく命ずる。
「必ずアドルを連れて無事に帰りなさい。――今のはおまじないみたいなものよ」
 戦場に行く騎士にそうやって無事を祈ることがあるでしょう、とリノルアースが付け足す。
「ええ――まぁ、はい」
「……はっきりしない返事ね」
「は、はい。この身に代えても、アドル様は必ず――――」
「馬っ鹿じゃないのっ!?」
 ルイの発言にリノルアースは怒って鉄拳を振るう。何がいけないと言いたげなルイを睨みつけてリノルアースはもう一度、先ほど言った命令を繰り返した。
「アドルと一緒に、必ず無事で帰れって言ってるの! 誰があんたに身体はってアドル守れなんて言うのよ!?」
 怒鳴っているリノルアース顔は気のせいか赤い気がする。
 鈍感なこの騎士だけならまだしも、レイやカルヴァまでここにいるのだ。二人には完全にリノルアースの真意がばれてしまった。もともとレイには知られていたけれど。
「返事はっ!?」
 リノルアースはよく怒るが、その半分は照れ隠しなのだとルイは知っていた。そして今こうして怒鳴っているのは、おそらく――いや、間違いなく照れているからだ。
「――はい。必ず帰ります、リノル様のもとに」
 にっこりと微笑んで、ルイはもう一度リノルアースの手の甲に口付けた。
 自分の帰る場所はあなただから、という恥ずかしいセリフは口に出せないまま、ルイはアドルバードを迎えに、馬を走らせた。








 アドルバードの前には黒衣の男が一人、立っていた。
 途中から気配は二つに分かれていたから、アドルバードの狙いは正しかったのだろう。おそらくもう一人は城に、カルヴァに報告に行っているに違いない。
「――気づかれていたとは思いませんでしたよ、アドルバード王子」
 苦笑まじりに男は呟き、アドルバードとちらりと見た。
「正直、あの塔から出ることも出来ないだろうと、そう思っていたので。予想外でした」
「甘く見ないでもらいたいもんだな、顔はこんなんだが一応は男だぞ。気配の探り方は優秀な騎士から教わった。というかあいつがよく気配を消してるから慣れたんだけど」
 剣もレイの父――剣聖という称号を手に入れたハウゼンランド一の腕を持つディーク・バウアーに教わったのだ。そして日々レイと共に鍛錬を欠かさず行っている。体格で差が出来てしまう以上、技を磨くしかないということはアドルバードも痛感している。
「……王子の予想外の動きに陛下も戸惑っておられるようだ。大人しく捕らわれの姫を演じていてくだされば楽にことが進んだというのに」
「アホなこと言うな。男が捕まったままじっとなんかしてられるか。大方カルヴァに不満を持つ貴族の仕業だろうが、俺を巻き込むな。自分の国のことくらい自分でどうにかしろ」
 アドルバードはそう吐き捨て、男を睨みつける。
 ここでもし一対一で剣を交えたら――おそらく負けるだろう。この男はアドルバードよりも強い。まして今アドルバードは唯一の武器を投げてしまったのだから無防備だ。
「どうせ新しい案を考えたんだろう? それなら俺は用なしだ。とっとと帰る」
 あの国王が簡単に諦めるとは思えない。
「――大変言いづらいのですが、アドルバード王子にはまだしばらく城に帰っていただくわけにはいかないんです」
「なんで」
「まだ、その新しい案が決まっていないので。とりあえずは城外で待機です。本物のリノルアース姫が城にいらっしゃるのでいなくても騒ぎにはなりませんよ」
 あんのお転婆、とアドルバードが呟く。
 どこに紛れ込んでいたのか、それならアドルバードに身代わりをさせる意味はないだろう。あの妹のことだ。影でアドルバードを観察して笑っていたのだろう。
「……どうであれ、王都には戻った方がいいだろ」
「それはそうですが――……アドルバード様、武器はお持ちですか?」
 男の質問にアドルバードはため息を吐き出して、首を横に振った。
「今投げた短剣だけ。おまえ持ってるだろ。返せ」
 言った瞬間に短剣が投げられる。上手くそれを受け取って、振り返った。気配に聡い、というのは今しがた言ったばかりだ。第三者の気配に気づかないはずがない。
「もうリノルアース姫を演じる必要はないな?」
「――そうですね」
 短剣を握りなおし、アドルバードは自分達を囲む男達を睨みつけた。追っ手がようやく追いついたのか。
「平気ですか」
「甘くみるなって言っただろ」
 に、とアドルバードは笑う。
「……まさかリノルアース姫が偽者だったとは」
 追っ手の一人が信じられないとでも言いたげに呟いた。アドルバードは自分の演技をそこまで信じ込まれていたのかと少し落ち込む。
「本物は今頃城で優雅に紅茶でも飲んでるよ。男で悪かったなぁ!」
 気にしてるんだよこっちも、と叫ぶと、男達の輪は崩れてアドルバードに襲い掛かった。長剣を持つ隠密の男よりもアドルバードの方が弱そうに見えるのだろう。
 アドルバードは小柄な自分の身体を生かし、相手の懐に飛び込む。短剣を使うことなく鳩尾を思いっきり肘で殴り、勢いを殺さずに蹴り上げる。転がった剣をすぐさま拾い上げて、準備は完了だ。
「女顔だからって弱いとは限らないんだよ」
 自分には少し重過ぎる剣を振るい、追っ手を倒していく。馴染みのない剣はかすかに切っ先を狂わせた。
 追っ手の数は十数人。もう数人は地に伏しているものの、二人で相手するには数として不利だった。


 どうする――?
 アドルバードが嫌な汗を流した、そのときだった。
「アドルバード様!」
 目の前の男が切り倒される。
 馬に乗ったその人はそのまま次々に、残っていた数人の追っ手を切り伏せてしまった。
「――――ルイ」
 アドルバードの危機に駆けつけてきた、妹の騎士を見上げながらアドルバードは苦笑した。
「ご無事ですか」
 息を切らし、馬から下りたルイに問いかけられ、アドルバードは短く平気だと答える。
 もう一人、見知らぬ男がいることに気がついて、途中までアドルバードをつけていたもう一人の男だろうなと納得する。
「助かった、ルイ」
「いえ――あまり腕は落ちていないようですね」
 アドルバードは苦笑しながら、適当に答えた。アルシザスに来てからも簡単な稽古を続けていた。


 本物のリノルアースが城にいるのだから、レイが来るわけにはいかなかったのだろう。
 頭ではルイがやって来たことに納得している。
 それでも、彼女の顔を見て安心したかった。


 安心させてやりたかった。




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