可憐な王子の受難の日々

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17:いやぁ、面白いことになりそうだな



「いったい、いつぶりだろ」
 ぽつりとアドルバードが呟いた。
 ルイが首を傾げて、何がですか、と問いかけてくるので答える。すぐ側にいるのがレイではないということが、なんだか妙な気分にさせた。
「レイと、丸一日以上離れてることが」
 ああ、とルイが納得する。昔からレイはアドルバードの影のようにずっと側にいた。姿が見えなくても呼べばすぐに来るような距離にいた。しかし今はどんなに叫んでも、その声が彼女に届くことは無い。
「そうですね。リノル様もアドル様も、僕ら以外に騎士をつけないのおかげで、こっちは年中無休です。全くもって疲れます。最後に姉さんと僕が一緒に休んだのは母の葬儀の時でした」
「一年前か」
 そういえば葬儀の時もレイはあまり泣かなかった。というより、人前では一粒の涙も流さなかった。しかし影で一人きりになった時にひっそりと、声も立てずに静かに泣いていたことをアドルバードは知っていた。たぶん、ルイも気づいている。
「姉さんの場合剣の誓いをたてた騎士って段階で他と違いますからね。……寂しいんですか?」
「んなっ……そんなわけないだろ! ただ単純に、何の意味も無くそう思っただけで!!」
「そんなに動揺するとバレバレですよ、アドル様」
 ルイが冷静に助言する。
 その口調がレイに似ていて、アドルバードは腹が立った。
「リノルの前ではただのへタレのくせに。むかつくぞその言い方」
「へタレはアドル様も同じですよ。仕方ないんです。ハウゼンランドの女性は強い人ばかりなんで。特に僕の身の回りの」
 アドルバードは否定できなくてただ頷いた。強いというよりは、厄介な女が多い。自分の妹にしろ、自分の騎士にしろ。
「姉さんは少し寂しそうだったんで、帰ったら慰めてくださいね」
 へタレのルイに言われなくても、とアドルバードは照れ隠しに文句を言う。長年弟をしているルイが言うことに間違いはないだろう。
 アドルバードと、その護衛のルイ。そして隠密の二人の男――ライとローゼルは王都に向かっていた。馬が合計で三頭なので、一番小柄なアドルバードがルイと同乗するという形になっている。
 一度王都に入り、城下で待機する。隠密二人がカルヴァとリノルアースの立てた計画を聞いてきて、その後はあちらの指示に従って行動という方向で進んでいる。どうやらカルヴァ達はリノルアース姫という駒だけでなく、アドルバード王子という存在まで引っ張り出すつもりらしい。
「一連の計画はほとんど姉さんの立てたものになるようですから――まぁ、一筋縄ではいきませんね。今回の事件は姉さんもかなり怒ってますし」
「……いつも裏からしか動かないレイが表に立って指示している段階で、誘拐犯に残された選択肢はそうないぞ」
 レイが本気になれば、死ぬとかそんな物騒で簡単なものじゃない。言うなれば社会的に抹消される。もう二度と祖国であろうが海外であろうが気安く出歩けなくなる。
「まぁ、アルシザスも関わってくるのでそう大事にはしないと思いますけど。姉さんが望んでいるのはアドルバード王子が見事アルシザスとの同盟を結んだという筋書きでしょうから」
 いつの間にかにそんな話まで出てきたのか、とアドルバードは苦笑した。レイが立てる計画というなら――アドルバードはある程度予想できる。派手にやると宣言した以上、彼女は使えるものを駆使してやり遂げるはずだ。
 明日は舞踏会が予定されていたはず。国内外に問わずたくさんの貴人が招待されていると聞く。レイなら――おそらくカルヴァも、その機会を無駄にはしないはずだ。
 そして鍵となるのはリノルアース姫と、その双子で替え玉だった自分。それにアドルバード王子という駒まで入れるとしたら――。
 くっ、とアドルバードは喉を鳴らした。不審げにルイが振り返り、問いかけてくる。
「どうしたんですか、アドル様」
 笑いを堪えきれず、震えるアドルバードはレイの思惑の大まかな概要を予想した。おそらくほぼ間違いない。弟のルイよりも、思考に関してはアドルバードの方がよく理解している。
「いやぁ、面白いことになりそうだな。ルイ」
「……はぁ」
 状況を把握できていないルイは、曖昧に答える。
「おまえの姉さんは最高の騎士だよ。本当に――」







 リノルアースとレイは部屋に戻りながら、二人で話をしていた。
 その美しい二人に目を奪われる者は少なくない、女官はレイに、そして衛兵などはリノルアースに、皆釘付けだった。リノルアースは楽しげに微笑んでいたし、それを見守る騎士の目も優しく穏やかなものだったのだ。それが何より人を惹きつけた。
 しかし二人が交わす会話を聞いた者はいない。
「――本当に、レイはアドルが大好きよねぇ」
「……突然何を言い出すんですか、リノル様」
 有能な騎士はあまり顔色を変えることなく、冷静に答えた。つまらない反応だ、と思いながらも、返答に少し時間がかかったということは少なからず動揺したということだろうとリノルアースは微笑む。
「だってレイの頭の中アドルでいっぱいじゃない。今だって心配してるんでしょ?」
「剣の誓いをたてた主ですから。それにリノル様に言われる筋合いはありません。アドル様に負けず劣らず、妹馬鹿でしょう」
「うふふ、それに兄馬鹿のアドルは気づいていないけど」
 たった二人きりの兄妹だもの、と答えるリノルアースに羞恥心はない。アドルバードのようにシスコン呼ばわりされて顔を真っ赤に染め上げるなんて失態は犯さないのだ。
 そういうものでしょうか、とレイは呟く。自分も姉弟はルイの一人きりだが、この双子のように甘やかすこともない。血の繋がりがないからというわけではなく、それが当たり前だ。もちろん信頼しているし、良い弟だとも思っている。リノルアースの前ではへタレにしか見えないが。
「――今回の我儘も、結局はアドル様のためでしょう?」
「あら、ばれちゃった?」
 小首を傾げてレイを見上げる仕草は、男なら誰でも落とせるくらいに愛らしい。
「いったい何年あなたがた双子の相手をしていると思ってるんですか」
「んー……まぁ、そうよね。鈍感なアドルなら騙せても、レイはそういかないって分かりきってたし。利害は一致してるものね?」
 レイは主であるアドルバードの地位を固めるために、リノルアースは兄であるアドルバードが王位に就くその土台を作るために、こんな大掛かりな計画をたてることは厭わない。
 ハウゼンランドの――つまり双子の父である国王の子は、アドルバードとリノルアースだけだ。しかし国王の弟と妹の子供にも王位継承権はある。特に弟一家の野心はかなりのもので、隙あらばアドルバードを蹴落とそうとしていることに、誰もが気づいている。それほどあからさまだった。
「アルシザスとの同盟は、かなりの力になる。多少の危険は伴っても手に入れる価値はあるもの」
「同感です」
 くす、とレイがわずかに微笑む。
 だから二人は危険からアドルバードを遠ざけた。彼が登場するのは本番の――それも終盤に近い場面だけだ。それまでは城下にでもいてもらえばいい。
「……私ね、アドルも大事だけど、同じくらいあなたも好きよ、レイ」
「ありがとうございます」
 リノルアースの、年相応の可愛らしいセリフにレイの心も和む。それ以上にルイも大事でしょう? という意地悪な質問はしないでおこう。
「だから、あなたに身を引かせるつもりはないの。アドルにあまりある力をつけさせて、あなたを王妃にしてもあの小うるさい貴族連中が文句言えないようにしてやるわ」
 にっこりとリノルアースは微笑む。レイは思わず、半歩引いた。
 アドルバードの言う黒い笑顔はこれかと冷静に思う。


「――覚悟しておいてね? 逃がさないから」




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