可憐な王子の受難の日々

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19:私にあなたが必要なんです



 舞踏会が始まる、ほんの少し前。
 アドルバードは城にたやすく入り、そして自分の騎士との再会を果たした。


 輝く銀色の輝きに、アドルバードは目を細めた。
 自分より少し背の高い彼女を見つめて、やっと楽に呼吸できるようになる。


「――ただいま」


 アドルバードを見て一瞬だけ表情を緩ませた彼女に、そう話しかけた。
「……出かけるとは聞いてませんよ、アドル様。――――ご無事で安心しました」
 いつもの厭味にアドルバードは苦笑しながら、ごめんと呟く。
「やっぱり俺ってどこか抜けてるみたいだ。レイがちゃんと見張っててくれないと、駄目だな」
 離れていたのが久しぶりで、どうやって会話を繋げていただろうかと考える。
 いつも適当に話していたけれど――こうして会うと、やはりレイは綺麗だった。たぶんアドルバードの欲目もあるのだろうけど、レイは月の光を集めて固めたような、濁りの無い水を凍らせたような、そんな美しさを持つ人だ。
「――お互い様です。私は何があってもあなたの側を離れてはいけなかった。それを失念していたのですから」
「どこぞのお姫様じゃないんだから、そんなに過保護じゃなくても平気だよ」
 そのどこぞのお姫様こそ護衛なんて必要ないようにも思えるが。
「アドル様はきっと理解されていないんですよ」
 レイがわずかに微笑んだ。
 その一瞬の、貴重な笑顔をアドルバードは見逃さなかった。
「何を?」
「私という人間を、です」
 まさか、とアドルバードは笑った。
 彼女のことは自慢じゃないが、それなりに理解している。リノルアースよりも、場合によっては彼女の弟のルイよりも。
 それでもレイは分かってないんですよ、と言う。
 少し腹が立った。
「おまえのどこが理解できていないって?」


「私は、思いのほか嫉妬深いんです」


 は? と思わずアドルバードは首を傾げた。空耳だろうか。
「アドル様があまり国王陛下と親しいので少し捻くれてたんです。私を遠ざけるような素振りもしていたし――それに、私は過保護だからあなたの側にいるんじゃありません」
 レイはもう半ば自棄だった。
 あのリノルアースが逃がさない、とそう言ったのだ。
 これくらいの気持ちを言うくらいは、許されるだろう。


「私にあなたが必要なんです。アドルバード様。私が私という人間であるために」


 自分は今どんな顔をしているのだろう。アドルバードの顔が赤く染まっているから、もしかしたら笑っているのかもしれない。しかしそれを確認する術もなく、するつもりもなかった。
 自分の中できつく蓋を閉めて閉じ込めていた想いを少しでも吐き出すことが出来て――ほんの少し、気持ちが軽くなったような、そんな気がした。
 







 舞踏会の会場から、ずっとつけてくる無粋な輩に、ルイは眉を顰めた。
「――リノル様」
 アドルバードに扮するリノルアースにだけ聞こえるように、そっと囁く。
 その存在にリノルアース自身もとっくに気づいていたのか、そうね、とだけ答えた。男の姿でそう話すのはかなり違和感があった。
「片付けてしまいなさい、ルイ。遠慮を知らない男は嫌いよ」
 予想通りの反応に、ルイは答えず、腰の剣に触れる。このままついて来られると、本物のアドルバードと鉢合わせになってしまう。それは避けたいことだ。
「リノル様、先に行かないでください」
「あら、どうして?」
 たまには良いところを見せたいから――なんて言ったら確実に怒られるだろう。
「まだ他にもいるかもしれませんから。アドル様の二の舞になってもらったら困ります」
 そんなに間抜けじゃないわ、と文句を言いつつ、リノルアースは足を止める。目だけで早くしろとルイを急かしていた。
 これだからこそのリノルアースだが――とルイはため息を零しつつ剣を抜く。
 気配を消して、来た道を戻る。数メートル先の曲がり角で貴族の男を見つけ、素早く切っ先を首筋に向けた。
「――これは驚いた。アルシザスの貴族のようですが。まさかアドルバード様を追いかけてきたのが男性とは。あいにく主にそういう趣味はないのですが?」
 そう冗談半分で話しながらも、ルイの目はまったく笑っていなかった。
 しり込みした男が待て、と言って慌て始める。
「リ、リノルアース姫がどうなってもいいのか!? 姫が行方不明なのは知っているだろう!? 私に何かあれば姫の身も――」


「いやだ、可笑しいわねぇ」


 アドルバードの姿のまま、リノルアースはくすくすと笑い始める。その声はまさに鈴の音のような、可愛らしい少女の声だ。男の目が驚きで見開かれる。
「私はここにいてよ? どこのリノルアース姫が行方不明なのかしら?」
 リノルアースはそう言いながら、かつらを取った。
 ふわりと、柔らかな金の髪が下ろされ、リノルアースの背中を覆う。
「――リノル様」
 ルイが低く注意する。ここでリノルアースがばらしてしまっては、何のためにここでこの男を相手にしようとしたのか分からない。
「いいじゃない、ルイ。この方には少し夢でも見ていてもらうんだから。目を覚ました頃にはすべて終わってるわ」
 そうですね、とルイは答えながら、男の鳩尾に拳を入れる。剣はもともとここで使うつもりはない。
 う、と少し唸りながら男が前のめりになると、首の後ろに手刀をお見舞いする。気絶させるにはこれが一番早くて簡単だ。
「鮮やかねぇ。さすが私の騎士」
 にっこりと満足そうに微笑むリノルアースに、ルイは眩しそうに目を細める。
「――あなたの剣ですから。強いだけでは足りないでしょう?」
 もちろん、とリノルアースは即答する。
「でもあなたはそのままでいいわ。ルイ」
 予想外のリノルアースのセリフに、ルイは目を丸くする。
 そんな少し間抜けなルイの顔を見つめながら、リノルアースがくすくすと笑う。
 

 だって――これ以上にかっこ良くなられたら、面倒じゃないの。


 そう言えば必ずこの騎士を有頂天にさせるだろう言葉は、意地悪な姫の奥底に隠されたまま、伝えられることは無かった。




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