可憐な王子の受難の日々

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22:お下がりください、陛下



 剣を抜くべきか否か――アドルバードは思案する。
 後ろにいるリノルアースの腕をしっかりと握る。背中にリノルアースのぬくもりが伝わってきて、少し安堵した。狂ったように、もはや気高い貴族の誇りすらも忘れたように声高く笑い続けるバーグラス卿は、ぞっとするほどに我を失っていた。
「小心者ね。全部上手くいかないもんだから頭のネジが吹っ飛んだんじゃないの」
 ふん、とリノルアースが鼻で笑う。
 それでも少し手が震えているから、バーグラス卿の変貌は彼女にとっても予想外だったのかもしれない。


「はははははははははははははははは! 国王陛下! あなたは王に相応しくない! そう相応しくないからここで死んでもらいたいのです! その美しいリノルアース姫と一緒にね!」


 バーグラス卿の背後から、十数名の男が次々に華やかな舞踏会の場に土足で入ってくる。
「なんで私まで一緒に死ななきゃいけないのよ」
 アドルバードの後ろでリノルアースが腹立たしそうに呟いた。
「まったく、野心がなければ貴殿は素晴らしい貴族だったというのに、ああ、実に残念だ」
 カルヴァがわざとらしく嘆きながら天を仰ぐように言う。馬鹿にしているとしか思えない。
 舞踏会を純粋に楽しんでいた貴婦人の中には衝撃のあまり気絶する者もいた。運悪く意識がある人は甲高い悲鳴を常にあげ続けている。コルセットで締め付けられながらもあんなに声が出せるのだから、女性の肺活量は凄いものだとアドルバードは感心してしまった。
「か弱い姫を誘拐するような方が素晴らしい貴族というのなら、アルシザスという国は噂に聞くほど良い国ではありませんのね」
 アドルバードの背に隠れていたリノルアースが、その鈴のように可憐な声でそう高らかに言う。混乱しながらも、貴婦人よりは動揺していない貴族の男性からはどよめきが生まれた。
「お久しぶりですわ、誘拐犯様。高い塔に捕らえていた姫君がこうしてあなたの前に現れてさぞかし驚かれているでしょう? あいにく、ハウゼンランドの女性は皆様が思うほどか弱くありませんわよ」
 リノルアースが挑発するように微笑む。後半のセリフにはアドルバードも激しく頷きたい。
「国とためなどと声高々に言う者の中に、本当にそう思っている者がいるのかしら? 国のため、民の為と言って実際は己の為なのではなくて?」
「――――随分と口達者な姫君だ」
 にやりと、バーグラス卿は口を歪めて笑う。
「口は災いのもとと言いますよ。美しい姫君。あなたもその兄君も、それが原因でここで命を落とす」
 それが引き金となり、バーグラス卿の後ろにいた男達がリノルアースに襲い掛かる。
「リノル、下がってろ」
 低くアドルバードが呟き、剣を抜く。
 慣れ親しんだ、自分の剣だ。重みも、長さも、すべてが自分の思うように動かす為に作られたもの。小柄なアドルバードからは想像も出来ないような鋭い剣捌きに、悲鳴を上げ続けていた貴婦人も思わず見とれる。


「――――ルイ!」


 リノルアースが自分の騎士を呼ぶ。
 どこに隠れていたのか――美しい姫君の騎士は、颯爽と現れて無礼な男達を切り伏せる。穏やかに微笑みながらリノルアースを見つめるルイは、その顔を崩すことなく、一人も男をリノルアースに近づけまいと剣を振るう。
「……来るのが少し遅いわ」
 リノルアースが文句を言うと、ルイは苦笑した。
「申し訳ありません。呼ぶまで出てくるなと命じられていたので」
 もちろん命じたのはリノルアースだ。しかしいざという時にはすぐに声が出なかっただなんて言えず、ついルイに八つ当たりしてしまう。
「――――レイ!!」
 アドルバードが声を上げる。
 二人の男に守られているリノルアースよりも、丸腰のカルヴァに男達は狙いを定めた。彼らには無防備に見えるのだろう。カルヴァの側には美しい女性が一人いるだけだ。
 彼女が、アドルバードよりも、ルイよりも強い騎士なのだと彼らは知らない。
「死ねえぇぇぇぇぇっ!」
 獣のような叫びと共に、五人の男がカルヴァに向かって剣を向ける。
 カルヴァはそんな状況でも、自信に満ちた微笑を浮かべている。


「お下がりください、陛下」


 涼しげなレイの声が、カルヴァにだけ届く。
 青いドレスの裾がひらりと揺れる。男達は突然前に現れた女性に、動揺しないわけがなかった。
 そしてその隙を、レイが見逃すはずがない。ドレスの裾が一度、広がる。レイの綺麗な足がかなり露出したが、ほんの一瞬の出来事だった。一瞬でレイは剣を抜き――そして一番目の前の男を瞬く間に切り伏せる。
 それから、ほんの数秒だった。
 舞うようにレイが動く。ドレスがそれをなおさら美しく演出していた。
 誰もが目を疑った。事実を知るアドルバードと、リノルアース、ルイとカルヴァ以外は、美しい女性が五人もの男を一瞬で倒してしまったことが信じられなかった。
「さすが、と言うべきかな。騎士殿」
 動きにくいはずのドレスを苦もなく着こなし、寸分の狂いもなく剣を振るう。レイの剣は無駄がなく、潔い。
「恐れ入ります」
 さて、とカルヴァが一歩前に歩み出る。
 勝利を確信していたはずの男達は、思いがけない敗北に呆然としていた。
「自分の手柄にしようとしたのがいかんな。ここでそこらへんの輩を雇っていれば多少言い逃れは出来ただろうに。まぁ、雇う金もなかったか。貴殿らの汚い金はかなり巻き上げたからな。それを想定して貴殿らを招待したのだがね。バーグラス、ヘルナンド、ディルゴーシュ、ルイズ、カルナド、ジュルゴニー、ニルベナ、カナルベリー、ラドニ、ミスヴィアンテ、ええと……そこで気絶しているのはサドニスか? まったく、嘆かわしい。まだいるじゃないか」
 貴族の名を次々に上げていくカルヴァは、やはり演技のように肩を竦めてみせた。
 事のすべてを見届けている貴婦人と、貴族はほとんどカルヴァの手中の者だ。彼らには証人になってもらはねばならない。


「これにて一件落着。協力感謝する、アドルバード王子、リノルアース姫」


 カルヴァが満足そうに微笑み、アドルバードは苦笑しながら剣をしまう。
 そっと側に歩み寄ってきたレイに微笑みかける。彼女の綺麗なドレスも、アドルバードも衣装も少し血がついて汚れてしまっている。
 それでも彼女の美しさは変わらないと――アドルバードはそう思った。




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