可憐な王子の受難の日々

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23:馬鹿と天才は紙一重だからな



「お怪我はありませんか。アドル様」
 レイの第一声はそれだった。騎士の|鑑《かがみ》とでも褒めるべきなのだろうか。
「ない。大丈夫だ。――そういう格好、久しぶりだな」
 綺麗だと言いたかったのだが、気恥ずかしくてどうも上手く言えずに、アドルバードはもごもごと口籠もっていた。
「そうですね。どうもドレスは慣れません。長い髪も重いし邪魔です」
「…………綺麗なのに」
 ぼそ、とアドルバードは呟く。
 ドレスとまでは言わない、でもせめて髪くらい伸ばして欲しいとつい思ってしまう。悪い虫が寄ってくるのは腹立たしいが、それ以上にレイが男と勘違いされるのは嫌だ。綺麗な顔立ちも程度によれば男にも女にも見えるらしく、髪の短いレイは、初めて出会った人には必ず男だと信じられてしまう。
「……アドル様は、長い方が良いですか?」
 レイがさら、と聞いてくる。
 聞こえていたのかと慌てなくてもいいのにアドルバードは動揺した。
「え、いや、その、なんていうか。俺は長い方が好きだけど、うん、別にレイが嫌なら今のままでも――今のままでもレイは充分綺麗だし――」
「アドル様がそうおっしゃるなら、伸ばしましょうか」
「えええぇぇえぇえええぇぇ!?」
 アドルバードが顔を真っ赤にして悲鳴にも似た歓声をあげる。嬉しいのだ。嬉しいに決まっている。
「で、でも。いやその。うん。レイの好きに――ああでも出来ればもう少し長い方がいいけど」
「長い髪は手入れも面倒だし邪魔なので個人的にはあまり好きではありませんが――もう二年短いままでしたし、アドル様が喜ぶのでしたら、伸ばしましょう」
 煮え切らないアドルバードに飽きたのか、レイがきっぱりと決断を下す。
 そして思い出したようにレイが、そういえばと呟く。首を傾げているアドルバードに向かって、レイは珍しく皮肉も憂いもなく綺麗に微笑んだ。
「随分を腕を上げましたね。アドル様」
 その綺麗な微笑に、アドルバードが赤い顔をさらに赤く染め上げる。滅多に笑わない人間が時々不意をつくように笑うのはズルイ。
「え、あ、そ――そうか?」
「ええ、隙も随分と少なくなりましたし――速くなりました。しっかりと鍛錬をしている成果ですね」
 そりゃあ好きな女に守られるなんて情けないから、越えることは無理でもせめて肩を並べるくらいに強くなりたいと思うじゃないか。
 ぶつぶつとアドルバードが口籠もる。まったく、レイは鋭いのか鈍感なのかさっぱり分からない。





「まったく、恋は盲目とはまさにこのことを言うのだろうな」
 真っ赤になりながら動揺しているアドルバードに、先ほどまでの勇ましい余韻は微塵もない。剣を振るう姿だけを見ていれば身長の低さも女顔なのも気にならないほど凛々しいというのに――残念なことだとカルヴァはため息を吐く。
「まぁ、それがアドルの良さですもの。招待客は皆様お帰りになりましたわよ、国王陛下」
 リノルアースが興味なさげに兵によって締め上げられていく貴族達を見る。大半はアドルバードやレイ、もしくはルイにのされてしまっていて意識はない。ささやかに顔を隠していた仮面も剥がされて素顔が曝されている。ほとんど年配の男だった。
「確かにあの尋常じゃない純情ぶりは希少価値も高いと思うが――男があれで良いと思うかね?」
「ハウゼンランドの女性は皆しっかり者ですもの。男が多少へタレでも問題ありません」
 言いながらリノルアースはちらりと後片付けに徹している自分の騎士を見る。あれもどちらかと言えばへタレなのだろう。要領が悪いし、自分の前ではおどおどしてばかりだし。時々見せる力強さをもう少し表に出してもいいのに、とリノルアースは思う。それで他の女に目をつけられるようになると困るから考えものだが。
「姫や騎士殿がしっかりしているのは認めるとも。ああ、それこそ問題ない!」
「……あなたは馬鹿なんだか賢いんだか分からない人ですわね、ほんっとうに」
はぁぁぁぁ、と長いため息を吐き出してリノルアースが頭を押さえる。
「馬鹿と天才は紙一重だからな」
「自分で言いますか、そこ。私のセリフじゃありません?」
「どちらかというと姫は私を馬鹿にしているような気がするのだが気のせいかね?」
「いいえ、たぶん気のせいではありませんわ。紛れもなく事実です。ご安心ください、馬鹿は兄で慣れてますから」
 にっこりと美しく微笑むリノルアースに思わず納得しそうになるが。
「……それは安心するところではないと思うが」
「まぁ、それを理解できる程度の知能はおありなんですね?」
「――――なんというかリノルアース姫。私のことがお嫌いかな?」
 あちらこちらに棘のあるリノルアースの言葉に、カルヴァの勢いも思わず萎んでいく。
「いえまぁ暑苦しい馬鹿は嫌いですわ。ええ」
「それはつまり肯定だろう?」
「さぁ、どうでしょう。お好きにとってくださって結構です。あなたとこれから親しくするのはアドルであって私じゃありませんもの」
 リノルアースはにっこりと、それは美しく微笑んでいるが、明らかにそれはカルヴァを遠まわしに拒絶していた。
 どこで嫌われたんだろうか、とカルヴァはため息を吐き出す。世の美しいものを素で愛でている彼にしてみれば心外だし、少々辛い。
「まぁ……約束通り、アドルバード王子とは親しくさせていただきますよ。これからも、ね」
「当然ですわ。守らない約束を――守るつもりのない約束を、自分の利益のために簡単にしてしまうような馬鹿は大嫌いです」
 大嫌いには昇格せずにすみそうだと、カルヴァは苦笑する。





「ああああぁぁぁぁあぁぁぁっ!」
 穏やかな雰囲気を取り戻しつつあった会場に、男の叫び声が上がった。
 一番呆然として、大人しかったバーグラス卿に縄をかけようとした衛兵が、体当たりされ、バーグラス卿は言葉を成さない音を叫んだ。
 一番近くにいたアドルバードが捕らえようとするが、バーグラス卿はわき目も振らずに全力で走った。―― 一人の女性のもとに。


「! エネロア!!」


 真剣なカルヴァの声にリノルアースは目を丸くする。
 黒い髪を一つに束ね、眼鏡をかけた――カルヴァの秘書官だっただろうか。招待客はすべて帰ったが、事後処理のために彼女は会場に残っていた。
 この場で一番、か弱い女性は誰かと問われれば誰もが彼女を指すだろう。
 バーグラス卿はどこに隠し持っていたのか――短剣をエネロアの細く白い首筋にあて、口の端をあげて笑う。


 バーグラス卿にしてみれば、一番手薄で攻略しやすい女性を選んだのだろう。彼はカルヴァの常ならぬ様子に気づいていないのが、幸いだった。




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