可憐な王子の受難の日々

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25:あなたの剣は誰のためにあるの



「リノル様、こっちです」
 ルイは自分の手でリノルアースの目を隠したまま、広い会場の外へと連れ出した。
 庭の噴水の縁にリノルアースを座らせる。夜風が思いのほか冷たかったので上着を脱いでリノルアースの肩にかけた。俯いて、何も言わないあたり、やはり女の子なんだなと思う。人が殺される瞬間などこの姫君は一生見ることも、聞くこともなかったろう。
 バーグラス卿の遺体は会場に残されている。すぐに片付けられるだろうが、そんなものすら彼女の目に入れるわけにはいかない。どうせアドルバードも、レイも同じように采配するだろう。
「…………大丈夫ですか?」
 ルイは膝をつき、リノルアースを覗き込むように問いかけた。
 うっすらと涙ぐんでいるように見えるのは、気のせいではないだろう。いくら腹黒くて策略家で性格がちょっと問題ありだとしても、リノルアースはまだ十五歳の、姫なのだ。何年も剣を習い、そして人を斬った経験のあるアドルバードとはそこが決定的に違う。
 まして騎士であるレイや、ルイとは比べられるはずがない。レイも同じ女性だが、彼女の場合、主のためならば人を殺すことくらい眉一つ動かさずにやってのけるだろう。人が死ぬ瞬間も、ずっと前に見たことがあるはず。
 ハウゼンランドは比較的穏やかな国だ。だからといって争いがまるでないわけではない。騎士という立場である以上、血を流し、人が倒れる場面に立ち会うことは少なくない。


「…………怖いですか?」


 剣を握り、人を殺せる自分が。
 あなたのためなら、人を斬ることに迷いなど見せない騎士が――。
「怖くないわ。怖くなんかない」
 リノルアースは即答した。その頑なな表情に、ルイは苦笑する。
「無理しなくていいですよ?」
 怖いはずだ。
 冷静に、顔色を変えず人を傷つけることのできる自分が。その後で変わらず微笑むことのできる自分が。
「無理なんてしてない。馬鹿にしないで。あなたを怖いと思うことはあなたに対する侮辱よ。あなたの剣は誰のためにあるの」
 きっ、とリノルアースはルイを睨みつける。


 ――ああ、この人は本当に綺麗だ。


「我が姫のために。リノルアース様」
 剣の誓いはたてていない。本当ならルイは、国のために、王家のためにと答えなければいけない。しかし、嘘はつけない。
 いつも、どんな時も、この強くて弱い姫のために。それだけのために。
「私のために振るわれる剣を、拒んだりしないわ」
 毅然としてそう言うが、リノルアースの目にはまだ涙が浮かんでいる。人が斬られる場面は平気でも、人が死ぬ瞬間は衝撃的だったのだろう。
 その強い瞳を見て――ああ、抱きしめたいな――なんて無礼なことを考える。もちろん考えるだけで実行はできないが。
 きっとこの人は、一人になって泣くんだろうな。もしかしたら、兄には泣き顔を見せるのかもしれない。けれど、きっと自分には見せてくれない。どうせ泣くなら、この腕に閉じ込めて、その中で泣かせてあげたいのに。この人はそれを許さないだろう。騎士に甘えることを認めないだろう。
「私を守ってくれてありがとう、ルイ」
 いつになく素直なリノルアースに、ルイは苦笑する。


「それが、自分の使命ですから」


 あなたに仕えていることが、自分の誇りだから――――。









「…………リノルは?」
 周囲の雰囲気も落ち着き、縛り上げられた男達が運ばれていく。バーグラス卿の遺体も片付けられた。
 あんな場面を見てしまったのだから、きっと怯えている――強がってはいるけれど、リノルアースは普通の女の子なのだ。心配になってアドルバードがきょろきょろとあの美しい姫を探す。
「ルイが連れ出したみたいです。心配ありませんよ」
 その様子を見ていたらしいレイがそう答える。
 人が切り殺される瞬間にルイがリノルアースの目を塞いだと聞いて、ほっとした反面、響き渡る断末魔は嫌でも耳に残ってしまっただろうと唸る。
「やっぱり俺もいこうかな……」
 そう呟いてリノルアースを探しに行こうとするアドルバードを、レイが止める。
「ルイ一人で充分です。むしろ少しは気をきかせてやってください」
「リノルが弱っているところにつけこんでルイがリノルを襲ったりしたらどうする!」
「そんな甲斐性があるならいいですけどね。姉として万が一にもありえないと断言します。それにリノル様も弱っていてもルイに襲われるような人じゃないでしょう」
 わざと襲われて責任をとれと言い張ることはあるかもしれないが。どちらにせよここでアドルバードが二人のところに駆けつけて、邪魔されたと思うのはルイだけではないはずだ。
「……カルヴァのところに行ったら邪魔だろうな」
 ちらりと盗み見ると、カルヴァとエネロアは側にはいないものの入り込めない雰囲気がある。ここでアドルバードが近寄れば邪魔者になるか、またはカルヴァののろけを聞く破目になりそうだ。それはごめん被る。
「私と一緒にいるのは嫌ですか」
「まさか」
 考えるよりも先に言葉が出る。アドルバードはそれに自分で驚き、レイにも簡単にばれてしまい、レイはかすかに微笑む。
「…………レイ、聞いてもいいか」
「何でしょう」
「その――――……」
 いざ聞こうと思うと、上手く声にならない。
『私にあなたが必要なんです。アドルバード様。私が私という人間であるために』
 あれは、どういう意味だ?
 アドルバード、と略さずに呼ばれる時は怒っている時か、真剣な時で――。
「……私は、あなたにだけは嘘を言いませんよ」
 アドルバードの様子を見て、レイが心の中まで見えているのではないかというタイミングでそう囁く。
 お互いかけがえのない存在で、大事なのは確かだ。それはどんなことよりも信じられる。
「どんな形でもいいんです、アドル様。あなたの側にいられるなら」
「……具体的に理由を教えてくれ、と言ったら教えてくれるのか?」
 レイはお望みならば、とさらりと答える。
 しかし女の口から先に言わせるのはさすがに卑怯だろうか。それにどうせレイにはすべてお見通しなのだ。アドルバードの気持ちさえも。
「今は言うな。言おうと思った時に俺が……おまえ今身長いくつだ?」
 ちらりとレイを見上げながらアドルバードが眉間に皺を寄せる。
 デカイ。
「172cmです」
「…………おまえの背を越してから言う」
 アドルバードは帰国したら背が高くなる方法を探ろうと決意した。
 現在アドルバードは157cmだ。レイとの身長差は実に15cmにも及ぶ。ルイなんてレイよりも背が高いから、20cmくらいは違うかもしれない。
 男として惚れた女よりは背が高くありたい。幸いアドルバードの成長期はまだまだ終わりそうにないし、遺伝的にもそんなに小柄な男は少ない……はず。
「では私は何年待てばいいんでしょうか」
「厭味か? 厭味だよな? それ」
 アドルバードがレイを見上げながら睨みつける。レイがいつもよりも少し踵の高い靴を履いているせいで身長差はさらに広がっている。
 ふて腐れた様子のアドルバードを見てレイはかすかに微笑む。残念なことにその笑顔をアドルバードは見ることができなかった。


「――早く、伸びてくださいね」


 待ってますから。




 そのレイの言葉にアドルバードが撃墜されたことは、彼の林檎のように赤く染め上がった顔を見れば誰の目にも明らかだった。





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