可憐な王子の受難の日々

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26:恋で人は馬鹿になるんですかね



 ハウゼンランドの、肌寒くも感じる冷たい風が恋しい。


 昨晩の騒ぎが嘘のように穏やかな、静かな昼下がりだ。


 アルシザスの訪問期間も、残りわずかとなった。当初よりも長くなったのだから寂しいなんて感情は芽生えなかった。
 むしろ。
「意外と地味な趣味だと思っているのだろう? 馬鹿を言ってはいけない。エネロアは密かに実はかなり美人だ。あれだ、眼鏡をはずしたらびっくりってやつだ。いつも目立たない格好ばかりしているから気づかないがな。しかしまぁあれでいい。うるさい男に目をつけられても困るしな。エネロアの美しさは私だけが知っていればいいのだよ」
「……うぜぇ」
 本物のリノルアースがいて、女装からも息苦しいコルセットから解放されたアドルバードの口は滑りやすくなった。
 あの事件の後、アドルバードもリノルアースも同盟の話の下地だけでも作っておくために数日間滞在を延長した。といっても二、三日なのでのこりわずかであることは事実だ。もともとの予定では今日帰るはずだった。
 しかしアドルバードとカルヴァの間で話されることといえば政治的なものなど皆無の、カルヴァのノロケというかただの馬鹿話というのが現状だ。
「あの騎士殿など足元にも及ばないぞ! エネロアの美しさは! 世界一だ!」
「ばっ……馬鹿言うな! レイのがよっぽど綺麗だ! いつもはあんなんで男にも見えるけどドレス着たらっ! おまえだって見ただろ!?」
「服に依存した美しさは真の美しさではないよ。やはりどんなものを着ていても輝くというのが真の美であってだな」
「おまえの目が可笑しいんだよ!!」
「失敬な! これでも見る目には自信があるのだが!」
 二人の馬鹿な言い争いを眺めながら、ルイは紅茶を飲む。
 男だけの話、というわけでレイではなくルイが借り出されてしまった。借り出したのはもちろんリノルアースだ。


 ――なんというか。


「恋は盲目っていうか。恋で人は馬鹿になるんですかね」
 意外と切れ者の国王も、それなりに賢く将来有望なはずの王子もこれではただのアホか馬鹿か。
「人を馬鹿にするな! おまえだって意見があるだろ!?」
 もちろんルイの主張としてはリノルアースを押すところだが、この二人のように不毛な言い争いはしない。姉のレイが綺麗だということはもちろん、間近で見たわけではないがここまでカルヴァが主張するのならエネロアも綺麗な人なのだろう。
「別にどうでもいいです、そういう決着のない話は。俺にとってはリノル様がもちろん世界一ですけど。それは口に出さなくてもいいことでしょう」
 むしろリノルアースは綺麗という言葉よりもまだ可憐とか愛らしいとか、そういう言葉が似合う年頃だ。
「むむむ。なかなか言うな」
「それほどでも。明らかに相思相愛の奴らを見ると腹が立つんです」
 リノルアースは自分に弱いところを見せてくれない。
 慰めることを許してくれない。
「んーまぁ、その。双子の兄である俺にはリノルの考えてることは分からないしなぁ。何とも言えん。レイあたりはお見通しなんだろうけど教えてくれないだろうし」
 望みがまるでないわけではないかもしれないぞ? なんて優しいようで悲しい慰めに、ルイはますます落ち込んだ。
「万が一、リノル様と俺が両思いでもいいんですか、アドル様は」
「それ俺に聞くか? 意味ないだろ。リノルが誰かを本気で好きだったら俺が反対しようが親が反対しようが実力でねじ伏せるだろ」
「……想像できてしまうから怖いです」
 ルイがため息を零す。
 確かに泣いて認めてくれと懇願するリノルアースよりも、自分の力で出来る限りの方法で完膚なきまでに周囲を納得させるリノルアースの方が容易に想像できてしまう。自分の想像力が恐ろしくなるほどリアルに。
「そこのおっさんみたいな男なら断固反対だけど、まぁおまえならマシだろ。馬鹿がつくほど真面目だし」
「こら。一応国王なんだが私は。おっさんはないだろおっさんは。私はまだ若いぞ」
 カルヴァがささやかに反論するが、アドルバードもルイも無視した。
「マシってなんですかマシって。へタレのくせに」
「おまえ王子に向かってそんな口きくか!!」
「王子なら王子らしくしてくださいよ。姉さんの尻に敷かれてるくせに」
「言うな! 惚れた弱味ってやつだ!」
 それ大声で言うことじゃないですよ、とルイは助言する。惚れた弱味なら、きっと姉のほうがそれなんじゃないかと思ったが、あえて言わないでおく。
「いいかげんに同盟の話をしてください。ちゃんとまとめておかないと文句を言われるのは俺なんです」
 主にリノルアースとレイに。つまり最悪最強の二人に。
「う、それはその、今やろうと……」
「そういう面倒な話は外交官にすべて任せてしまえばいい」
 なぜか胸を張ってそう偉そうに言うカルヴァの背後に、冷気が漂う。
 寒気がしてカルヴァは硬直し、その背後を凝視しているルイとアドルバードは苦笑した。


「……真面目になさるというので陛下にすべて任せたはずですが、私の記憶違いでしょうか?」


「エ――エネロア」
 髪を一つにきっちりと束ねたエネロアはカルヴァを睨みつける。蛇に睨まれた蛙というのはまさに今のカルヴァのようなもののことだろう。
「やはり見張りがいないといけませんね、私も同席させていただきます」
「いや、大丈夫だとも! さっきから議論が白熱していてだな――」
「では内容をお聞きしても問題ありませんね?」
 カルヴァの白々しい嘘を見破って、エネロアが追撃する。カルヴァは案の定言葉を詰まらせた。まさかエネロアとレイのどちらが綺麗か言い争っていたかなんて言えるはずがない。
 黙りこんだカルヴァの反応を見てエネロアがため息を零す。
「見え透いた嘘を言うのは止めてください。陛下。早く同盟の件を話してください」
 嘘ではないのだが、とカルヴァは呟く。その呟きを無視してエネロアはアドルバードを一瞥する。
「な、なにか?」
「時間もあまりないので、お早めにまとめてください。わざわざハウゼンランドから何度もご足労おかけするわけには参りませんので」
 言葉は丁寧だが、カルヴァと同類と扱われたのでアドルバードは少なからずショックを受ける。
「……はい」
 アドルバードとしても何度も何度もアルシザスに来るなんて面倒はごめんだ。
 それにエネロアがいる限りノロケ話には発展しないだろう。本人を目の前にすると一国の国王も意外とヘタレだ。


 




 生暖かい南国の風がアドルバードの金の髪を揺らした。
 甘い花の香りがどこからかともなく漂う、温かな気候。
 今頃のハウゼンランドは短すぎる夏の終わりで、秋の気配を感じさせる冷たい風が吹いているだろう。




 来た頃よりはこのアルシザスにも慣れ、嫌いではなくなったが、早く帰りたいとアドルバードは窓の向こうの遠い故郷に思いを馳せた。




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