可憐な王子の受難の日々

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27:だから、警戒しろって言ったんだよ



「お疲れですね、アドル様」
 就寝前に、着替えもせずにベットに倒れこんだアドルバードを見てレイが苦笑する。
 いつもなら行儀が悪いと怒るところなのだが、今日は大目に見てくれるようだ。
「疲れた。もうヤダ。早く帰りたい」
「……明後日には帰れるじゃないですか」
 同盟の話を真面目に始めれば長く議論になり、カルヴァもあれで賢い男なものだからアドルバードも何度も言い負かされそうになり――結果、疲労困憊だ。精神的に。
「さ、早くお休みになりたいのなら着替えてください。そのまま寝ないで」
 そう言いながらレイは強引にアドルバードを起こす。間近に迫ったレイの顔を見上げて、触れたいと思ってしまった自分を叱り付けた。


 ――まだ駄目だ。まだ彼女に相応しくなれてない。


「……アドル様?」
 レイがアドルバードの顔を覗きこむように、呼びかける。
 顔を逸らして理性を保とうとしたというのに、タイミングの悪い。
「――おまえな、少しは警戒するとかしろよ」
 自分よりも強い相手にそんなこと言うのは可笑しいだろうか。しかし今この瞬間のレイは恐ろしいほどに無防備だ。
「今更何を言うのかと思えば……昔は私が添い寝しないと寝付かない子供だったくせに」
 久しぶりに敬語じゃないレイに少し驚きながらも、アドルバードは必死で反論する。
「そ、それは本当に小さい頃の話だろ!? 俺はこれでも十五歳で、もうすぐ十六だぞ!?」
「それが何か問題でも? だったら身長のことなんて気にしなければいいものを」
「気になるんだよ男としては!!」
 自分が彼女と並んでも、お世辞にもお似合いだとは思えない。
 気高く美しい彼女に劣らない、相応しい男になろうと、二年前のあの時に誓ったのだ。――何に? 自分自身にだ。
「いつもいつもおまえに守ってもらって、助けてもらって、支えてもらって――俺はおまえに何もしてやれてない。そんなんじゃ駄目なんだ」
 俯いて唇を噛むアドルバードを見て、レイがため息を零す。
「何度、言えばいいんですか?」
 怒ったような、悲しんでいるような、そんな響きの呟きにアドルバードは反射的に顔をあげてレイを見つめた。
「何もしなくてもいいんです。そのままで充分なんです。あなたはただこうして私の側にいてくれるだけで。それだけで私の心を支えてるんです。あなたを守るのも、支えるのも、全部私がしたくてしてることなんですから」
 そのままレイはアドルバードの肩に額を押し付け、黙り込んだ。
 どうしたらいいものかとアドルバードは困り果てる。レイは時々、こういうふうに人の心臓に悪いことを言ってくる。早死にしたらレイのせいだ。
 悩んだ末、そっとレイを抱きしめた。
 剣を振るう彼女は思っていたよりも華奢だった。柔らかくて温かい。明らかに男とは違う。レイは強くて弱い。相反する二つが彼女の中で両立している。誰にも弱いところなんて見せない。常に冷静で強く気高くある。けれど――たまに自分の弱さをしまい込んでいる蓋が、開いてしまう。たぶんいつも開けてるのはアドルバードだ。
「……言っとくけどやっぱりおまえの身長を抜くまでは、言わないからな」
「……どうしてそこまでこだわるんですか」
 男のプライドだ、と答えるとレイが吹き出した。そして小声でくだらない、と言うのだ。
 何がくだらないか、と怒りが湧き上がるがそこは堪えた。
「なら、私も何も言いません。女から言わせるような男ではないでしょう? ……待ってます」
 いじらしいそのセリフに、アドルバードの心臓は再び打ち抜かれる。
 ああもうだから凶悪なんだよ、この女。
 いつも主導権はあっちにあるのに、こういう場面でそんな可愛いと思ってしまうようなこと言うなよ。襲うぞ本気で。
「と、いうわけなのでこれも私を慰めてくださった、と解釈しますよ? 就寝前に寝室にいると襲われるようなのでこれからは侍女に――」
「うえ!? ちょっ……ま、待った! 何それ!?」
 アドルバードの腕の中から逃れようとするレイを必死で食い止める。
 どういう展開でそういう話になるんだ!?
「少しは警戒しろと言ったのはアドル様でしょう」
 力を込めて逃がすまいとするアドルバードの耳元でレイがそう囁く。
 確かに言ったけど。確実に言ったけど!!
 就寝前というのは数少ない誰にも邪魔されずに二人きりでいられる時間なわけで――。そしてこの状況すらなかったことにするってどうよ、とアドルバードは泣きたくなった。近年稀に見る急接近だったと思うんですけど。


「……おまえがその気ならこっちにも考えがあるぞ」


 どうせ何もなかったとされるなら。
 レイを抱きしめる腕の力を強く――壊れてしまうんではないかと思うほどに、強く抱きしめる。最初は本当に慰めるつもりだったからそれほど力は込めていない。
 襲ってもいないのに警戒されて遠ざかるというのなら。
「アドル様っ!?」
 耳元で聞こえるレイの声を無視して、もう一度強く抱きしめ――ゆるりと解放したその頬にそっと触れる。
「だから、警戒しろって言ったんだよ」
 怒ったように低く呟かれる言葉。
 問いかけようとしたレイの口を、自分のそれで塞いだ。反射的に逃げようとするレイを再び腕の中に閉じ込める。年下で小柄だとかへタレだとかで油断していたレイが悪い。腕に覚えがあるせいか、彼女はあまりにも無防備だ。
 お世辞にも優しいキスではなかったと思う。経験不足はアドルバードもレイも同じだ。
 時々甘い吐息が唇にかかる。レイの身体が硬直していた。
 まぁ単純に考えてもレイにこんな経験があるとは思えない。小さい頃からずっとアドルバードにつきっきりだったのだから。悪い虫なんて寄せ付けない。


 襲ってもいないのに警戒されるなら、襲って警戒されるほうがマシだ。


 どん、とアドルバードを突き飛ばし、レイがアドルバードの腕の中から脱出する。
 見上げるとレイが可笑しなくらいに顔を真っ赤にして、困ったようにアドルバードを見ていた。何か言いたいのかもしれないが、レイの口が何度か言葉をなさずに動いている。
 あ、やりすぎたかも。
 そんなことを思ったのは、レイが何も言わずに部屋から走り去った後だった。
 しかしあと一、二年――下手すればそれ以上、アドルバードの身長がレイを追い越すまでオアズケされるのだから、これくらいのことをしても許されるのではないか。……許してほしい。
「あー……やっちゃった」
 天井を見上げてアドルバードはため息を吐き出す。
 これで長年の信頼関係は崩れてしまうだろうか。それほどもろいものではないと信じているけど――信じたいけど。
 彼女は冷静で、意外と嫉妬深くて、強くて弱くて、綺麗で可愛い。
 いいかげん我慢するのも辛いんだと彼女に言っても分からないだろうか。


 誘拐されていた、実際はそう長くない短い期間でどれほど彼女に会いたかったか。
 自分以外の男の隣に綺麗な格好で立たれてどれほど腹が立ったか。





 レイだって分かってない。
 アドルバードのことをちっとも。





 自分が、どれほどレイが好きなのか。





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