可憐な王子の受難の日々

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29:やられたらやり返せと教育されてるので



 一通り愚痴を零すとルイは帰ってしまった。
 レイは戻ってくるだろうか――代わりにリノルアースが正義の鉄槌と言って殴りこみに来る可能性の方が高い気がする。
 明日とか、どうなるんだろう。
「あー……どうせならもっと堪能しておけば」
 警戒しろと言いつつ実際警戒されると動きにくいことこの上ない。いつもレイは影のようにアドルバードの側にいたから、いないとどことなく不安だった。
 警戒心を強められた状態であんな機会に巡りあうのは一体何年後だろう。
 後悔はしてない。謝る気もない。
 いつもいつも、自分の気持ちに気づきながら無視して、かわし続けた彼女にささやかな復讐だ。






 部屋の扉の前で立ち尽くしたまま、今夜はこの部屋に入らないほうが身のためかもしれないとレイは少し本気で思った。
 しかしいつもアドルバードの眠る部屋の隣室である控えの間で眠っていたレイに寝室は用意されていない。リノルアースの部屋からも追い出されてしまった。
 助言通りに殴った方がいいだろうかと真剣に悩みながら、かれこれ数十分が経過しようとしていた。
 もともと女らしい感情とは無縁のまま育ったものだから、こういう時にどうしたらいいのかさっぱり分からない。
 ただ一つ分かることは。
「このままは、私らしくないか」
 苦笑してレイは扉をノックした。
 まさかあんな後でアドルバードも暢気に寝ていないだろう。
 昔から、アドルバードはカッコいいと褒めてくれたのだから。それに見合う自分でいたい。





「――入りますよ、アドル様」


 返事がないのでレイは有無を言わさず扉を開けた。
 その声が自分でも驚くほどに冷静だったので今まで培われてきたものに感謝したくなった。赤く火照った頬も長いこと廊下にいたことで治まったようだ。
 主は目を丸くして自分を見てきた。何を驚くのか。
「……今夜は、戻ってこないかと思った」
「私に野宿しろと?」
「い、いや、リノルの部屋とかに泊まってくるかなと」
「追い出されましたよ」
 リノルアースの鉄拳からは逃れられたかとアドルバードはほっと息を吐く。
 レイはベットの脇のテーブルに置きっぱなしになっていた本を片付け始めていた。あまりにもいつもどおりの様子に少し腹立つ。気にならないのか、アレは。
 しかしレイは手ごろな本を一冊右手に持つと、それでアドルバードの頭を殴った。
「どわっ! な、何するんだよ!」
「リノル様に嫌だったなら殴っとけと言われたので」
 本当は拳で横っ面を殴れと言われたんですけど、とレイが付け加える。それなら本で叩かれたほうが幾分かましだ。角でなかったから騒ぐほど痛くもない。
 それよりショックなのは。
「…………嫌だったわけか」
 一応は相思相愛だと思ってたけどまさかそれも勘違いじゃあないだろうか。
「――嫌、というより……私の身長を越してからと言ったのはアドル様でしょう。現状ではあなたは私の主であって恋人ではないわけですし。ああいうことをするのは間違ってませんか?」
「でもほら、恋人じゃなくても親しい奴同士なら――」
「友愛の意味でされたのなら文句は言いませんけど、違うでしょう?」
 はい、まったくもって違います。
 そう思いながら言うのは恥ずかしいのでアドルバードは俯いた。
「ていうか友愛なら他の男にされてもいいのかっ!!」
「誰がそんなこと言いました。大体他の男なら接近してきた時点で蹴り倒してます」
 あっさりとそう言い返されてアドルバードは言葉に詰まる。
 それは言い換えればアドルバードは許されるのだ、友愛の意味だけでの、主従関係を超えない意味のキスは。他の男なら蹴り倒されるのにもかかわらず。しかし主従関係でキスできる機会なんてそう転がっていない。
「……おまえさ、ホントにそういうことをさらっと言うなよ。こっちの身にもなれって」
 時々本当に凶悪なほどに可愛い。
「代われるのなら代わりますけど、無理です」
「そういう意味じゃない。男心を理解してくれってことで」
 頭を抱えながらアドルバードがため息を吐く。
「男ではないのでそれも無理です」
 夜着を持ってきてレイがきっぱりと言い切る。男になれって言ってるんじゃないんだから無理じゃないだろ。
「自分で着替える。おまえはもう休んで――……」
 あんなことの後で着替えを手伝ってもらうなんて出来ない、そう思って夜着を受け取りながら、もう休んでいいと言おうとしたのに。
 最後まで言う前に、唇に柔らかい何かが軽く触れる。
 銀の髪が目の前できらきらと輝いていた。
 ――ちょっと待て。


「では、私はもう下がりますね。おやすみなさいませ、アドル様」
 レイは顔色を少しも変えず、むしろ何事もなかったかのように優雅に一礼する。
 やり逃げか!!
「レレレレレレっっっレイ!?」
「何ですか」
 手の甲で口を押さえる。
 微かに残るぬくもりと感触が一瞬の出来事が嘘ではないと証明していた。
「お、おまっ……まだ駄目って言ったくせに!!」
「仕返しです。やられたらやり返せと教育されてるので」
「んなっ」
 顔を真っ赤にしてアドルバードは口籠もる。
 そんなことはやり返さなくていい!! ていうかもう本で殴っただろうが!!
 そう言おうと思うのに口が上手く動かない。不意打ちにはめっぽう弱かった。心臓が可笑しなくらいにバクバクと跳ね上がっている。


「同盟の件が上手くまとまったらご褒美にもう一回してあげますよ」
 くす、と微かに微笑みながらレイが控えの間に消えていく。
 壁一枚の距離が憎い。
「…………俺は馬か」
 そしてキスはニンジンか何かか。


 形勢逆転だ。
 明らかに負けてる。
 分かりやすいご褒美につられてる自分が情けない。




「あー……これを逃したら次はいつかな」


 天井を仰ぎながらアドルバードが呟く。
 もちろんこの機会を逃すなんてそんな馬鹿なことはするつもりはないけど。




「頑張りますか」




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