可憐な王子の受難の日々

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3:あなたは私が守ります



 ふて腐れたまま馬車に揺られ、遠いアルシザスを目指す旅路に出た頃には、リノルアースのお願いを聞いてから一ヶ月が経とうとしていた。その一ヶ月の間でアドルバード専用のドレスが仕立てられ、ハイヒールが用意され、憎いことに専用のコルセットも作られた。職人たちが涙するほどの急務であったことは間違ない。
 その指揮をとったのはもちろんリノルアースだ。率先してあれこれと注文をつけ、動き回っていた。そんなに頑張るならおまえが行けと、何度言いたくなったことか。
「もう出発しているんですよ、アドル様。いいかげんに諦めてください」
「……おまえ本当に誰の味方なんだ」
「私の主人は世界にただ一人だと思っていましたが、違いましたか」
 その主人に女装させるか、おまえは。
 内心毒づきかながらも、少し嬉しくて頬が緩んだ。こういうことをさらりと言ってしまうレイは凄いと思う。
 彼女は今十七歳だ。本当ならとっくにどこかの貴族と結婚しているだろうに、彼女は騎士としてアドルバードの側にいる。これから先も、おそらく彼女は自分から結婚しようとはしないだろう。
「主人に女装させる騎士が世界に何人いるだろうな」
「これほど女装が似合う主人は世界にどれくらいいるんでしょうね」
 嬉しいなんて思ったことを誤魔化そうと厭味を言えば、それ以上の厭味でかえってきた。口でも剣の腕でも、レイに勝てる気がしない。
「俺だってあと何年かすればもう少し男らしく……」
「なれればいいですね」
「なれっこないと思ってるだろ」
「いいえ、まさか」
 レイを睨みつけても、彼女は真面目な顔をしているだけだ。本当に表情から何を考えているか分かりにくい。これでも小さな頃からの付き合いだから、他の人よりは理解できているとは思うが……。
「もうすぐで着きますよ、覚悟を決めてくださいね。間違ってもいつもの口調で話したりしないように。ついでに言えば本物のように振舞っても駄目ですよ。リノル様のマネなんかしたらアドル様が来た意味がありません」
 無理難題を言う。
「……手本がないのに、どうやって振りをしろと」
「理想のリノル様でも思い浮かべてください。見た目はあのまま可憐で、大人しくて淑やかで、控えめなリノル様です」
 そんな妹だったらこんな苦労しないのになぁ、と思っても無いものねだりというものか。
 むしろそんなに可愛い妹だったらこれくらいの苦労はしてもいいと思うかもしれない。ロクデナシの国王のもとになんかやったら大変だ。
「………………レイ」
「なんですか」
「想像力に限界がある。あのリノルが淑やかなんて……無理だ、考えてもすぐに崩壊する」
 邪気のない優しい微笑みを浮かべているリノルアースが次の瞬間には「お願い」と言いながらあの恐ろしい黒い笑顔に変わってしまう。
「……とりあえず普通の姫のように振舞えばいいんですよ」
「普通の姫と言われても。俺の近くにいる姫はリノルだし」
「あれが普通だとは思わないでしょう。この際アドル様の好みの姫を演じてくださればいいです」
 ――剣を腰にぶら下げろと?
 と、思わず言いそうになってしまった。レイに限って、アドルの密かな想いに気づいていないはずがない。今の発言にはどうせ深い意味はないのだろう。
「アドル様、王都に入りましたよ」
「長かったなぁ、馬車での移動」
「ええ、あと少しの辛抱です。もうすぐで王城も見えてきますよ。大丈夫ですか?」
 レイが少しだけ心配そうに見つめてきた。アドルバードはこほん、とわざとらしく咳をして――。
「もちろん。大丈夫よ。心配しないで、レイ」
 にっこりと微笑みながら、想像上のリノルアースを演じた。ふわりと花も綻びそうな美しい微笑みに、レイもわずかに微笑んだ。
「――それは良かった。では練習です。城に着くまではそのままで。私も今からリノルアース様とお呼びしますので」
「うえ。それはちょっと……」
 アドルバードが抗議すると、レイは真面目な顔で返す。
「これから五日間は常にそういう状態なんですから、慣れる必要があるでしょう」
「部屋でもリノルのふりをしろと?」
 それではストレスが溜まって死んでしまう。
「それが望ましいことですけどね。アルシザスの者にバレると面倒なので。完璧な振る舞いを徹底しろなんてひどいことは言いませんよ」
「……やっぱり無理な気がしてきた」
 こんな女装じゃあすぐに男だってバレて、国際問題になるんじゃないだろうか。でもそのときは悪いのは仕組んだリノルアースで、自分じゃないと言い張ろう。主張したところで無駄かもしれないが。
 はぁ、と重いため息を肺から出すと、少しは楽になる気がする。
「大丈夫ですよ、そう簡単にはばれません。今日はとりあえず挨拶して、あっても晩餐会くらいでしょう。それなら間近までは近寄ってきませんから」
「まぁ、会ったばかりで口説いてきたりはしないだろうけど」
「それは私では保証できませんが」
 嘘を言わないのはレイの性格だが、ここは気休めでもいいから保証してくれ。また一つため息を吐き出し、アドルバードは肩を落とす。
「大丈夫ですよ」
 レイがかすかに微笑みながら、そう言う。
「あなたは私が守ります。それが私の仕事ですから」
 これが、女装のお姫様と男装の騎士なんかじゃなくて、本物のお姫様と騎士だったのなら、これ以上に盛り上がる言葉はないのだろうけれど。


 ――守られたいわけじゃ、ないんだよなぁ。


 それは彼女の存在意義を奪う言葉であるし、事実として彼女の方が強いのだけど。惚れた女に守られるような男ではありたくない。しかし残念ながらアルシザスではアドルバードはリノルアースというお姫様役で、レイは女性であることを隠すという。性別が見事に二人とも逆転するというわけだ。
「――頼りにしてるよ」
 それもまた事実だ。
 アドルバードは苦笑いを浮かべながら、複雑な心境を、なんでもお見通しの騎士から少しだけでも隠そうとした。



 
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