可憐な王子の受難の日々

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6:あれはロクデナシだ



 晩餐会も終わり、ようやく一息ついた頃だった。
 夜もまだ浅く、満月が輝いていて外は明るい。星は今夜だけは大人しく、満月に主役を譲っている。ハウゼンランドは空気が澄んでいるので星がとても綺麗に見えるのだが、アルシザスではそうでもないらしい。
「さ、散歩ですか?」
 思わず作り笑顔も崩れる。部屋にアルシザスの侍女がやってきて、国王からの言付けをアドルバードに告げたのだ。
「はい。交流を深めるためにも、この国をより良く知っていただくためにも、姫を中庭をご案内しながらお話したいと」
 危険だろう、それは。――と、いう言葉が口から漏れそうになったが、寸前のところで飲み込む。
「申し訳ありませんが、婚約前の姫が夜に男性にお会いするのは……明日、昼間ならば喜んでお受けいたしますが」
 困惑するアドルバードの隣に立つレイが、代わりに答える。
「お誘いは本当に光栄です。ですがあらぬ誤解を受けぬためにもご理解ください。明日、楽しみにしていますと、お伝えください」
 レイがかすかに微笑むと、侍女はほんの少し頬を赤く染めてかしこまりました、と頭を下げて小走りで去っていく。
「レイ」
「――なんですか」
 扉を閉め、二人きりとなった部屋の中でアドルバードは決定した。
「あれはロクデナシだ」
「……そのようですね」
 普通に、一般的に、常識的に考えて、未婚の姫を夜に連れ歩くなんて考えられない。それが舞踏会などの日ならまだましだが、今日は違う。まして「リノルアース姫」は今日アルシザスに到着したばかりだ。その姫にそんな誘いをする国王が、まともなはずがない。
「夜に中庭で散歩!? そんなことはお暑い恋人同士がするもんだろうが!! なんか勘違いしてんじゃないだろうなあの野郎!」
「落ち着いてください、どうにかなったんですから」
「どうにかって……明日に先延ばししただけだろうが!」
「明日の昼間になっただけでも十分です。私も側に控えてますし、周囲の目もありますから」
 冷静なレイとは違って、アドルバードの不安は拭いきれなかった。
「――万が一、男だってばれたら……」
「それはありえませんから大丈夫です」
 きっぱりと迷いなく言い切る騎士に、アドルバードは悲しくなった。自然と声も小さくなる。
「俺はそんなに疑いようないくらいに女に見えるのか?」
「前にも申し上げましたように、見事な姫君でいらっしゃいます」
 惚れた女にそう言われる男はこの世にどれほどいるだろうか。アドルバードは肩を落とし、早々にふて寝をするためにベットに潜り込むのだった。





「おはようございます、アドルバード様。今日も見事なお姫様っぷりですね」
 にこにこと上機嫌で、こっちの機嫌が悪くなるようなことを言うのはハウゼンランドから共にきた侍女だ。
 彼女らに悪気はないのだが、嬉々としてアドルバードを飾り立てているので楽しんでいるふしはある。
「ニーナ。ここではリノル様と呼ぶようにいっているでしょう」
「あ、すみません。つい」
 レイの注意に素直に謝りながらも、次にはまた忘れているのだ。どこか抜けているところがあるので仕方ない。
「リノル様、もし何かされそうになったら殴ったりしないで悲鳴をあげるんですよ。そうすればすぐにレイ様が駆けつけてくださいますからね」
 例の散歩に行こうとするアドルバードを引き止め、侍女一同、真剣な顔でアドルバードの手を強く握る。
「……そんなことしたりしないわ、大丈夫よ」
 本物のリノルアースじゃあるまいし、そういった問題を起こさないためにアドルバードがこんなことをしているのだ。にっこりとお姫様の微笑みを浮かべながら答えるアドルバードに、侍女達は涙を浮かべる。人の女装を楽しんだり憐れんだり忙しい連中だ。
 昼間ということもあって、かなり暑い。
 それなのに中庭なんかを歩かなければならないのだから災難だ。普通の姫と違って(本来は姫ではないし)中庭の珍しい南国の花に興味はない。
「これはリノルアース姫。わざわざありがとうございます」
 中庭で待っていたカルヴァがにこやかに歩み寄って来る。
「陛下からのお誘い、とても光栄です。昨夜は申し訳ありませんでした」
「いやいや、こちらの気遣いが至らなかったのですよ。では騎士殿。エスコート役は私が」
 そう言いながらカルヴァは半ば無理やりにアドルバードの手を取る。
「中庭にいるので護衛は無用だ。騎士殿も少しは休まれた方が良い」
 俺とレイを引き離して二人きりになりたいのか。
 アドルバードはロクデナシという印象を変えることはできなさそうだと思いながら、レイを見る。ここで無理にレイが同行するわけにはいかないだろう。
「――何かあれば、すぐに呼んでください。見えない程度の距離で追いますから」
 耳元でそう囁かれる。
 カルヴァには聞こえたのか聞こえなかったのか、確かめる術はないものの、声量からして聞こえてはいないはずだ。
「では陛下、失礼します」
 レイは優雅にお辞儀すると、とりあえずその場を辞す。その姿を名残惜しそうに見送った後で、アドルバードとカルヴァは中庭の散策を始めた。
 あちらこちらに咲き乱れる花の甘い香りが鼻腔をくすぐる。ハウゼンランドとは違って、大輪の明るい色の花が多い気がする。頬をかすめる風は生暖かく、身体を冷やしてはくれない。照りつける太陽の明かりで少し眩暈がするくらいだ。
「――姫は、騎士殿を信頼しているようですね」
 静かだったカルヴァが突然口を開いたかと思えば、レイの話だ。
「え、ええ。もちろんです。私に剣の誓いを立ててくれた、大切な騎士ですから」
「そういう意味だけでもなさそうだ」
 にやりと、意地悪そうな笑みを浮かべてカルヴァがアドルバードを見つめる。
「分かりませんわ、どういうことかしら?」
 にっこりと微笑み返してどうにかかわそうと試みるが、カルヴァはそれを許してくれそうにない。
「あなたが騎士殿を見ているときの目はまさに恋する乙女のようですがね。違いますか?」
 ここまで直球で聞かれたら、どう答えればいいのか分からない。
 誤魔化しきれるだろうか、それとも――。なんと言えばいいだろうかと思案するアドルバードの視界が、ぐらりと揺れた。頭が回る。直立するのも不可能なほどに、眩暈がする――。
「リノルアース姫!?」
 すぐ側なのか、それとも遠くからか、カルヴァの声がした。
 吐き気がする。なんなのかこれは――。
「ア……リノル様!」
 意識を失う寸前、細い腕に抱きとめられた。
 目を閉じる前に見た騎士の姿に、ほっと安堵する。
「……レ、イ……」
 側にいると分かっていた。
 呼ばなくても来てくれるだろうと思っていた。
 それは信頼などという言葉では表せ尽くせない、不思議な感覚だった。




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