可憐な王子シリーズ番外
不真面目な王様を有能な彼女
輝く宝石。
着飾る姫君。
夕焼け。
咲き誇る花々。
空に輝く月と星達。
綺麗だと思えるものは世界に溢れている。
毎日美しいものとの出会いで満ちている。
それが全て幻だと思うようになった。
――――この世で一番美しいひとに。
彼女に出会ってしまったから。
大陸屈指の大国である南国アルシザスの王になったのは、成人してすぐのことだった。父が死んでしまえば世継ぎは自分しかいない――なんてことはなく、当時は色々な策略と汚い金に満ちていた。この世の汚い物をその時に見尽くしたと言ってもいい。
正統な王位継承者であるが故に王位を他の誰かに譲る気にもなれず――それは単純に生まれ持った物を誰かに奪われるのが腹立たしかっただけで、王座に興味なんてなかった。
人間は綺麗な生き物じゃない。
人間は欲にまみれた汚い生き物だ。
そう思って人間不信になり気味だったのは、即位してしばらく続いた。
真綿に包まれるようにして育てられた人間に、争いという人間の汚い部分が一番出る出来事は最悪だった。
それが一変した。
世界が光を取り戻した。
その人は唯一思い通りにならない人だった。
どんな女も国王という立場だけで簡単に甘えてきた。媚を売るその仕草に吐き気がするくらいに慣れたものだった。
女なんて口説けば皆、喜んで擦り寄ってくる。
そう思っていた。
「これほど美しい人は見たことが無い。太陽も月も、貴女の前では霞んで見えてしまうな。貴女のお名前を聞いてもよろしいか?」
手を差し出し、慣れた口調でそう問いかけた。
相手はお世辞にも綺麗なんて言えなかった。髪は少しの乱れも無く一つに纏められ、この南国では病的だと思えるほどにきっちりと露出の少ない質素なドレスを着ている。珍しいのは眼鏡くらいだろうか――実物を見たことは少ないが高価なものだと、記憶している。
「………………」
彼女は無言だった。
「こら! きちんと陛下にお答えしないか!」
彼女を紹介した大臣が慌てたように彼女を急かす。
眼鏡の向こう側で、大きな瞳が真っ直ぐに自分を見た。
「見え透いたお世辞に感謝するような女ではありませんので。私は仕事をしに来たのであって、恋愛をする気は毛頭ありません。その無駄な口をいちいち開かないでくださいますか、陛下」
大臣がみるみるうちに青くなっていくのが視界の隅に見えた。
でもそんなものは気にならない。
眼鏡の奥、何よりも輝く瞳に釘付けだった。
「お、おまえはなんていうことを!」
「黙れ」
慌てて彼女を叱り始めた大臣を短く黙らせる。
彼女の声を途切れさせたくは無い。今まで聞いたどんな音楽よりも綺麗な響きだった。
「――失礼。では名前を聞かせてもらえるかな。有能なお嬢さん」
いつものような甘い響きはない。
緊張で口の中がからからに乾いていた。
「有能かどうかはこれから判断してください。仕事をする前から過大評価されるのは迷惑です。……エネロア・カルゼンと申します、陛下」
「エネロア」
ぴったりだと思った。
甘く、可愛らしく、美しい名前。
「ではよろしく、エネロア。君は今日この場を持って私の秘書官だ」
それが、彼女との出会い。
ようは――単純に言ってしまえば、一目惚れだった。
眼鏡を外した方が綺麗な瞳が見えるのに、髪を下ろした方がきっと綺麗なのに、もっと華やかな服を着ればきっと誰もが目を奪われるのに――。
それでも彼女の美しさを知るのが自分だけで、嬉しいのだ
。
「陛下、こちらの書類にサインをしておいてくださいと言いましたよね?」
「……エネロアがどうしてもと言うのなら頑張ろうかな」
「――陛下」
エネロアの声が低く響く。
怒っているな、と苦笑しながら長椅子から起き上がり、机に向かう。
束になった書類に次々とサインを書きながら、何気なく問いかける。
「エネロア、この世で最も美しいものはなんだと思う?」
彼女は一瞬だけこちらを向いて、すぐにまた仕事を始める。
「一概には申し上げられません。美的感覚は人それぞれですから」
「では、エネロアは何が一番綺麗だと思う?」
「……考えたことがありません。でも、そうですね。朝焼けは綺麗だと思いますよ」
ああ、赤く染まるあの空を、エネロアも美しいと思うのか。
「夕焼けではなく?」
「確かに色彩は似てますけど、一日の始まりと終わりでは始まりの方が綺麗だと思えます」
「考え方の違いだな。私はどちらでも美しいと思えるが」
くすくすと笑っていると、早くサインをして下さいと急かされた。
「……陛下は、何が一番綺麗だと思うんですか?」
珍しくエネロアの方から話を始めた。
それが嬉しくてまた笑っていると、何故か睨まれる。
「エネロア」
「何です?」
「だから、エネロアだ」
「……?」
分からないと言いたげに彼女は首を傾げた。
頭は良いのに鈍感なのか、と苦笑する。
「私にとって一番はエネロア・カルゼンだ。君がこの世で一番綺麗だ」
その姿形だけでなく、その心までも。
不正を許さず、揺ぎ無く、誇り高く、凛とした存在そのものが。
彼女はしばらく無言のまま、固まっていた。脳に言葉が届くまでにいつも以上の時間を要しているらしい。
「…………何をおっしゃるかと思えば……お世辞は嫌いですと言いませんでしたか?」
「お世辞ではなく本気だから言っている。君にこれ以上嫌われたくはないしな」
軽薄な男は彼女がこの世で最も嫌う部類の人間だ。そして今まで装ってきた自分がまさにそれだった。
「それは勘違いですよ。陛下。人間はこの世で最も汚い物ですから」
ああ――その意見には賛成だ。
珍しく意見があったと微笑むと、エネロアは睨んでくる。よく睨まれるのはなぜだろうか。
「それをそういい切れてしまう君が、私は綺麗だと思うんだよ。勘違いというのは失礼ではないかね? 美的感覚は人それぞれだと言ったのは君だ」
悔しそうに、彼女は言葉を詰まらせた。
ああ、意外に――いや、予想通り、負けず嫌いなんだな。
「やっぱり、陛下は変なんですね」
「一国の王に向かって堂々とそう言える君は潔くて美しいな」
「……頭は大丈夫ですか?」
「心配には及ばない。正常に機能しているとも」
君の姿も見えてるし、君の声もきちんと聞こえてるからね。
そう言ったらエネロアは呆れたように黙り込んだ。何を言っても無駄だと思ったのだろう。
「秘書官など辞めて玉の輿に乗るつもりはないかい? 一生苦労はさせないよ?」
「謹んでお断りいたします。仕事をしない男と結婚するつもりはありません」
「君からのご褒美の一つでもあるなら世界征服できるくらいに頑張れるのだがね?」
「冗談はいい加減にしてください」
苛立った――というよりも、困惑した彼女の腕を掴む。
これだけは訂正しなくてはいけない。
「冗談なんて一つもない。君に関しては、ね」
男慣れしていないのだろう、彼女は顔を真っ赤にして黙り込む。その様子が可愛らしくて、いとおしくて掴んだ腕を離せなくなる。
そんな彼女の顔を見るのが好きで何度も何度も甘いセリフを囁いた。
どれもが本当に本気だった――残念なことに、今ではすっかり慣れてしまったようだが。
「――愛してるよ、エネロア」
そして今日も隙を見つけては彼女を口説く。
大抵時間にすると深夜か朝日も昇らない朝方だ。
由緒ある貴族の馬鹿共が北国の姫君(に扮した王子)を巻き込んだ一件も解決した。王子は美しい騎士と共に今頃は北の大地で相変わらず進展したりしなかったりしているのだろう。そのうち手紙でも書かねば。同盟の件について来年にでももう一度来てもらわねばならないし、そのついでにでも。
「そういうことは机の上に溜まっている仕事を片付けてから言ってください」
「君を考えていると仕事も手につかないんだ」
「では私は退出しますので」
「側にいないと尚更だ」
「側にいてもやらないでしょう」
「君の美しさが眩しくて書類なんて見えない」
陛下、と彼女が低く呟く。
ああ、そろそろ限界か。
もう何年も毎日のように繰り返しているやり取りなので引き際は完璧だ。
「――それで? 君は新しい書類を持ってきたんじゃないのかい?」
「……机の上に置いてあります」
ありがとう、と囁いて大人しく机に向かう。
「喉が渇いたな。何か持ってきてくれるかい?」
「かしこまりました」
口説いた後の彼女は普通よりぎこちない動きになる。それを見分けられるのはおそらく自分だけだろうが。
くすくすと笑いながらエネロアを見送る。
また徹夜になってしまいそうだ。彼女も無理に付き合う必要はないというのに、仕事だと言って付き合ってくれる。肌に悪いだろうに、彼女の美しさは以前よりましている。
「エネロア」
ちょうど部屋から出ようとしている彼女を呼び止める。
「今から真面目に仕事をするから、後で一緒に朝焼けを見よう」
「……書類の山を一つは片付けてくださいね」
彼女は振り向きもせずにそう言って、部屋から出て行く。
分かりやすい照れ隠しに、もう一押しかなと苦笑する。
「さて、やらねばな」
目の前の書類を手に取り、一度伸びをする。
たまにご褒美を要求しないと、どこぞの国の王子よりも進展が遅い。
君が世界で一番綺麗だという朝焼けを見ながら、世界で一番綺麗だと思う君を見つめよう。
輝く宝石。
着飾る姫君。
夕焼け。
咲き誇る花々。
空に輝く月と星達。
そのどれもが、君の前では霞んで見えてしまうから。
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