君と肩を並べるまで

(1)


 長い間見下ろしていた青い瞳が、少しずつ少しずつ近づいてくる度に、少なからず動揺していた。
 幼さの残っていた顔立ちはどんどん逞しくなり、少年らしさは徐々に消えていく。その代わりに掌は大きくなり、骨ばってきたような気がする。少年と青年の狭間にいるその人は、この一年と少しで急激な成長を始めた。身長はまだまだ伸びるに違いない。

 ――たぶん、私が見上げるようになるのもそう遠くない未来なのだろう。




「アドル様、起きてください」
 レイは寝台の上で寝がえりを打つ主の肩を揺らしながら声をかける。
 昨晩遅くまで書類とにらみ合いを続けていたことを知っている分、少し可哀想な気もするのだがこれも仕事のうちと心を鬼にする。
「んー……」
 開けられたカーテンから差し込む光に眩しそうに目を細め、青い瞳がレイを捕らえた。
「……もう、朝?」
 まだ半分くらい夢の世界に浸っているのだろう、ぼんやりとした声に幼さが残っていてレイは思わず微笑んだ。
「朝です。起きてください、アドル様」
 うん、と唸りながら布団の中から手が伸びてくる。以前より逞しくなったその手をレイは追うように見ていると、肩に届くほどまでに伸びた銀の髪にさらりと触れてきた。いつもなら一つに束ねているのを、面倒でおろしたままだったことを今さら思い出す。
「まだ、寝てれば良かったのに……おまえも俺につきあって夜遅くまで起きてたんだから」
 アドルバードは見上げたままそう呟く。髪に触れていた手がレイの頬まで伸びてきて優しく撫でるように触れる。
「――仕事、ですから。目が覚めたなら着替えてください。アドル様」
 レイはアドルバードに動揺を悟られないように平静を装い、さりげなく距離を置いた。
「服は?」
「いつもの場所に用意してありますよ。朝食を用意させますね」
 寝台の上で座りながらアドルバードはじっとレイを見ていた。その視線に気づきながらもレイは無視して部屋から出て行く。

「……身長越してからなんて、言うんじゃなかったかなぁ……」
 アドルバードは髪をかき上げてぽつりと呟く。
 その呟きは、レイの耳には届いていない。





 アドルバードの身長が急に伸び始めてからだろうか、時々レイがどきりとするような仕草を見せるようになったのは。
 ふぅ、とレイはため息を吐き出してレイは少し寝坊した主のために朝食の準備を頼む。
 アヴィランテの姫やら王子に巻き込まれたごたごたを片付けて以来、アドルバードに課せられる仕事は増えた。国王もアドルバードを後継者として本格的に育てることにしたのだろう。
 弟であるルイは未だに遠い南国、アヴィランテで尽力している。長く続くかと思われた内戦は予想よりも短く、現在はヘルダムを国王として新体制を整えている真っ最中だ。
 ヘルダムが国王となったことで、新たに領地と領主を選び直された。その中に何故かレイの名前まであった。
 曰く、「弟であるヴィルハザードを保護してくれた一族に対するそれ相応の返礼」であるらしいが、その真意は定かではない。かくしてレイは北国の一騎士に過ぎなかったはずが、南国アヴィランテの女領主という地位を得た。
 その影響はそれなりに大きい。十五歳から今まで静かだった求婚の声は最近増え始めている。もちろんアドルバードの専属の騎士であるレイの結婚にはアドルバードの許可が必要となるし、アドルバードが自分以外の男で許可を出すはずもない。おかげで十五歳の時よりは断りやすくて助かっている。
 国際的なハウゼンランドの地位は徐々に高くなり、弱小国という呼び名はそろそろ似つかわしくなくなることだろう。大陸でもそれなりに知られた国となった。

「――アドル様、ご用意できましたよ」
 寝室の扉を開けて声をかけると、アドルバードは既に着替えて待っていた。赤みがかった金の髪はきらきらと輝き、濃紺の上着はその髪を映えさせていた。身長は今165cmほどだろうか。並ぶとレイは随分と目線が近くなったなと思う。
「おまえは?」
「もう既に頂きました」
「……どれだけ寝てないんだよ」
 昨夜――というよりも今日の早朝までアドルバードの仕事を手伝っていたレイは、今まで眠っていたアドルバードよりも早く起きて彼を起こしに来ている。必然的に睡眠時間はアドルバードよりも短い。
「慣れてますから平気ですよ?」
「慣れるなよ……肌荒れるぞ」
 寝起きで頬に触れてきたのはその確認だったのか、とレイは納得しながら苦笑する。
「……あまりそういったところは気にしていませんから」
「綺麗なんだから少しは気にしろ」
 もったいない、という呟きに少しくすぐったくなりながら形だけ「はい」と答えておく。肌荒れを気にするような性格なら初めから騎士になんてならないということに、この主はいつになったら気づくだろう?
 朝食をとるアドルバードの給仕をしながら、ちらちらとこちらを見てくるアドルバードの視線に気づいてレイはため息を零す。
「――――どうかしましたか、アドル様」
 見ていることに気づかれているとは思っていなかったのだろうか、アドルバードは慌てて平静を装うが、完全に失敗している。
「い、いや、その――また面倒なこととか起きてないかな、って」
「面倒なこととは?」
 首を傾げてレイが問いかえすと、アドルバードはもごもごと口籠りながら視線が泳ぐ。
「ほら、その。求婚とか。最近増えてきてるみたいだったし。断るなら俺の名前を勝手に出していいんだからな」
 ああ、とレイは合点して頷く。
「今はありませんよ。もちろん普通に断るのが難しいのならアドル様の名をお借りすることもあるでしょうが」
「……実際、いったい何件あった?」
 こちらの様子を窺うようなアドルバードの言葉にレイは思わずおかしくなりながら笑うのを堪えた。
「どこから数えればいいのか知りませんが、少なくとも最近では十数件はきてますね。父が教えていないものも中にはあるでしょうから、もう少し多いかもしれませんけど」
 レイの回答に、アドルバードはあからさまにむっとしてパンを勢いよく千切る。行儀が悪いですよ、とやんわりと注意してレイはくすくすと笑う。
「あと七cm……っ!」
 パンを握りつぶさん勢いでアドルバードは唸る。すぐ傍にいるレイにもそれは聞こえているのだが、本人としてはそんなことを気にしている余裕はないらしい。
 こういうところは以前からまるで変わらないな、とレイは嬉しくなりながらアドルバードを見つめる。
 小さな頃から見守り続けてきた男の子は、こんなにも大きくなってしまった。自分の背中を追いかけてきた頃の記憶もあるだけ、その背中が大きくなっていくのは嬉しくもあり切なくもある。
 たった二歳、年長なだけなのに、とレイは苦笑する。
 『小さい』時期が長すぎたのだろうか、もしかしたら自分が甘やかし過ぎたのかもしれない。おそらくアドルバードがアルシザスに行き、自分で成長する機会がなければこんな状況にもならなかった。
 想いを殺したまま、アドルバードに良い縁談を持ちかけただろう。その覚悟があったのは事実だ。

『覚悟しておいてね? ――逃がさないから』

 アルシザスでリノルアースに言われた言葉を思い出す。
 もしかしたらこうなることまで彼女の中で組みこまれた計画だったのだろうか。だとすれば相当な策士だとしか言いようがない。
 大事に大事に守っている間は、レイはアドルバードへの想いを告げようとは思わなかっただろう。けれど主は間違いなくレイの手を離れ、無理難題を解決し始めている。もちろんそれらには手を貸してきたが――アドルバードの力はたぶんレイでは補いようのないものだ。
 人を惹きつけ、人を動かす。
 もう騎士として隣にいなくても大丈夫だと思えるほどにアドルバードは成長している。
 これからは、おそらく――



「逃げられそうには、ないですね」



 くすくすと笑いながらレイは呟く。
 アドルバードは不思議そうに首をかしげてレイを見上げていた。






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