君と肩を並べるまで

(3)


「レイ」

 アドルバードが講義を受けているはずの部屋まで急ぐと、少し前からアドルバードがやってきた。
「……アドル様」
「珍しいな。おまえが遅れるなんて。先生まで驚いてた」
 おかげで少し長引いたんだぞ、とアドルバードは笑う。いつも講義が終わる時間ぴったりに迎えに行くせいだろう。
「リノル様に捕まってしまいまして」
 ここはリノルアースを言い訳に使わせてもらおうと苦笑すると、アドルバードは何の疑いもなく「だろうな」と笑った。
「大変かもしれないけど、付き合ってやって。あいつもルイがいなくなって寂しいだろうからさ」
 そう言うアドルバードの顔はしっかりと『お兄ちゃん』だ。
 それが少し微笑ましくてレイはアドルバードの横顔を見つめる。
「――……何?」
 アドルバードはその視線に気づいたのか、少し照れたようにレイを見上げながら問う。
「あ、いえ……てっきりルイのことは反対するのかと思っていたので」
 あっさりとこのシスコンが妹をルイに渡すとは思っていなかっただけに、二人の仲を容認するようなセリフには少しばかり驚かされる。
「前にも言っただろ。リノルが本気でルイを好きなら、俺が反対なんかしても無駄だよ。どこぞの馬の骨にやるよりはルイにやった方がましだと思うし。やっぱりリノル元気ないからさ、早く帰ってきてくれた方がいい」
 それに、とアドルバードが呟いてから少し黙りこんで俯いた。急にアドルバードが立ち止まったので、レイも合わせて止まる。
「アドル様?」
 レイが不思議そうに問うと、心なしか頬の赤いアドルバードはレイを直視できずに呟いた。
「あいつからしても、同じだろうしさ」
 その言葉の意味することを考えて――レイは納得した。
 可愛い妹を渡す相手の、姉をもらい受けるのだから――まぁ痛み分けになるのだろうか。
「……ルイはアドル様ほどシスコンではありませんけど」
「それはおまえが気づいてないだけだろ!? あれもそこそこやばいレベルだよ! あいつの初恋はおまえだぞ!?」
「それを言うならリノル様の初恋も私になりますが」
「それはそれ!」
 姉弟の間で初恋のことをを笑話として話せるだけの関係になっているから、ルイにはもはやレイに対する恋情は欠片も残っていないのだろう。確かに普通の姉弟よりは親しいと思っているが――それは血の繋がりの無さを補うためのもののように思っていたし、もともと家族の結束は強い一家だ。
「どちらにせよ、ルイは私がどこに嫁ごうが異論は挟まないと思いますが」
「……いつも思うけど、レイってルイのこと信頼してるよな」
 会話が少し違う方へと流れたことに首を傾げつつ「はい」と素直に頷く。
「しっかりした弟ですからね。昔から」
「……しっかりしてるか?」
 アドルバードが不審げに問うてくる。レイは苦笑しながら「してますよ」と答えた。
「少なくとも小さい頃あなたやリノル様が脱走して私を困らせている間、ルイは大人しく家の中で待っていましたからね。昔からどちらかというとアドル様達の方が手のかかる弟妹のようなもので――」
 懐かしげに昔を思い出しながら話していると、アドルバードの機嫌が明らかに悪くなっていた。空気の変化に気づいてレイは言葉を途中で切る。
「…………アドル様?」
 どうかしましたか、と問おうとすると、アドルバードは仏頂面のままですたすたと歩き始める。
「俺は、今も昔もおまえの弟なんかじゃない」
 後を追おうとしたレイの足がぴたりと止まる。アドルバードはそんなことおかまいなしにそのまま歩いて行ってしまう。その拳はぎゅっと握りしめられていて、痛そうだった。

 ――やってしまった、と思ってからでは遅い。

 レイは口元を手で押さえ、歩き去って行くアドルバードの背中を見つめるしか出来なかった。
 弟だなんて、思っていない。今はもう。
 それでもアドルバードの機嫌を損ねた原因が分かってしまうと、レイは一歩も動けなかった。傷つけたことは確かだった。





「……やっちゃた、って顔ね」
 廊下で立ちつくしているレイのところに、呆れ顔でリノルアースがやって来た。
「アドルが私のところに来たわよ。むつれっ面で。おおまかなことは聞いたけど、レイはそんなに落ち込むことじゃないんじゃないの?」
 レイの隣に並び、窓の向こうを見ながらリノルアースが問う。
「アドル様を傷つけたのは事実で……」
「傷つくほうが可笑しいじゃないの。レイとアドルはまだ恋人でもないのに。怒る権利はまだアドルには無いのよ? 大体、昔の話じゃないの」
 ま、他の男に比べられたのが嫌だったっていうのもあるかもしれないけど? リノルアースはレイを見上げながら意地悪そうに笑う。
「余裕ないのよ、レイにはまた求婚がたくさん来てるし。早く身長が伸びないかって内心で焦ってるんでしょうね。変な条件つけたのは自分のクセに」
 これ以上のペースで身長が伸びても辛いだけだろうに、とレイは苦笑する。急激に伸びた身長はもれなく成長痛をもたらした。今でも時々のたうちまわるほど痛がっているくせに、それでもアドルバードが目指す身長にはまだ届いていない。
「アドル様が私を一途に見ていてくれた間、私は『弟』としてしか見てなかったんですね」
 レイは窓の向こうの青空を見つめながら呟く。
 アドルバードがレイに恋している間、レイは手のかかる弟としてしかアドルバードを見ていなかった。その事実がアドルバードの小さな頃からの恋を否定してしまったような気がする。
「恋の始まりなんて、深く考える必要はあるの?」
 落ち込んでいるレイの隣でリノルアースは呆れたように呟く。
 レイはリノルアースを見つめてただ黙る。リノルアースはどこか大人びた表情で続けた。
「大切なのは今でしょう? 恋した期間なんて、今の思いの深さには関係ないんじゃないの?」
 いつも諭すのは自分の役割だけれど、とレイは苦笑する。恋愛にかけてはリノルアースに勝てるわけがないのだ。
「……アドル様は?」
「部屋から追いだしたから、今頃中庭あたりでいじけてるんじゃないかしら?」
 そして部屋から追いだした後でわざわざフォローしにレイを探してくれたのだろう。
 レイはくすりと笑いながら「ありがとうございます」と頭を下げて踵を返す。





「――アドル様?」
 中庭に行くと、アドルバードの姿は見つからなかった。どこにいるのだろうと歩きまわり――薔薇の垣根に囲われた芝生に寝そべりながら空を見上げている主を見つける。
「……服が汚れますよ、アドル様」
 第一声がこんなことになってしまうのは、過去からの習性なのだろうか。レイはアドルバードを見下ろしながら声をかける。しかしアドルバードはレイから顔を背けるように横を見る。完全に不貞腐れているようだとレイは呆れながら苦笑する。
 ここでどんな言葉を尽くして弁解しても、この主には無意味だろう。
 ならば。
「……何故そんなに捻くれてるのか知りませんが、こんな女が嫌なら約束は忘れてくださって構いませんよ」
 自分でも予想以上に平坦な声が出た。
 ぴくりと、アドルバードの表情が固まる。
「けれどその場合、アドルバード様の騎士を続けるつもりはありませんから、どうぞ誓いにそって私を殺してください」
 すっとアドルバードの横に跪いて撫でるように呟く。
 アドルバードと結ばれて――自分が王妃になるのではないなら。他の女がその場所にいるのをどこよりも近くで見せつけられるくらいならば。剣の誓いを破った罪人として、アドルバードに斬られる方がいい。明確に口にしていないものの、レイが言ったのはそういうことだった。
 どれも嘘ではない。
 以前ならばアドルバードがどんな女性と結婚しても、傍で守れるのならそれでいいと思っていた。けれど今はもう無理だ。
「ふざっ……けるな!!」
 アドルバードは勢いよく起き上がり、レイの手首を掴んで叫ぶ。
「誰がおまえを手放すか! おまえはどうか知らないけどな! こっちはずっと前からおまえだけ見てきたんだよ! それを今さら――やっと手に入るかもしれないって時に諦めるわけあるか馬鹿!!」
 予想通りの展開に、レイは苦笑した。
 こうすればアドルバードなら怒るだろうと思った。怒って、こう言ってくれるだろうと。
 しかしレイの上体は後ろへと崩れた。アドルバードの肩越しに綺麗な青空が見えて、そこで初めてアドルバードに押し倒されたのだと気づく。


「アド――――」


 呟こうとした主の名前は、唇を塞がれたことによって声にはならなかった。




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