君と肩を並べるまで

(5)


「――まぁ! お嬢様!?」
 馬で一人屋敷に戻ると、古参の使用人の中年の女性が驚いたように声を上げる。
「あらあらまぁ! どうなさったんです!? 珍しいこともあるものですねぇ! 坊ちゃまはよくお帰りになっていらしたんですけど、お嬢様がお帰りになったのはいったいどれくらいぶりでしょうねぇ!!」
 こちらが口を挟む余裕もないくらいにおしゃべりなその女性は、それこそレイやルイが小さな頃からこの家で働いてくれている人だ。
「今夜は御馳走にしましょうね。お嬢様のお好きなものにしますから」
 大変な歓迎ぶりに、実家だと言うのに少し気が引けた。普段あまり帰って来なかったことを改めて申し訳なく思う。
「――ただいま、久しぶりだな、マーサ」
「あら、覚えていてくださったんですねぇ。城でのお勤めが忙しくて私の名前などすっかり忘れたものと思っておりましたよ」
 懐かしい小言に苦笑しながら、レイは上着を脱いでマーサに預ける。
「それにしてもよく王子がお休みをくださいましたね?」
 ぎく、として思わず身体が固まる。小さな頃からレイを知っているマーサはその一瞬の変化を見逃さなかった。
「もしかして……無断欠勤ですか!? いけませんよ! お仕事はきちんとですね――!」
「いや、無断ではない。国王陛下からお休みはいただいたから」
「お嬢様がお仕えしているのは陛下ではなく王子でしょう?」
 正論を返されて思わず言葉に詰まる。
「……旦那様のお話だと婚約も間近とのことでしたけど。何かおありに?」
 いつの間に婚約どうのこうのの話がこちらまで伝わっているんだと呆れつつ、レイはマーサから逃げるように自室へと向かう。マーサがそんなレイを逃すわけもなく、ぴったりと後ろをついてくる。
「困りますわお嬢様! このマーサはお嬢様の花嫁姿を楽しみに生きておりますのに――!」
 そんな孫の結婚を待ちわびる祖母のようなことを言わなくても。
 レイは呆れながら立ち止まり、そして振り返る。身長の低いマーサはレイが見下ろさなければ目が合わない。
「しばらくアドル様とは距離を置きます。もし来訪があっても取り次がないように」
「まぁ……倦怠期ですか?」
「……恋人でもないのにどうしてそんな単語が出てくるんですか」
 溜息を吐き出しながらレイが呟くと、マーサは笑いながら「冗談ですよ」という。
「でも、何かお悩みならマーサにも言ってくださいね?」
 優しい笑顔にレイも思わず微笑む。母が死んでからは、マーサが母親代わりだったと言っても過言ではないだろう。
「……傍に居すぎたから、少し離れるだけです」
「左様ですか」
 マーサはにっこりと笑ってその場を去っていく。小さな背中なのに、どうしてこんなにも頼りがいのある姿なのだろうとレイは不思議に思った。






「ふざけるな! どうして俺に断りもなくレイに休暇なんて――!!」
 城内のどこを探しても見つからない騎士を探すアドルバードに、リノルアースがそっと真実を教えるとアドルバードは父の執務室へ殴りこみへ行った。
「だってレイが欲しいっていうから」
「だってじゃないでしょう!!」
「娘は貞操の危機にあると言っていたんですがどういうことですかね、殿下? どこまでやったんですか」
「どこまでもやってない!!」
 ――突き飛ばされなければ、そのまま突っ走ったかもしれないけれども!! というか突っ走ってた自信はあるけど!
 内心ではかなり焦りながらアドルバードは凶悪な中年男二人に食いかかる。
「俺はレイにまだ話すことが――!!」
「……女性を押し倒して、何を話すのかしら? アドルバード」
 ひんやりとした声に、アドルバードの身体が硬直する。その人はいつもならここにはいるはずもなく、そしてその声は明らかに怒っている――!!
「は、母上!?」
「そんな子供に育てた覚えはありませんよ、アドルバード。女性には優しくとあれほど言い聞かせて来たのに……! 最近大きくなってきたからって態度まで大きくなってはいけませんよ!」
 助けを求めようと妹を見るが、リノルアースは頑張れとアイコンタクトするだけで助け舟は出してくれそうにない。
「いや、これは俺とレイの問題で――」
「恋人でもない女性を押し倒すことは確かに問題ですね?」
 あう、とアドルバードは言葉に詰まる。
 いつもは穏やかな母親の目が笑っていない。
「確かにね、アドル。時に恋は強引な手管も必要かもしれないけれど? それも女の子としてはときめくポイントではあるんだけれども? 今回ばかりはレイを怒らせたんだもの、間違いだったのよ」
 うう、はい、ええ、とかとりあえず相槌を打ちながらアドルバードはその場に自主正座する。
 確かに――レイが怒るなんてどれくらいぶりだろう。怒らせた。その事実もまたアドルバードには重い。
「…………でも、弟扱いはないだろ」
 むす、と思いだしてアドルバードは膨れる。しかも実の弟以下と言われたのだ。おまえは俺のことが好きだったんじゃないのかよ、と愚痴も零したくなる。
「馬鹿アドル」
 アドルバードの呟きを聞いていたのだろうか――突然リノルアースが呟いた。
「なんでだよ! 悪いのは俺だけか!?」
「レイも悪いわよ、ええもちろんレイも悪いわ! でも謝りに行ったのにあんたが膨れて、レイを不安にさせて、しかも押し倒したなんてあんたは最低よ!!」
 我慢できなくなったのか、言い返すリノルアースの迫力はこの場の誰よりも凄まじい。
「不安にだってなるでしょうが! 明確な言葉もないのに求婚は増えるわあんたはチビのまんまだわ! しかも別に深い意味もないセリフにあんたは激怒するし!!」
「チ、チビのまんまではない! ちゃんと成長してるよこれでも!!」
「黙りなさいこのヘタレ! 身長なんて気にして馬鹿じゃないの!? どうせ伸びるもんは伸びるし伸びないもんは伸びないのよ!」
 正座しているアドルバードの前で仁王立ちになって説教を始めるリノルアースに、大人達は全員傍観者になることを決めたようだ。アドルバードも言い返しているようだが、明らかにリノルアースが優勢だった。
「しばらくレイとは離れて良く考えなさい! 今回はプライベートと仕事の切り替えが出来なかったことが敗因! あんたが自分で主従を続けることにしたんだから、そこらへんはちゃんと守りなさいよ!」
 ふん、と言うだけ言ってリノルアースはどかどかと行儀悪く歩きながら部屋から出て行った。
 もはや茫然としてその姿を見送るアドルバードを見て、国王陛下はにっこりと笑って決断する。

「――てことで、しばらくレイはお休みね?」






 家に戻ると、平穏な――どこか物足りない生活が続いた。
 自室で本を読み、母の墓へ行ったり、片づけをしようとしてマーサに怒られたり――この家にいるときは必ず父かルイか――母がいた。使用人はいるものの、家族の単位で一人きりでいると、随分と大きな家に感じられた。大した屋敷でもないというのに。
「お嬢様、お客様ですよ」
 部屋にいたマーサがそうレイを呼びにきた時も、アドルバードとは取り次ぐなと言ってある以上なんの警戒もなく客間へと向かった。


「――久しぶりだな」

 そこにいる人を見て、レイは目を丸くする。
「……ルザード、様? どうなさったのですか」
「城への出入りは禁止されているが、おまえに近づくなとは言われていないからな。こちらに帰っていると聞いて会いにきただけだ」
 シェリスネイアの一件での処罰ではそのとおりだ。そんなこともあったな、とレイは懐かしくなった。
「……まだ、あんな男がいいのか」
 少し躊躇った後に零れた言葉に、レイは思わず苦笑した。あんな男、が指すのは間違いなくアドルバードなのだろう。
「まだも何も。私にはアドルバード様だけですが」
「相変わらずだな」
「ええ」
 レイの答えに顔を顰めるルザードを前に、当本人は平然と微笑む。
「アレのどこがいいんだか」
 不貞腐れたルザードの言葉にレイはなお微笑む。反発し合うわりに――ルザードとアドルバードはどこか似ている。
「どこが、なんて。人を愛するのに明確な理由が必要ですか?」
 ルザードはそう微笑むレイを見つめて――ふぅ、とため息を零した。
「……ずるずる引きずるのももう飽きた」
 低く呟く言葉は、どこか覚悟を決めた人のそれで。
 真っ直ぐにレイを見つめる瞳は、以前のような軽薄は雰囲気はない。根は真面目な人なのだと知っていたから、レイはこれといって驚くこともなかった。
「俺は、おまえが好きだったよ。レイ・バウアー」
 どこか悲しげに、切なげにルザードは呟く。本当に、という小さな呟きはレイの耳に届くことはなかった。
「……知っていましたよ」
 だろうな、とルザードは苦笑する。すっ、と立ち上がりながらレイの傍へと歩み寄る。
「その警戒心のなさ、少し直した方がいいぞ」
 そう言うのが先か否か。
 柔らかい唇が、レイの額を掠める。
「――――――っ!」
 反射的に身を引いたレイを、ルザードは少し悲しげに、どこか悪戯に成功した子供のように笑う。
「これで最後だ。これくらい許されるだろう」
 そう呟く顔は泣きだしそうな子供のようにも見える。レイは咄嗟に何も言えないまま――部屋から出て行くルザードの背中を見つめるだけだった。



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