君と肩を並べるまで

(6)


「どぉこに行くつもりかしら? アドル?」
 ひんやりと背筋が凍りそうな妹の声に、アドルバードは思わず立ち止まる。
「い、いや、ちょっと散歩に……」
 自分でも目が泳いでいるのが分かった。これでは最強の妹に気づかれないわけがない。
「……散歩? へぇ? それにしては随分荷物があるような気がするんだけど?」
「す、少し遠くまで行こうかなぁとですね」
「それは散歩? 行き先はバウアー家かしら?」
 リノルアースにしては直球すぎる質問にアドルバードは硬直した。そしてまずいと思った時にはもう遅い。
「アドル? レイとは距離を置くように言ったわよね? 言うこと聞けない子は嫌いよ?」
 明らかに妹が言う言葉じゃないだろうと思いつつ、アドルバードは抗議すべく振り返ってリノルアースを見下ろす。
「そんなこと言ってももう一か月以上経つぞ!? いいかげん会いたくもなるだろうが!」
 主に俺が。そんな心の声までは声にしない。
 リノルアースはじっと兄の顔を見上げ、そして聞こえるか聞こえないか微妙なくらいの小さな声で呟いた。
「……まだ、たった一か月じゃないの」
 その小さな呟きは確かにアドルバードの耳に届いた。
 切ないような悲しいようなその呟きに、アドルバードは胸が締め付けられるような気持ちになった。

 そうか。……そうだよな。

 おまえは、いったいどれほど会えていないのだろう。どれほど声が聞けていないんだろう。会いたいからと会える距離に、その人はいない。


「――悪い」

 ぎゅ、とリノルアースを抱きよせて呟く。間違いなく今の自分は無神経だった。
 まだ一か月。そう言えるほどに、リノルアースは彼を待ち続けているのだ。今までも、そしてこれからも。
「……アドルが謝ることではないと思うけど」
「――うん、でもごめん」
 背が伸びた自分の腕の中で、リノルアースは不安になるほど華奢だ。優しく髪を撫でてやると、リノルアースは珍しく甘えるようにすり寄ってくる。


 ――愛しい人が傍にいないことがこんなにも苦しいなんて。
 そんなこと、今までまるで知らなかった。







 しばらく休暇をくれと言ったものの。
 レイはどれほどこの状態を続ければいいのか分からなかった。
 もう一か月以上が経っている。自分としては一、二週間で戻るつもりだったのに、一週間経った頃にリノルアースから帰還拒否の手紙が送られてきた。
『アドルのために、しばらくそうしてなさい』
 そう書かれた手紙は、つまりはレイのためでもあるのだろう。
 しかしその『しばらく』がどれほどなのか、困り果てている。
 怒りなんてもうどこかへ行ってしまった。今はむしろただ会いたい。傍にいたい。そんな願望だけが身体の中で悲鳴を上げている。
「……駄目だな、本当に」
 苦笑まじりに呟いて、窓の向こうを見る。
 まるでもう彼の存在が身体の一部みたいだ。無いと苦しい。呼吸も上手く出来ない。声が聞きたい。あの綺麗な赤みがかった金の髪に触れたい。欲は際限なく湧き出て、自分の心を締め付けるように渦巻いている。

 これが、弟への感情なわけありますか。

 これが恋であると、以前のレイならば迷いなく断言することは難しかったかもしれない。だってこれが初めて持つ感情だから。比較するものがないから、間違いなく恋心であると決めつけるには経験が足りなさすぎる。
 でも、今はもう自信を持って言えるだろう。
 例えばこれが主従関係の延長線上の想いなら。これが家族愛の派生であるのなら。
 会えないという、ただそれだけでこんなに胸が苦しくなるわけがないのだ。
 傍にいないという、ただそれだけで、泣きそうになることがあるなんて。――そんなことを、知らなかったのだから。



「お嬢様、お届け物ですよ」
 マーサがノックをしつつ、大きな荷物を抱えて部屋に入ってきた。
「荷物?」
「ええ、リノルアース姫からですね」
 添えられてたメッセージカードの差出人の名を見ながらマーサが答える。
「リノル様が? いったい何を……」
 送られてきた箱は全部で三つほどある。その中の一番大きな箱を開けて、レイは絶句した。
「あらまぁ! なんて素敵なドレスでしょう!!」
 マーサが嬉しそうに頬を赤く染めて歓喜の声を上げる。箱の中にはそれは美しい――深紅のドレスが入っていた。裾には透かしが施されていて、中にある紫色の布が透けるようになっている。透かしの模様は薔薇のようだ。触るだけでも高級品だと分かるそれに、レイは冷や汗を流した。
 今まで、確かにドレスを着る機会は何度もあった。騎士になる前は夜会に出ることもあったし、騎士になってからも時折ドレスを着た。
 しかしレイの好みはシンプルなもので、色合いはいつも緑や青といった地味なものだった。それでもレイの銀髪を充分に際立たせるものだったので、注目の度合いは強かった。赤やピンクなんて色は――レイが苦手とする色だ。嫌いというわけではない。ただ自分には似合わないだろうという意識が強いだけで。
「あら、こちらは靴と、髪飾りですよ! なんて素敵な贈り物でしょうねぇ!」
 そう言ってマーサがとり出した靴も髪飾りも、ドレスに合わせた逸品なのだろう。下手をすればバウアー家の年の収入の三分の一は吹き飛ぶ。
「な、何を考えて――!」
 どうにか冷静さを戻したレイは、添えられていたカードを開く。
 綺麗な字はまさしくリノルアースのものだ。


『王子の婚約者として、これを着て城へ来ること』


 その下にはあと一か月後の日付が記されていた。









「――――ねぇ、お父様」
 リノルアースは微笑みながら父の執務室で紅茶を飲む。
「どうしたんだい、愛娘」
「アドルバードは今一六九cmまで伸びたわ。あと一か月で五cm近く伸びると思う?」
 まるで賭けをするようなリノルアースの声に、国王は笑みを深める。この娘は実に自分に似てしまったなぁ、と嬉しく思う反面少し将来が不安だ。
「成長期だからなぁ、伸びるだろうね」
「そう? そうよね? 良かった。それじゃあ外堀から埋めていかないと」
 不穏なセリフに苦笑しつつ、書類に目を通しながら問う。
「何を企んでいるんだい、愛娘?」
 まるで秘密の作戦を企てているような声に、リノルアースがふふ、と笑う。
「逃げられないようにしてるの」
「何となく予想はついているけど、何がだい?」
 顔をあげてリノルアースを見た父ににっこりと極上の笑みを向けながら、リノルアースは呟く。


「綺麗な綺麗な、月の姫を」


 逃がさないと、もう宣言はすんでいるけれどね。




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