平凡皇女と意地悪な客人

1:そんな男、こっちから願い下げよ

 アヴィランテの珠玉の姫。
 南の帝国、アヴィランテ皇帝のたった一人の子をさし、いつしかそう言うようになった。
 ――甚だ、迷惑な話だ。
 詳しく明かされず、謎に包まれたままの皇帝の寵姫はさぞうつくしいのだろう。その寵姫が生んだ姫はもちろん同じように、いやさらにうつくしいに違いない。だから皇帝陛下は後宮の外に出ることを許さず、婿選びにもたいそう慎重なのだろう。
 本当に、好き勝手に噂されてはたまったものじゃない。

 鏡に映るのは、平凡な顔立ちの一人の女。
 少女というにはいささか抵抗がある十八歳になった。一重の目は切れ長で、目つきが鋭く愛嬌なんてものは欠片もない。瞳の色はくすんだ深緑で、宝玉に例えることも難しいだろう。浅黒い肌はもちろんアヴィランテの人間の特徴で、後宮に閉じこもっていたところで白く透き通るような肌になるわけがない。太りにくい体質で、いくら食べても身体はほっそりとしていて豊満さとは無縁だ。
 たいていの人は大きすぎる期待を胸にやってきて、現実を目の当たりにするとあからさまに落胆する。
 ――そんな男、こっちから願い下げよ。




「お呼びですか、皇帝陛下」
 黒く長い髪を結わずにそのまま背に流し、パリスメイアは後宮のとある一室を訪れた。そこは、長く空室になったままの正妃のための部屋である。現皇帝である父は正妃を持たず、これからも要らぬと公言している。
 それゆえにこの部屋は、皇帝がひとり後宮で休むときにのみ使われている。パリスメイアの母、皇帝の唯一の寵姫が儚くなってからずっと、皇帝は後宮でこの部屋以外の場所を訪ねることがない。
 皇帝は微笑み、愛娘に「おいで」と手招きする。数十年前の内乱を制圧し、この大帝国を治める皇帝はこのときだけはやさしい父の顔だ。
「もうすぐ、また北から客人が来る」
「またですか」
 つい三ヶ月ほど前にも、北の小国に婿入りした皇帝の弟の息子が、アヴィランテにやってきた。思い出して、パリスメイアはむす、と顔を顰める。
「すっかりパリスは北国嫌いになったみたいだ」
 くすくすと笑いながら皇帝は娘の黒髪を撫でた。
「だって、失礼な人だったでしょう! 出会ったその場で『俺は学びにきたのであって、あんたの婿になる気はないから』なんていう男ですよ!」
 やってきた親類の男は、年齢的にもパリスメイアと釣合がとれていた。臣下たちは皇帝が招いたその客人はパリスメイア姫のお相手なのだろうと口々に噂していたのだ。パリスメイア自身ももしかしたらそうなのだろうか、なんて考えていた。
「まぁ彼は初めから婿にはならないだろうと思っていたしね。今度来るのも親類だよ。君の従兄弟だ」
 北方の国に嫁いだ皇帝の妹姫の息子がやってくるらしい。そうですか、とパリスメイアは興味なさげに答えた。実際興味なんて欠片も湧かなかった。
「彼の相手は、君が務めなさい。パリスメイア。滞在中は後宮を出て王宮に用意した部屋で過ごすといい」
「……え、父上?」
 思わずいつも「陛下」と呼ぶ自分なりの線引きを忘れてしまうくらいに、パリスメイアは驚いた。
 後宮を出ろ、という言葉にも、パリスメイアに客人の相手をしろ、という言葉にも。
 にこりと笑ったまま、皇帝は言葉を撤回するつもりはないらしい。
 パリスメイアが後宮から出たことがないという噂は、冗談などではない。王宮のさらに奥、皇帝のみが立ち入ることを許された後宮で生まれ、育った。数年ほど前までは皇帝の側室たちも何人かいたのだが、そのすべてが臣下に降嫁したり実家へと戻ったりでいなくなってしまった。今ではパリスメイアが一人いるのみである。
 長年仕えてくれている侍女と、皇帝と、そして教師が何人か。それがパリスメイアの知るすべてだ。パリスメイアの行動を狭めるということは、彼女を護るということでもある。皇帝がまだ皇子であった頃など、玉座を争い皇子たちは暗殺された毒殺されたなんてことが当たり前の日常だったのだ。
 だから皇帝は、パリスメイアへの護りをこれでもかというほどに固めるし、彼女に関わる人間は最小限に、しかも信頼のおける者のみとした。
 婿候補となるような男と対面することは何度かあったが、二度顔を合わせた男はいない。例外は、それこそ三ヶ月前にやってきた親類の青年のみだ。それすら、パリスメイアからしてみれば、よほど皇帝が信頼している親類のようだ、と思ったものだった。
 血のつながりさえも信頼していない皇帝は、国内にいる自分の腹違いの弟や妹からパリスメイアの相手にどうだ、なんて息子を紹介されても首を縦に振らないのに。
「もちろん条件はいくつかある。必ず彼か、侍女とともに行動すること。護衛もつける。まぁ、君の使う部屋のあたりには関係者以外は立ち入らないように制限をかけるけどね」
「……そこまでする相手なんですか?」
 新たにつける護衛にしたって立ち入りを制限する措置だって、言葉にするほど簡単なことではないだろうに。
「さぁ、どう転ぶかはまだわからないかな」
 皇帝は楽しげに笑い、パリスメイアの髪をまた撫でた。
「かしこまって相手をする必要はない。相手は君の従兄弟だ。いつもどおり、好きにしなさい。気に食わなければ引っぱたいてもいい」
「……父上の意図がわかりません」
 重要な客人なのか、そうでないのかすらわからない。パリスメイアは眉を寄せると、皇帝はくすくすと笑みを零す。
「それじゃあ、宿題だね。パリスメイア。彼がやってきて、君がどんな答えを出すのか楽しみだよ」


 その客人は、父子の会話から二週間後にやってきた。
「ジュード・ロイスタニアです」
 にこりと微笑む青年は、アヴィランテの人間だと言われても違和感がない容姿を持っている。黒い髪に、澄んだ緑色の瞳の、綺麗な顔立ちの青年だった。彼の母は南の姫とも謳われた美姫だというから、母親似なのかもしれない。
「パリスメイアと申します」
 広がる裾を持ち上げて、パリスメイアは礼をとる。

 ――相手をしろと言ったって、何をすればいいんだろう。

 パリスメイアはひっそりと溜息を零し、憂鬱な日々のはじまりに頭を悩ませていた。
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