平凡皇女と意地悪な客人

10:……なぜ、貴方と二人きりなのかしら?

 ――どんな魔法を使ったのだろうか。

 絶対に許可はおりるわけがないと思ったのに、ジュードはあっさりと外出許可をもぎ取ってきた。彼が外へ、と言い出したのが一昨日のことだ。
「急ですが明日、行けることになりました。帝都の外れですから日帰りですけど」
 にっこりと嬉しそうなジュードに、なんだか負けたような気分になってもやもやした。
「……貴方と泊まりで出かけるわけないでしょう」
「馬で行きますから、動きやすい格好でお願いしますね」
 パリスメイアが小さく呟いた嫌味も、ジュードはさらりとかわしてしまう。
「馬で?」
「ええ、王宮の馬車を使ったらお忍び だって言いふらしているようなものでしょう?」
「……まぁ、それはそうね」
 王宮の馬車は何台かあるが、帝国の紋章のついたものもあるし、たとえそれがないものだとしても豪華な造りのものばかりだ。
 動きやすい格好も、馬車なしでの移動も、理由を聞けば納得できる。

 ――けれど納得できないものも、あった。


「……なぜ、貴方と二人きりなのかしら?」
 さすがに護衛がいるだろうと想像していたパリスメイアは、翌日、ジュードがたった一人で待っていることに驚かされた。
「見えない範囲で護衛がついてますよ。ぞろぞろと護衛引き連れていたら貴い身分の人間ですと言ってるようなものでしょう。孤児院では俺が役人で、貴女はたまたま付き添ってる妻ってことになってますから」
 ジュードがさらりととんでもない発言をして、パリスメイアはもちろんそれを聞き流したりしなかった。
「つ、妻? 別に妹でもなんでもいいでしょう?」
「役人の兄がなんで妹を連れて歩くんですか」
「……そ、それはそうかもしれないけれど」
 だからといって、夫婦を演じろと言われても。
「外、見たいんでしょう? 多少の不自由は我慢してください」
 それを言われてしまうと、パリスメイアは押し黙るしかない。出ることは叶わないだろうと思っていた王宮の外へは憧れもあるし、何より孤児院については自分の目で確認したいことが山ほどあった。
 ……しかし、出発前にさらに問題がある。
「……貴方と一緒に、同じ馬に乗るの?」
「それ以外でどうやって行くんです?」
 パリスメイアも多少乗馬の心得はあるが、それも後宮の中だけのことだ。一人で乗って帝都の外れまでというのはいささか無理がある。
 だが、ジュードと一緒にというと、近すぎるのではなかろうか。主に距離が。
「心配しなくても落としたりしませんよ」
「……そういう心配じゃありません」
「……馬の上で女性にどうこうとも考えてませんから、ご心配なく」
 パリスメイアの言う心配も見抜かれていて、それがなんだか腹立たしい。何もかもお見通しですといった余裕の表情を崩せないものか。
 ジュードの手を借りながら先に馬に乗る。ぐんと高くなった視界に、ああ馬に乗るのは久しぶりだと、パリスメイアの心は浮き足立った。ジュードは慣れた様子でパリスメイアを支えるように手綱を握る。
 背中にはジュードの体温。パリスメイアを囲うように伸びる腕。やはりこの密着具合はどう考えても問題だと思う。
「……そんなに緊張すると、馬に伝わりますよ?」
 ジュードの苦笑が頭上から聞こえ、パリスメイアはますます身を固くした。
「わ、わかってます!」
 馬は人をよく見ている。けれど緊張するなと言われても、あちこちから伝わってくる体温とか、吐息とか、気になってしかたない。落ち着けといわれても無理に決まっている。
「……ゆっくり行きますか」
 慣れるまで、とジュードは呟いた。
 王宮を出るとすぐに城下町だ。朝の賑わいも落ち着いて、昼前の今はそれなりに混み合うくらい。店先には露店があり、パリスメイアは興味深そうにきょろきょろとあちこちを見ていた。
 そんな様子が子どものようで、ジュードは笑いを噛み殺していた。きっとここで彼が笑ってしまったら、パリスメイアは拗ねるに違いない。
「あ」
 と、パリスメイアが小さく声をあげたので、ジュードは「どうしました?」と問いかけた。
「べ、別に……なんだか甘い匂いがしたから」
「……ああ、前に買ってきた砂糖菓子ですね。食べます?」
 甘いものの誘惑に、パリスメイアは素直にぐらついているようだった。くすくすと笑いながら、ジュードはするりと馬からおりる。露店はすぐそこにあった。
 パリスメイアが何かを言うよりも早く、ジュードは砂糖菓子を買ってくる。
「どうぞ」
 小さな紙袋に入ったそれを見つめていると、ジュードは馬に跨りまたゆっくりと歩かせ始めた。
「何か他に気になるものは?」
「……べ、別に……それに、孤児院に行くのが遅くなってしまうわ」
「これくらいの寄り道は平気ですよ。滅多にない機会ですし、気になるものはちゃんと見ておいたらいいじゃないですか」
 さすがに名目なしに貴女を連れ出すことはできないでしょうし、とジュードは苦笑した。随分と簡単に許可を得てきたと思ったのだが、もしかしたらそれなりに骨の折れる交渉だったのかもしれない。
「……あれは?」
「守り袋ですね。模様によって意味が違うそうですよ」
 パリスメイアが見つけたものをジュードに問うと、彼は面倒な素振りを一切見せずに答えた。時には馬からおりて買ってくることもあったが、説明だけ聞いてパリスメイアが満足することがほとんどだ。
「賑やかね」
「賑やかになったんですよ、皇帝陛下のお力で」
 現皇帝が即位するまで、アヴィランテは大きな混乱の中にあった。皇子たちの帝位争いだけではない。国の根から腐り始めていたのだ。
「以前は帝都ですら、こんな賑わいはなかったらしいですから。まぁ、これは人づてに聞いた話ですけど」
「それは……貴方の、母上から?」
「これは内乱で陛下と共に戦ったという叔父の話を、母から聞いたんです。母は貴女と同じくほとんど箱入りでしたから、実際に目にする機会はあまりなかったんじゃないかな」
 ジュードがアヴィランテに来てあちこち見て回っているのは、きっと母親に聞かせるためなのかもしれない。アヴィランテはこんなに変わっていた、と。

 いつしか帝都の賑わいの中を抜けて、人の少ない通りになる。大帝国の都といっても広いもので、どこもかしこも賑わっているわけではないのだ。
「もうすぐですよ」
 ジュードの呟きを聞いた頃には、さらさらと流れる川が見えてくる。孤児院の側に流れるルーヌ川だ。
 川面が太陽の日差しを反射してキラキラと輝いていた。


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