平凡皇女と意地悪な客人

12:貴女の身の安全が最優先です!

 パリスメイアが子どもたちと別れてジュードの姿を探していると、すぐに見つかった。
 院長が心なしか青い顔をしていて、対するジュードはとてもにこにこしている。その様子に、パリスメイアは彼が何か言ったんだろうな、と検討をつけた。しかし院長のことはかばう気にもなれないので何も言わなかった。
「あとは二人でぐるりと見て回ろうか」
 パリスメイアに微笑みかけながらジュードが言うと、院長は青い顔が白くなって「ご案内いたします!」と言った。
「けっこうです。院長先生もお忙しいでしょう?」
 含みのある言い方だった。
「外を見て回ったら帰りますよ。本日はありがとうございました」
「……い、いえ、こちらこそわざわざお越しいただきまして」
 もごもごと歯切れの悪い挨拶をして、院長はそそくさと立ち去った。そのでっぷりと太った後ろ姿を見送りながらパリスメイアはため息を吐き出す。
「今頃自分の首をどうやってつなごうか試行錯誤するんでしょうね」
 意味はないのに、と言いたげなジュードを見上げてパリスメイアは問う。
「……貴方、何を言ったの?」
「別に、たいしたことじゃありませんよ。男の子には年長でも十六歳の子がいるのに、女の子の最年長は十二歳だそうで。聞けば良いご縁があって嫁いだのだとか」
 この孤児院は十六歳まではいることができるし、申請すれば十八歳まで延長が可能だ。しかし例外があり、その例外が里親に引き取られるか結婚するか、である。
「名簿にある限り、ここ最近では五人も嫁いでます。孤児というだけで嫁ぎ先を見つけるのは難しいはずなんですけどね」
「……それ、は」
「よくて年寄りの後妻にされているか、最悪の場合は人身売買の組織に……とも考えられますね」
 ジュードの言葉にパリスメイアは顔を顰めた。
「下衆ね」
「現状では憶測ですから、証拠を探る必要がありますがね」
 さきほど院長が青い顔をしていたのは、今の憶測をジュードからやんわりと指摘されたからだろう。牽制しておかなければ、今いる子どもたちが危うい。
「建物の補修もしていないようですし」
 外から見るとすぐわかる程度に、あちこち痛んできている。幼い子どもたちが大勢生活しているのだ、部屋の壁にも穴が空いていたりしていた。
「……建物の修繕費等は請求されていたと思うから」
「修繕費と偽って懐に入れているのかもしれませんね」
 パリスメイアは痛み始めた頭を押さえながら、深く深くため息を吐き出す。報告書は院長だけでなく、王宮から派遣された役人からもあがっている。これほど報告されていない異常があるということは、おそらくその役人は買収されているか悪事に加担しているのだろう。
「……貴方の言うとおりというのは癪だけど、来てみて正解だわ。これ以上放置していたらどうなっていたことか」
「それなら連れ出した甲斐もありますね」
 そろそろ帰りましょうか、とジュードが手を差し出してくる。行きと同じように手を借りて馬に乗る。




 考えることが山ほどあって、来たときのように緊張している暇はなかった。風を感じながら馬を走らせ、すぐそばに流れる川の様子を眺める。きらり、と光ったのは水面だった。
 ――はず、だった。

 とす、と地面に矢が刺さる。

「――っ頭を下げて!」
 ジュードの厳しい声が聞こえたかと思うと、パリスメイアは反射的に頭を下げる。
「そのまま上体を低くしててください」
 突然の出来事に混乱する頭で、パリスメイアは必死に思考を繰り返す。何が。何が起きた? 何が起きている? 矢はその間もどこからか二人を標的にしていた。
「まさか、院長が?」
 パリスメイアが咄嗟に思いついた心当たりを口にするが、ジュードは苦笑した。
「だとしたら、随分と手際がいいですね」
 視界の隅で、隠れていたのであろう護衛たちが姿を表すのが見える。それを確認すると、ジュードは速度を上げた。
 どす、と鈍い音が間近で聞こえて、パリスメイアは顔を上げた。ジュードの顔が痛みに歪んでいる。
「ジュードっ!」
 左腕から赤く血が流れていた。矢がぴんと腕から生えているようだった。
「っ頭を上げないでください。このまま王宮まで突っ切ります」
「貴方、そんな怪我で!」
 血はどんどん溢れている。決して放っておいていい怪我ではない。
「貴女の身の安全が最優先です!」
 パリスメイアの声をねじ伏せるような強い声で、ジュードは速度をあげた。鼻につく血の匂いに、パリスメイアはぼろぼろと泣くしかない。
 二人を狙う矢が止んでもジュードは馬の速度を緩めなかった。
「……手当てを」
 揺れる馬上で、ジュードにしがみつくようにしていたパリスメイアが左腕を見て再度告げるが、ジュードは苦笑いで誤魔化す。痛みからだろう、その額からは汗が流れていた。
「もう追っ手はいないでしょう!? 早く手当てしなければ」
「もう、あと少しで王宮ですから」
 このまま走らせたほうが早いですよ、とジュードは痛みを耐えながら言った。


 正門を通るほうが早いはずなのに、ジュードは後宮に近い小さな通用門を目指した。どこに敵が潜んでいるかわからない。正門から正々堂々と入って安全という確証はないが、その通用門ならジュードは何度と利用し門番とも顔見知りになっている。
「ジュード様!?」
 速さを緩めずに通用門へ駆け込むと、門番はすぐに馬上の人が誰かわかったらしい。驚いたように声をあげる。
 ジュードの顔色は青を通り越して白い。呼吸も荒く、ここまで馬を走らせてきたのが嘘のようだった。
「早く! 早く医師を!」
 パリスメイアは泣きながら叫んだ。門番の手を借りながらジュードを馬から下ろし、パリスメイアもおりる。
 ジュードの服は左腕から流れた血によって真っ赤に染まっていて、矢は刺さったままだった。
 すぐに抜くべきかどうかさえ、パリスメイアには判断できない。
 門番が慌てながらもジュードの服を裂いて、傷口を確認した。矢が刺さったままのそこは、青紫色に肌が変色している。ただの矢傷では、こんなことにならないはずだ。
 パリスメイアは息を呑んだ。
「毒矢ですね」
 門番が唸るように呟いて、矢を引き抜く。すぐに傷口を洗浄し始めた。
毒を盛られたんじゃないかって。そんな風に心配したのは、つい先日のことだ。あのときはただの熱中症だったけれど、今回は違う。
 医師が駆けつけてくるまで、パリスメイアは何もできなかった。


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