平凡皇女と意地悪な客人
14:……ひどい顔ですね
自分の泣き声が響くなかで、パリスメイア、と名前を呼ばれた気がした。
涙を湛えた瞳でジュードを見つめる。今のは、気のせいだろうか。だって彼は今まで一度もパリスメイアを名前で呼んだことなどないから、確信が持てない。
「……ひどい顔ですね」
苦笑するジュードに、パリスメイアは言葉を失った。口をぱくぱくとさせて、咄嗟に言い返そうとするが頭がついてこない。
するりと伸びてきた手が、パリスメイアの頬を流れる涙を拭った。言葉は散々なもののくせに、触れる手は優しい。
「まぁ、でも。貴方が俺のために泣いているんだと思うと、そそられますね?」
「そっ……!?」
にやりと笑うジュードにパリスメイアはカッと頭に血が上りかけるが、ちょうどそこで扉が開いた。
「パリス様? どうかなさいましたか……まぁ、ジュード様! 目が覚めたのですね! すぐに医師を呼んで参ります」
盥を抱えたアイラが、目覚めたジュードに安堵の表情を浮かべ慌てた様子でまた飛び出して行った。言葉を挟む隙もない。
冷静さを取り戻したパリスメイアがジュードを改めて見ると、依然として顔色はよくない上、呼吸もまだ荒い。
――そうだ、まだ熱があるはずだ。
パリスメイアは新しく冷たい水にタオルを浸して絞る。そしてすぐにジュードの額に押しつけた。
「姫?」
「……人をからかう前に寝てなさい」
パリスメイアが怒ったように告げると、ジュードは逆らう気力もないのか素直に大人しくなった。
なんてひねくれ者だろう。
泣いているパリスメイアを泣き止ませるために、わざと普段通りにからかって。本当は、まだ辛いくせに。
馬鹿だ。本当に馬鹿だ。それ以外に言いようがない。
ぎゅ、と拳を握りしめてパリスメイアは俯いた。
こんなに意地悪で、ひねくれ者で、腹立たしい人なのに。
――それなのに。
ジュードの熱は翌日の昼頃には落ち着いて、怪我の具合から二週間程度は大人しくしていてください、と医師に釘を刺されていた。どうやら彼は暇があると衛兵の訓練に混じっていたらしい。それもしばらくはお預けだ。
「……ここ三日ほど、ずっと看てくれてますけど姫は暇なんですか?」
パリスメイアの監視がついているおかげで、ジュードは寝台から出られずにいる。熱が下がってからはもう平気だと動きたがるので、パリスメイアはしっかりと目を光らせていた。
「しばらく授業はおやすみにしましたから。貴方は目を離すとすぐに動き回るようだし、侍女や衛兵は言いくるめられてしまうみたいですから」
事実、ジュードの熱が下がってすぐ、パリスメイアも部屋で休んでいたのだがその日の夜に様子を見に行くと、ジュードの部屋はもぬけの殻になっていた。
「それでは、孤児院の報告は」
「……まだ陛下にも伝えてません。少しずつ報告書をまとめているところです」
正直、そんな暇はなかった。孤児院の帰りであんなことが起き、そこからは本当に瞬く間だった。
「手伝いましょうか?」
ジュードの申し出に、パリスメイアはじろりと睨みつけた。この後に及んでまだ大人しくしているつもりはないらしい。
「この部屋でやればいいじゃないですか。姫も時間を持て余しているようですし」
「……それは、まぁ……」
ジュードも熱はもうすっかり下がっているし、大人しくしていろといっても怪我に障るからだ。そろそろ寝台に縛りつけておかなくとも良いだろう。
「現地を見た人間の意見があるほうが楽でしょう?」
そこまで言われると、パリスメイアも断れなかった。実際に院長と話していたのはほとんどジュードであるわけだし、正直なところ彼の視点からの意見も欲しい。
なにより、あの孤児院の現状を思えばのんびりはしていられない。
「……そうね」
パリスメイアはアイラを呼び、報告書を書くのに必要なものを持ってきてもらった。
ふざけたり茶化したりしていなければ、ジュードは賢い人なのだとパリスメイアは実感した。
あれは、これは、と意見を求めればパリスメイアが想定していた以上のものがかえってくる。打てば響くというのは、会話をいくら続けていても心地よかった。
「……そろそろ休憩にしましょうか」
時計を見ると、とっくに昼時を過ぎていた。昼食を忘れてしまっていた。
「では、昼食をお持ちしてもよろしいですか?」
にっこりと微笑みながらアイラが問うてきたが、目が笑っていなかった。長年の勘から、パリスメイアはアイラを怒らせたと気づく。
「……え、ええ。お願い」
「かしこまりました。お二人とも、仲が良いのはたいへんけっこうですけど、周囲の声にもちゃんと耳を傾けてくださいませ」
何度もお声をかけてもさっぱりでした、とアイラは笑顔のまま、ちくりと刺してくる。
「……ごめんなさい、気をつけます」
「パリス様の気をつけます、は信用できませんけどね。すぐお持ちいたしますので、少々お待ちください」
同じことを何度もやった経験のあるパリスメイアは、こういったところに関しては信用がない。夜に勉強するといって夜更かししてしまったり、読書を切り上げて休むといいつつそのまま没頭してしまったり。
くすくすと笑うジュードをパリスメイアはじとりと睨む。ジュードだって怪我人のくせに安静にしていないのだから、ここで笑われるのは気に食わない。
運ばれてきた昼食を、結局ジュードと二人で食べながらもあれやこれやと議論を繰り広げる。話は孤児院だけでなく福祉の方面へとどんどん広がって、しまいには国政の話にまでなった。話に夢中になっていると、アイラがにっこりと怒り出すので大人しくまた食べ始める。
なんだろう、こんなに楽に息をして接する人は、初めてだ。
「さてと、とりあえずこんなところかしら?」
昼食を終えて、孤児院の報告書をざっくりとまとめる。夕暮れにはまだ早い時間だ。
「俺は少し疲れたので、昼寝でもしますね」
「昼寝って時間ではないけど……そうね」
体調を崩した、というほどではないが、少し顔色が悪いかもしれない。
なので、とジュードは微笑んでパリスメイアの頬をつん、とつつく。
「姫も部屋に戻って寝てください。目の下、隈ができてますよ」
「……大きなお世話よ」
ジュードが倒れてから、パリスメイアはほぼつきっきりで看ていたし、監視していた。部屋に戻ってからは報告書以外にも、教師からは休んでいる間の課題を出されているので片付けなければならなかった。
なにより、落ち着いて眠ることなんて、できなかった。
「じゃあ俺は休みますね。……あ、添い寝でもしてくれますか?」
寝台に横になりながら、ジュードがにやりと笑う。
「するわけないでしょう!」
かあぁ、とパリスメイアは真っ赤になって言い返し、逃げるようにして部屋から出た。そうだ、そういえばパリスメイアは寝台がある部屋で長いこと異性と一緒にいたことになる。もちろんアイラや侍女がいることがほとんどだったが、時には二人きりになることもあった。
自分の部屋に戻り鏡を見ると、平凡な、とりわけうつくしくも愛らしくもない女と目が合う。
その目の下には確かに隈ができていた。ただでさえ切れ長の垂れ目で、目つきがいいほうではないのに、ますます悪くなっている。
看護しているほうがこれでは、無駄な心配をかけてしまう。パリスメイアは苦笑する。
そう、心配したのだろう、彼は。とても、わかりにくいけれど。きっと彼は、わざとわかりにくくしている。
――ああ、どうしよう。
ダメだ。認めたくない。気づきたくない。
パリスメイアはぎゅっと、目を瞑って、その場に蹲った。
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