平凡皇女と意地悪な客人

15:貴方に守ってほしいなんて言ってない!

 数日かかったが報告書の作成も終わり、アイラに提出を任せてその日パリスメイアは書庫に向かった。読み終わった本を戻すついでに、次に読む本を選ぶのだ。
 書庫は最近になってパリスメイアをはじめとして人の出入りが激しくなったからか、埃っぽさが薄れて本独特の匂いに満ちている。
 ――ぱらり、と本をめくって吟味しているうちに本格的に読み始めてしまうのは、パリスメイアの悪い癖だ。止めるアイラが不在なのもあって、そのままどっぷりと読みふける。こうなってしまうと多少のことには気づかなくなる。
「……何を読んでるんですか?」
 パリスメイアが熱心に本を読んでいると、ひょっこりと顔を出したジュードが問いかけてくる。
「あ、貴方ね……。医師から安静にしていろと言われていたのに、どうして出歩いているの?」
 彼が怪我を負ってからまだ一週間だ。安静にしていろと言われた期間の、折り返し地点にきた。毒の影響は残っていないとしても、矢傷の痛みはあるだろうに。呆れたようにパリスメイアが見上げても、ジュードは肩を竦めるばかりだ。
「いいかげん、部屋でじっとしているのは性に合わないんです。姫が念を押してくださったおかげで陛下の手伝いをしようにも追い出されますし」
「当たり前でしょう! 部屋で大人しくしてろと言っているの!」
 安静にしていろと言われている人間が、執務の手伝いをしてどうする。しかも皇帝陛下の手伝いとなると、それなりに多忙だ。それでは治るはずのものも治らないではないか。
 けれども彼は怪我なんてなかったかのように、以前と変わらぬ日常を送ろうとしている。
「利き腕じゃないので平気ですよ。あんまりのんびりしていると身体がなまります」
「別に衛兵でも騎士でもないのだから、少し身体がなまるくらいいいじゃないの……」
 きちんと治ってから、また鍛えればいい。矢の傷も毒ものちのち身体に支障が出ることはないとのことだ。完治してからいくらでもまた訓練に精を出せばいい。
「でもそれでは、何かあったときに貴女を守れないでしょう?」
 本気なのか冗談なのかわからない声音で、彼はさらりと告げる。途端にパリスメイアの心臓が悲鳴をあげた。
「あ、貴方に守ってほしいなんて言ってない!」
 むしろ怪我をしている今の状態のジュードに、守ってもらおうなんて思えるはずがない。今でもジュードの腕から流れる血の色も熱さも、簡単に思い出せるのに。
「……そうですね」
 ジュードが苦笑いをこぼしてパリスメイアを見下ろす。
 あまりにもあっさりと認めるので、また何か甘い言葉でも吐くのではと警戒していたパリスメイアは虚をつかれた。
「……だいたい、貴方には衛兵がついていたはずだけど? 彼らの目を抜けてどうやってここまで来たのよ」
 パリスメイアとジュードを襲った人間は捕まっていない。正確には実行犯は捕らえたのだが、すぐに自害したのだ。そこまで口を割る気がないという覚悟があるということは、少なからず地位の高い人間が裏にいるはずだ――というのが皇帝やパリスメイアたちの見解である。
「これでも王宮の地理には詳しいんですよ? いろいろと歩き回ったので」
 にっこりと意味ありげにジュードが笑う。
「それに、今回に限っては俺ではなくやはり姫を狙ったものでしょうから。……今後はわかりませんけど」
「それなら貴方が危険なのにはかわりないじゃないの」
 重要なのは過去ではなくこれからの安全だ。パリスメイアが睨みつけて抗議するが、ジュードは素知らぬ顔をしている。

「……そうだね。もう少しおとなしくしていてくれるほうがいいかな」

 突如二人の会話に割って入る声。
 パリスメイアは聞きなれたその声に驚き声をあげた。
「父上!」
「君たち、こんな狭いところで仲良くおしゃべりしなくてもいいんじゃない? ああでもこのくらいの狭さのほうが警戒はしやすいかな」
「ええ、出入り口はひとつですし。さすがに本の隙間に潜めるのは猫くらいですから」
「面白いことを言う。では本の隙間以外から入りこんだ君は鼠かな」
 まるで牽制でもするかのように微笑み合う皇帝とジュードを見比べながらパリスメイアは首を傾げた。
「……報告書は読ませてもらったよ」
 にこり、と皇帝は微笑んだ。その顔からどうやら及第点はもらえたらしい、とパリスメイアはほっとする。父としてパリスメイアには甘い人だけれど、国政が絡めば誰よりも厳しい師となるのだ。
「既に追跡調査をさせている。君たちはくれぐれも自分たちだけで動かないように。今の君たちは美味しい獲物だからね」
「俺もですか?」
 きょとんとした顔で今回一番の怪我人が声を漏らす。まるで自分も追跡に参加しようと思っていたかのような口ぶりだった。パリスメイアは呆れながら「……貴方ね」と呟いた。
「今回の怪我で少しは懲りないの?」
「多少の無茶は自覚してますけど、勝算はありましたし」
 それに、とジュードは呟く。
「俺が目障りな方々も増えているんじゃないですか? 『体調を崩した客人を姫は付きっ切りで看病したらしい』という噂はもう広まっているんでしょう?」
 ジュードは皇帝を見つめながら問う。苦笑する皇帝の顔を見て、それは肯定だとパリスメイアは分かった。
 ……自分の行動が、ジュードの身をさらに危険に晒してしまったということだろうか。
「なら俺は良い餌になると思いますけど。まだ万全じゃありませんが、囮に使っていただいてもかまいませんよ?」
「……君を危ない目に遭わせると妹に叱られるのは私なんだよねぇ」
 困った風に皇帝は告げる。それはつまり、使えるものなら使いたいという意味にもとれた。
 近頃のパリスメイアの婿選びで、アヴィランテの中でも不満を持つ者、野心を持つ者は炙り出されてきている。こうして散々焦らし続けているのも、そういう意図があるのだろう。
「怒りませんよ、このくらいじゃ」
 けろりとジュードが答えると、皇帝も迷いを見せる。もとより信頼できる駒は多くなく、皇帝の中でジュードはかなり信頼できる側の人間だ。
 ――でも、それは。
「ちょ、何を言っているの! 貴方はアヴィラと関係ないじゃない、そこまでする理由なんて」
「姫には分からなくても、ちゃんと理由はありますよ」
 分からなくても、という言葉に有無を言わせぬ力があり、パリスメイアは黙り込んだ。理由を教えろと言ったところで、ジュードは話してくれないだろう。彼はパリスメイアに手の内を見せてはくれない。
「……父親の目の前で口説く度胸は認めるけど、話を戻そうか」
 呆れた肯定の声が部屋に虚しく響く。
「娘の情操教育はしっかりしてほしいですね」
 はぁ、とジュードはため息を零すが、どうせいつもの嫌味だとパリスメイアは気にも留めなかった。
「――君に散々協力してもらっているけれど、やはり大人しくしていてもらうよ」
 怪我人に無理をさせるほど切羽詰まった状態でもないしね、という皇帝の出した結論に、パリスメイアはほっと胸を撫で下ろした。
 代わりに、と皇帝が呟く。

「娘のこと、頼むね」

 意味ありげな笑みを浮かべ、ジュードの耳元で皇帝はそっと呟く。それはパリスメイアの耳には届かなかった。


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