平凡皇女と意地悪な客人

18:君の婚約を発表するつもりだ


 赤い花で作られた首飾りは、浅い器に水をはり、その中に活けられている。ぼんやりとその花を見つめながら、パリスメイアはひとつため息を吐き出した。
 ジュードとはあの場ですぐに別れた。気づきたくなくてずっと目を背けていた感情を目の当たりにして、彼の前に平然と立っていられるわけがない。
 誰かを好きになんてなりたくなかった。だって、それはつまり、その人を不幸にすることだと、パリスメイアは思っているからだ。皇帝の伴侶は不幸になる。皇帝に、守り切る力がなければ。パリスメイアは皇帝になるわけではないけれど、同じようなものだ。パリスメイアの伴侶となるということはつまり、このアヴィランテの皇帝になるということだから。
 自分自信に不幸が降り注ぐのはかまわない。生まれ持った立場だ。覚悟はとうの昔にしている。
けれど。
「……好きになった人を不幸にしたいとは、思えるわけないわね」
 苦笑して、パリスメイアは小さく呟く。誰もいない自分の部屋だからこそ、声に出せた。アイラに聞かれでもしたら瞬く間に本人の耳にまで届いてしまいそうで怖い。いや、それよりも皇帝に報告されてパリスメイアが気づかぬうちに婚約、なんてありえないわけでもないからこそ恐ろしい話だ。
 花は鮮やかな赤を保ったまま、まだ萎れずに誇らしげに咲いている。野草なので、もとより生命力は強いのだ。
 もうすぐ、建国祭がある。きっと、ジュードは祭りが終わるまでは滞在するのだろう。アヴィランテの最大の祭りともいえる建国祭を見ないなんてありえない。

 ――それなら、まだしばらくは、一緒にいられる。




 顔に出る性格だということはわかっている。だから、パリスメイアは極力ジュードに会わないように彼を避け始めた。
 たとえ彼が皇帝となろうとアヴィランテへやってきたのだとしても、パリスメイアは彼を選ばない。
好きになった人に茨の道の歩ませるつもりはない。
 皇帝の執務室の前には、屈強な衛兵が二人立っている。パリスメイアが声をかけるまでもなく、にこりと微笑み部屋の中の皇帝に声をかけた。
「姫がいらっしゃいました」
「入って」
 短い返事とともに、扉が開かれる。執務室には雑用をしているのだろうか、ジュードの姿があって、パリスメイアは一瞬だけ息を呑んだ。
「陛下、お呼びとあり参りました。……何か御用ですか?」
 皇帝がパリスメイアを呼びつけるというのはあまりない。
「ああ、パリスにも言っておこうと思ってね。建国祭の宴で、君の婚約を発表するつもりだ」
「……はい?」
 書類から顔を上げた皇帝は、にこりと微笑む。
「相手はそこのジュード・ロイスタニア」
「――ちょ、父上、急にどういうことですか!」
 確かに皇帝の決めた相手であるなら、パリスメイアは異論など唱えない。しかしこれは、あまりにも急すぎる。まさか、この父にはパリスメイアの心の内までお見通しなのだろうか、と不安になった。
「……ということにして、鬱陶しい虫を炙り出したいんだけど」
 どうかな、と皇帝はわずかに首を傾げてパリスメイアに問う。
「もとより建国祭の賑わいに乗じて何か企んでいるようだからね。ここで騒ぎ立ててもらって、一掃してしまいたいんだ」
「……そういうことはきちんと順序立てて説明してください」
 ――はぁ、と脱力したパリスメイアは強く言い返すだけの気力はなかった。つまりは、婚約するという話で盛り上げて、敵の尻尾を捕まえたいのだ。つまりは、あったとしても形だけの婚約。いや、婚約するという噂だけでも十分なら、ただの噂に終わる。
「私は、別にかまいません、けど」
 言葉が途切れ途切れになったのは、部屋にいるジュードがまったく口を挟んでこないからだ。ちらりと ジュードの様子を見てみるが、彼は書類の整理を続けている。
「彼の了承はもらってるよ」
 パリスメイアの懸念に気づいたのか、皇帝が代わって答える。
「……それならば、どうぞお好きなように。今だって、似たような噂は山ほど流れているようですから」
 北からの客人と姫が親しくしている、に始まった噂は、この間パリスメイアがジュードを看護したことでさらに尾ひれがついて一人歩きしている。
「話はそれだけだよ。あちこちの動きが活発になっているから気をつけなさい」
「はい、陛下」
 パリスメイアが一礼し退室しようとすると、皇帝はにっこりとジュードに声をかけた。
「パリスメイアを送るついでに、君も少し休憩をとっていいよ。二人で仲良くお茶でもすればいい」
「お、送るって……アイラも衛兵もいますから大丈夫です!」
 パリスメイアが慌てて振り返って遠慮したが、皇帝は笑顔ひとつでそれをねじ伏せた。気をつけろと言っているだろう?と無言で目が語っている。
「……仕事が中途半端になりますから、送るだけになりますが」
「別にその程度はあとからでいいけど?」
 暗にお茶を避けようとしたジュードにも、皇帝は容赦なく畳み掛ける。
「婚約するのではと騒ぎ立ててもらわないといけないんだから、二人とも仲良くしなさい?」
 パリスメイアとジュードの間の微妙な空気を、しっかり皇帝にはお見通しだったらしい。ジュードがひく、と頬を引き攣らせたので、自分の仮面を被った態度に自信があったのかもしれない。
 ……けれど、よくよく見ていると分かりやすいところもある。
 ジュードと一緒にいるときは、いつも口うるさいアイラは一歩どころか数歩下がって静かについてくるだけだ。少し気まずいこの状況だと、頼むから側にいてくれとお願いしたくなる。

「……腕、痛みませんか」

 しばらく歩いたところで、ぽつりとジュードが口を開いた。
「う、うで?」
 なんのことだとパリスメイアは首を傾げ、ジュードを見上げるが、彼は前を向いたままパリスメイアを見ない。彼の横顔というのをまじまじと観察するのは初めてかもしれない、とパリスメイアは思った。
「先日、掴んだところです。加減していたつもりですけど」
 ジュードが説明して、ようやく分かる。庭で掴まれた腕のことを言っているのか、と。
「平気よ。……痛くなかったもの」
「なら、よかった」
 ほっとしたように呟くジュードを、パリスメイアはじっと見上げた。
「……貴方、いつまでいるの?」
 それは、少し前にも同じことを問うた。ジュードはようやくパリスメイアを見下ろして、微笑んだ。
「姫が望むなら、いつまでも?」
 そのセリフに、ならばずっと、と今は乞うてしまいそうになる自分が、嫌で仕方がなかった。
   

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