平凡皇女と意地悪な客人

19:――これは、反逆だ。

 近ごろ、パリスメイア付きの侍女であるアイラは上機嫌だ。
「すっかり噂になってますよ、パリス様とジュード様のこと!」
 にこにこと花を活けながら、アイラは告げた。浅い器には、新しい花冠がある。パリスメイアはその出処を問おうとしたけれど、結局聞けないまま萎れた頃に新しい花冠がやってくる。
「……陛下は、思わせぶりな言い方されるから」
 苦笑してパリスメイアは答えた。策士な父――皇帝もちろんはっきりと婚約を明言したわけではない。
 『最近、娘の周囲が騒がしいようだね』と様々な意味にもとれる発言のあとで、『建国祭では、ひとつ皆に知らせたいことができた』と、ただそれだけ言っただけなのに、前後の発言からそれはパリスメイア姫の婚約の話だろう、と皆が推測し、口々に噂となった。
 だが噂になってもらわねば困る。それを餌にして虫を炙り出すのだから。婚約が発表されるのでは、婚約が決まったのでは、と思わせなければならない。実際には全てお互いが承知の上の偽りなのだが。
 本当の、本物の恋を。そんなことを言っていたのに、皮肉なものだなとパリスメイアは苦笑する。
 長椅子にゆったりと腰掛けながら、パリスメイアはぱらりと書籍のページを繰った。
「パリス様、建国祭の宴でお召しになる衣装ですけれど、どんなものにいたしましょうか?」
 衣装については、いつもならばアイラに任せている。この優秀な侍女は、本人よりも似合う衣装を熟知している。けれどそうとわかっていてもアイラはパリスメイアの意見を求めるのだ。
 十人並みの顔立ちのパリスメイア着飾ったところで、程度は知れてる。だからパリスメイアは着飾るのがあまり好きではない。だって、滑稽ではないか。
 ――けれど。
 切れ長の目を伏せて、パリスメイアはたったひとつの要望を告げる。

「……赤を」



 建国祭は、アヴィランテで最も華やぐ祭りだ。
 王宮の外では、庶民たちが祭りの賑わいを楽しんでいる。商人はここぞとばかりに稼ごうと必死で、出店の前を通り過ぎる人間に声をかけては商品を勧めていた。
 しかし、王宮の中にはじっとりとした緊張感があった。
「……向こうの衣装なのね」
 準備を終えたパリスメイアのもとにやってきたジュードを見て、彼女はぽつりと呟いた。北国の、こういう衣装を着ているのは、挨拶されたとき以来だ。それからはずっと、ジュードはアヴィランテの衣装を着ていたから。
「この方が動きやすいので」
 ゆったりとした南国の衣装とは違い、すらりとした細身のデザインは、背の高い彼によく似合っている。
「……赤に、したんですね」
 ジュードがパリスメイアを見下ろして、少し驚いたように呟いた。そうか自分が彼の衣装について何かを言えばこういうことになるのか、とパリスメイアは熱くなった頬を嫌でも意識してしまった。
「どんな衣装を着ようが私の自由でしょう」
「ええ、そうですね。……似合ってます、とても」
 飾り立てないジュードの言葉に、パリスメイアは息を呑んだ。ジュードの顔を見上げることができない。
 宴は既に始まっている。今頃は皇帝が挨拶を終えた頃だろう。盛り上がったときに二人で仲良く出ておいで、と有無を言わせぬ笑顔で皇帝から指示されているので、ジュードもパリスメイアも控えの間にいる。
 パリスメイアが不穏な空気を感じ取っているほどだから、やはり何かは起きるだろう。もしかすると、パリスメイアたちが宴に行く前に決着してしまうかもしれないが。
「……姫」
 緊張感はあるが、わりと落ち着いているパリスメイアに、ジュードが声を低くして呼びかけた。ぴり、と空気を裂くような声だ。
「な、に」
「……ここ。こっちの棚をずらせば隠し通路がありますから」
「隠し、通路? 貴方なんでそんなこと知って」
「早く!」
 半ば強引に押し込まれ、パリスメイアは言葉を呑んだ。人ひとりが入ってわずかに余裕がある程度の空間だ。二人で入れば自然と体を密着させることになる。体温も香りも、何もかもが近い。
 心臓が壊れる、と動揺する暇はなかった。バンッと乱暴に扉を開ける音がすると、数人がどたどたと部屋になだれ込んでくる音がする。
「――いないぞ!」
「馬鹿な、この部屋にいると……」
 男たちの声だった。誰を探しているかなんて明白で、パリスメイアはさぁっと青ざめた。
 皇女の婚約を良しとしない者とはつまり、皇帝の座を狙う者だ。しかしこれはどういうことだ。まるで、命を狙っているようではないか。
「あのような皇帝はもういらん。正しきサジム様の意思を継ぐ者がアヴィランテの皇帝とならなければ」
 現皇帝の血に連なる者はいらぬ。男たちは声高にそう叫びながら、どこかに隠れていないかと部屋の中を荒らしているようだった。

 ――これは、反逆だ。

 皇帝の言っていた、虫を炙り出すとは――これほどのことを狙っていたのだろうか。
「……姫、こっちに」
 低い声が狭い通路に反響した。抱きしめるような状態から解放されて、パリスメイアはほっとしたような少し心細いような気分になる。
 このことをあらかじめ予見していたのだろうか、隠し通路のなかにランプがあった。
「……貴方、どうしてこんな場所のこと知ってるの」
「言ったでしょう? 王宮の地理には詳しいって」
 薄暗闇のなか、ジュードが微笑みながら告げて、パリスメイアは言葉に詰まる。詳しいと言っても、まさか隠し通路まで熟知しているとは思わないだろう。
「母から教えてもらっておいたんですよ。隠し通路も含めた地理をね。王宮は知らないところもあったので、自分で歩いて確認しましたけど、後宮なら地図は頭に入ってます」
 後宮で育った母はそちらの方が多く知っていましたし、とジュードは笑った。王宮の地理を覚えていた彼の母もまたすごいが――それを平然と暗記しているジュードもまた、尋常じゃない記憶力だ。
「……使うことになると、思っていたの?」
 隠し通路なんて、皇族の身に危険が及んだとき、または皇族を守る影のような人々が使う場所だ。それを覚えているということは、何かしら危険なことが起きると考えていたということだろう。
「可能性はあるな、と思って。後宮あたりは小さい頃にふざけて教えてもらっただけですよ」
 薄暗い通路の中は、少し黴臭いが埃っぽさはない。きっと、ひっそりと護衛の人々が使っているのだろう。パリスメイアや皇帝を守るために。
 階段があったり坂道だったりで、パリスメイアには王宮のどのあたりを歩いているのかもわからないが、ジュードは迷いなく進んでいた。
 転ばないよう、はぐれないようにとパリスメイアの手を引いて。


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