平凡皇女と意地悪な客人

2:恋をしましょう、姫

 にこりと微笑む青年を見て、パリスメイアは早くもうまくやっていけない気がしていた。
 にこやかで、爽やかな好青年……のように見えるようにしているとしか思えないのだ。パリスメイアは多くの人と接する機会があるわけではないが、これは確信できる。

 ――この人、策士だわ。

 なぜそうも確信するか、というと、似ているのだ。パリスメイアが知るなかで、一番策士で腹黒い、父に。
 父上に似ているという点だけで、心の底からは信用できない。
 父はいいのだ、策士で腹黒いとしても、それはパリスメイア以外に見せる顔なのだから。そうでない一面を、パリスメイアは知っているから。
 けれどこの男は違う。
「……長旅でお疲れでしょう、本日はごゆるりとおくつろぎくださいな。何かあれば侍女が伺います」
 パリスメイアは愛想よく微笑みながらも早々に部屋に戻ろうと心に決める。陛下にどんな目論見があるのか知らないけれど、この人と仲良くしようとは思えない。だって、うさん臭すぎる。
「……もう少し、姫とお話しできると嬉しいのですが?」
 ジュードがそう微笑みかけると、傍に控えている侍女たちは頬を赤く染める。パリスメイアはその様子を横目で見ながら溜息を吐いた。
「こんな箱入りと話しても面白くはないと思います」
「それを決めるのは貴女ではなく俺ですね」
 暗にお断りしているのに、それを理解したうえでねじ伏せる切り返しも腹立たしい。笑顔を崩さないままのジュードをパリスメイアはじろりと睨んだ。
 暇ではないと断ることができればいいのに、残念なことに今日の予定は何もない。ジュードがやってくるということで、皇帝陛下はパリスメイアの予定をすべて真っ白にしてしまったのだ。



 ――それではお茶でも、とパリスメイアがしかたなく提案すると、侍女たちに「それではぜひ西の東屋で!」と押し切られ移動する破目になった。王宮の西にある東屋は池の中央に作られているもので、昼間の暑さも和らぐ場所だ。
 ふ、とジュードが歩み寄ると、不意をつかれたパリスメイアの肩がびくりと震えた。しまった、と思うけれど目の前の男は気づいたのだろう、くすりと笑みを零した。
「慣れてないんですね」
「……なんのことかしら?」
 にこりと虚勢を張りつつ、パリスメイアはジュードから一歩分の距離を取った。ああめんどくさい、あのまま客間でお茶にしておけばよかった。
「男に」
 本当に、この男は誤魔化そうとするパリスメイアを嬉々として暴き立てる。
「……貴方だってご存知なんじゃないの? 私は箱入りなんです。男性なんて父か教師くらいしか接しませんし……」
 こんな近くに、同じ年頃の男性がいるということが未知の体験だ。アヴィランテには北国で開かれるような華やかな夜会などはないし、パリスメイアはずっと後宮にいる。後宮に入ることのできる男性は皇帝のみで、例外はパリスメイアに教育を施すための教師だけ。その教師ですら立ち入ることのできる部屋は限られているし、どの人も年配だ。
「教師というと、何を学んでいらっしゃるんです?」
「何をと言われても――政治、経済、経営、帝王学……いろいろと」
「――貴女が、帝王学を?」
 言ってからしまった、と思う。帝位を継げぬ女がなぜと罵られるだろうかとパリスメイアは俯いた。
 無知は罪だ。それが王に連なる人間なら、なおさら。父はそう言ってパリスメイアにさまざまなことを学ばせた。パリスメイアはそれに感謝している。
「……おかしいと笑いますか」
 パリスメイアが低く呟くと、ジュードは微笑んだ。
「いいえ? なぜおかしいなどと思う必要が?」
 ……変なひと。
 パリスメイアが政治や帝王学を、学ぶと聞いて眉を顰める重臣は少なくない。けれど目の前のこの男は、嫌な顔ひとつしない。
「北国の方はみんな貴方みたいなのかしら。変わっているわ」
 パリスメイアの知る常識からはかけ離れている。
「アヴィラより女性が自由なだけですよ。ここは、女性には生きにくい国ですからね」
 さらりと言ってのけるその事実が、パリスメイアには苦しい。そう、アヴィランテは長い歴史を持つがゆえに古臭い因習が残る。女性とは男の前に出ないもの、むやみに人前に出ず、家の奥へ控えている。それは王宮でも同じだ。
「……そうね、貴方の国なら姫が王となることもあるんでしょうね」
 アヴィランテではどう転がってもありえない話だ。パリスメイアが苦笑すると、ジュードは「そうですね」と小さく答えた。
「可能性はゼロではありません。簡単な話では、ないでしょうけど」
「けど、今の私のようにわずらわしいことないのでしょう? 羨ましいわ」
 パリスメイアは帝位を継げない。しかし皇帝の血を継ぐの子はパリスメイアだけだ。ゆえに、彼女の伴侶が皇帝となる。それが、約束されている。
 皇帝の座を欲した男が幾人も名乗りをあげたが、皇帝陛下によってそのほとんどの人間がパリスメイアと対面することなくなかったものになっている。幾人がかパリスメイアと話す機会を得たが、それも結局まとまることはなかった。
「婿探しはそんなに面倒ですか?」
 くすりと隣を歩くジュードが問いかけてくる。
 面倒――こんなことに振り回されるのは、確かに面倒だけど。
「私が決めることではないけど、陛下の手を煩わせてしまうのは心苦しい……かしら。お忙しい方なのに」
 皇帝の仕事は腐るほどあるというのに、パリスメイアのために動くことを厭わない父は、果たして休む時間があるのだろうか。きっと、一度は蹴った男たちだって何度も何度も名乗りをあげてきているに違いないのに。たとえそれが羽虫の羽音であっても、わずらわしいはずだ。
「……貴女が選ぶつもりはないと?」
 ジュードが低く、ささやくように問う。その瞳がわずかに驚きの色を見せていて、パリスメイアは苦笑した。
 何を驚くというのだろう。
「このアヴィランテの皇帝となる人よ? 私が選んで決めていいようなものじゃないわ」
 大陸の南の大半を国土とするこのアヴィランテ帝国の、絶対的な皇帝になる男だ。パリスメイアの一存で決められるような些末なことではない。
「貴方が添い遂げる相手なのに?」
「生憎、恋だの愛だの夢見るほど可愛らしい性格をしていないの。陛下が選んだ、確かな人であるなら私はかまわない」
 長らく歩いて、ようやく東屋に辿りついた。会話に困るかと思ったが、意外と話し込んでいたんだなとパリスメイアは気づかされる。ジュードの会話の運び方がうまいから、途切れることがなかった。
 傍にいる侍女へ「お茶の準備を」と命じるパリスメイアを見つめて、ジュードは溜息を吐いた。
「……なるほど、これでは陛下が苦労なさるわけだ」
 ジュードが苦笑し、するりと手を伸ばしてパリスメイアの髪に触れる。身近に迫る異性に、パリスメイアの中の本能が危険を訴えた。
「な、にを」
 声がかすれる。ジュードはふわりとまるで花のように微笑んだ。その艶やかな微笑みは、パリスメイアを縛り付けるのに十分なだけの色香を漂わせている。

「恋をしましょう、姫。本当の、本物の恋を」

 それは、耳を疑う誘い。
 恋? とパリスメイアは失笑する。
「……私と、貴方が? なんの冗談?」
 結局はこの男も皇帝の座が欲しいのだろうか。そうでなければ、こんな、どこにでもいるありふれた顔の女なんて口説くはずがない。
「あなたなら恋の相手なんて選び放題でしょう?」
 北国ではどうか知らないが、少なくともジュードの容姿はアヴィランテの女性を惹きつけるだけの十分な魅力がある。
「それでも、貴女に言っているんです」
 その声は、真剣そうにも聞こえるけれど。
 どこからどこまでが仮面をつけた演技なのだろう。こういう男がそうたやすく本音を明かさないということくらい、パリスメイアにも分かる。
「――ふざけないで。私は、私に魅力がないってことくらいわかっているわ」
 今までにないほどの近い距離でこちらを覗き込む澄んだ緑の瞳を睨み返す。こっちは、その瞳の色すら貴方に劣るっていうのに。そんな嫉妬じみた感情もふつふつと湧き上がってきた。
「いいえ、わかってないですよ。……全然、わかってない」
 パリスメイアの黒髪を持ち上げて、ジュードはその毛先に口づける。意地悪そうに見上げてくる彼の目に、パリスメイアは息を呑んだ。

「――覚悟してくださいね?」

 甘く告げられた宣戦布告に、パリスメイアの心臓がどくんと一度、強く跳ねた。
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