平凡皇女と意地悪な客人

4:……慣れているんですね

 午後になるとパリスメイアは授業を受けているので、ジュードが何をしているかは知らない。しかし時折お土産です、とあの砂糖菓子を渡してくるので、王宮を出て街に行っているらしいということはわかる。
 授業が早めに終わり、パリスメイアは皇帝陛下の執務室へと足を運んだ。ジュードと会うばかりで最近は父もパリスメイアを訪ねない。顔を見たいというのと、聞きたいことがあったのだ。

「陛下? パリスメイアです、よろしいでしょうか?」
「入りなさい」
 いつもよりわずかに冷えた父の声。王宮では皇帝の顔をしている。 がちゃりと扉が内側から開いた。そして執務室の机で微笑む父と、扉を開けた青年の姿に目を丸くする。
「あ、貴方どうして」
 扉を開けたのはジュードだったのだ。
「陛下のお手伝いですよ、ほぼ雑用ですけど」
「いやいやそれなりに役立っているよ?」
 シェリスネイアは君への教育に妥協はしなかったらしい、と皇帝なりの最大限の賛美を送る。
 ああ、午後はたいていここにいたのか、と パリスメイアは思う。滞在の目的もわからないし、国の使いとしてやってきたわけでもない彼は何をしているかさっぱりわからなかった。
「少し休憩にしようか、パリスも一緒にお茶にしよう」
 ことりとペンを置き、皇帝が女官へ命じる。
 すぐに運び込まれた花茶と菓子に、皇帝が目を細めた。パリスメイアはカップを持ち上げて匂いを嗅ぐと、一口も飲まずに置いた。
「――飲まないほうが良いですよ」
 ちょうどカップに手を伸ばしていたジュードに、パリスメイアは告げる。皇帝陛下は冷たい笑みを浮かべて近衛兵に命じた。
「さきほどの女官を捕らえろ。毒だ」
「はっ」
 慣れているのだろうか、近衛兵は顔色ひとつ変えずに一人だけが部屋を出て行く。
「……陛下、毒を出されるとわかっていて試しましたね」
 本当に、意地の悪い人だ。
「匂いでわかるようになったのだから、パリスも慣れたね。君と私が揃っていて、しかも得体の知れない客人が同席している。罪をなすりつけるにはちょうどいいし、仕掛けてくるかなとは思ったよ」
 ジュードがはぁ、と曖昧に相槌を打つ。動揺していないだけマシだ。平和な国で育ったわりには肝が据わっている。
「……まだこのようなことがあるんですか」
 パリスメイアの周辺では何度かあったが、まさか皇帝にまで毒を盛られるようなことが起きているとは思わなかった。
「君が心配するほどではないよ。まぁ、そうだね、また最近騒々しいかな」
 それは、後継者問題のせいですか。パリスメイアは問いかけて、問いかけたまま口を閉ざした。聞かずともわかりきったことだ。
 陛下の年若い異母弟はその大半が幼いうちに亡くなっている。生き残った幾人かは婿へ行って、王宮には残っていない。そして異母妹は国内の貴族へ嫁いだものも多い。国内に残っているその数人にはそれなりの野心もあるだろう。
 革新的な皇帝を廃し、自分がその座に。または後を継げぬ姫よりも、自分の子どもに。そう考える者だって少なくない。それでも最初は穏便にパリスメイアとの婚姻で、と考えていたはずだ。
「心配しなくても、俺がおそばにいる限りはお守りしますよ。さすがに毒には気づけませんが、剣は防げますから」
 顔色の悪いパリスメイアを案じたのだろうか、ジュードがそう告げた。
「……お強いようには見えませんけど」
「それは心外ですね。剣も体術も得意ですよ?」
 二人のやりとりにくすくすと笑いながら陛下は見守る。ついさきほど毒殺されそうになったというのに呑気なものだ。
 改めて淹れられた安全なお茶を飲み終えると、パリスメイアは「では」と立ち上がる。
「パリスを部屋まで送ってくれるかな。さっきのことがあるし、心配だからね」
 するとすかさず皇帝がジュードに頼んだので、パリスメイアは「でも」と戸惑う。部屋までの少しの距離くらいで過保護すぎる。むしろ皇帝のもとに居てくれるほうがいいのだが。
「ここには近衛兵もいる。パリスが心配することじゃないよ」
 パリスメイアの心配を察したのだろう、皇帝はやわく微笑んで告げた。
「では、すぐ戻ります。……姫、行きましょう?」
 まだ躊躇うパリスメイアに、ジュードが手を差し出す。大きなその手のひらに、パリスメイアはきょとんと目を丸くした。
「……姫?」
「え、あ……ええ」
 おずおずとパリスメイアが手を重ねる。小さなパリスメイアの手をすっぽりと包めるほどにたくましい。剣や体術が得意だという話も、今なら信じられそうなくらいに。

「……慣れているんですね」
 パリスメイアの部屋へと向かいながら、ジュードがぽつりと呟いた。なんの話だとジュードを見ると、彼は苦笑する。
「毒に」
 小さな小さな、その呟きに、パリスメイアは「ああ」と答えた。それはとても落ち着いた声だった。
「慣らされているんです。……こんな立場ですから」
 アヴィランテでは当然のことだった。後宮の奥底で大事に大事に守られているパリスメイアでさえ、毒を盛られたことなど片手では数え切れない。今回は随分と久しぶりだったが、後宮に側室が幾人もいた頃は気が抜けなかった。後宮に、パリスメイアに仕える以外の侍女が多くいたがゆえに、どうしても隙が生まれる。
「十歳ほどの頃から、少しずつ。今では弱い毒薬程度なら死にません。たった一人の皇帝の子ですから、側室の方々からすれば目障りでもあったでしょうし」
「……そう、ですか。そうですね。アヴィラではそれが当然だ」
 ジュードが噛みしめるように呟く。
「貴方が気にするようなことじゃ、ないですよ」
 苦笑してパリスメイアが告げても、ジュードは苦しそうな表情のまま、黙り込んでいた。
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